翼よ!巴里の灯りは情熱の様に燃えている
長廻 勉
翼よ!巴里の灯りは情熱の様に燃えている
一九〇二年の二月四日。
私はアメリカのミシガン州デトロイトで生まれた。
一九〇二年と言えば、ライト兄弟が人類初の動力飛行を成し遂げた前年にあたる年だから、つまり飛行機は私の一つ下の弟になるわけだ。
子どもの頃は、至って普通の少年だったと思う。
魚を釣ったり、野を走り回ったり……あとは機械いじりが好きだったり。
初めて自転車を買って貰ったときは、その部品や仕組みをじっくり観察したものだ。
そんな私が飛行機と出会ったのは、一九二〇年頃だった。
当時の私は大学の工学部に通う学生だった。
機械好きが高じて入学した大学だった、その……いかんせん私は実践主義な性格でどうも座学という物は肌に合わなかったのだ。
そうなると関心は別の方に向いた。
それが、飛行機だった。
一九二〇年代、それは飛行機が次世代の新技術として、文字通り世界の大空を羽ばたいていた時代だった。
皮肉な話だが、前大戦の悲劇によって人類の飛行技術は格段に進歩した。
大戦の中で空の味を覚えてしまった命知らず共は大戦終結後、倉庫で腐っていたジェニー機等を買い叩き、旅まわりの曲芸飛行士になってアメリカ中を巡業していたのだ。
私は大戦で生まれたの空の英雄の物語や、巡業の曲芸飛行士たちの鮮やかな飛行を見て血を湧き立たせずにはいられなかった。
私は大学を辞め、ネブラスカ航空会社の飛行練習生になり一通りの知識と技術を覚えた。
そして曲芸飛行士の一座に加わりアメリカ各地を巡業、そうやって操縦の腕を磨いたのだ。
一九二四年三月、私はアメリカ空軍の士官候補生となって、テキサス州で訓練を受けた。
この時、生まれて初めて精を出して勉強した。
座学は結局性に合わなかったが、それでも飛行機の技術を覚える為ならばと椅子から離れがる尻を必死で抑え付けた。
そのおかげかクラス一番で卒業し、予備空軍大尉の位をもらった後、私はセントルイスのロバートソン航空会社という小さな航空郵便会社に勤務するようなった。
一九二六年の秋、月が大きく美しい日の夜だった。
私はいつものように郵便物を積んで、セントルイスからシカゴへ夜間飛行を行っていた。
その時ふと、フランスの撃墜王ルネ少佐がニューヨークからフランス間を横断するオルティグ賞に挑戦した話を思い出した。
撃墜王の駆るシコルスキー複葉三発機は離陸することができず、飛行場の端に突っ込んで燃え上がり、挑戦は失敗に終わったのだった。
私は、もし自分がオルティグ賞を狙うとしたら、という事を考え始めていた。
自分では、シコルスキーのような大型機は都合出来ない。
値段の安いエンジン一つの小型機で精々だろうが、しかし、その方が却って都合がいい事を思いついた。
三発機のいい点はエンジンが一つ故障しても、他の二つで何とか飛んでいけるという点にある。
しかし、短距離ならともかく、大西洋を横断するにあたってエンジンの一つが止まったままであれば大型の機体を支える事が出来なくなる
であれば、エンジンが一つの飛行機と変わりがないどころか、エンジンが三つあるだけに故障するリスクも三倍になるのだ。
本来、小型機に大西洋を横断するだけの燃料を積むスペースは無い。
だが、複座を潰せばそのスペースは賄えるし、それでも足りないならば首座の前部にも積んでよい。
なんせ飛行中の大半は、一面の海とそれを鏡で移したような空ばかりで目印などありはしない。
そうなればコンパスだよりの運転を強いられるのだ、コクピットのフロント窓から外が見えなくても問題は無い。
複座を潰せば、予備パイロットを乗せるスペースが無くなってしまう。
ニューヨークからパリまでの行程はおよそ1日半は掛かる見積だが、なに問題は無い。
私であれば一日半くらい眠らずに運転するなどわけは無い、なにせ大西洋に広がる一面の青を独り占めできる興奮で眠りたくても眠れないのだから。
と、その時の私は思っていたのだが……それは後で話そう。
ともかく、ふいに頭に浮かんだ机上ならぬ機上の空論は、徐々に私の頭の中で具体性を持ち始め、情熱によって模られた輪郭がくっきりと見えてきた頃、既に私はオルティグ賞を狙いに行くつもりでいた。
それも大西洋単独無着陸飛行、成功すれば人類史上に残る偉業である。
無論、その為にこなすべき課題は多い。
私は、課題をノートに箇条書きに書き上げた。
そして、乗り越えた物には線を引く。
その際、新たに生まれた課題をノートに書き加え、また線を引く作業に明け暮れた。
その中でも一番の難問は、支援者と資金を募ることだった。
大西洋横断にはライト会社が開発したワールウィンド・エンジンを取付けた最新型の小型機が必要だった。
その小型機を手に入れるためには一万五千ドルから二万ドルの資金を工面しなければならない。
当然、そんな額の金を私が持っているはずも無く、出資者が必要だった。
オルティグ賞の賞金は二万五千ドル、大西洋横断に成功すれば飛行機代を引いても相当な額が手元に残る。
そう、あくまで成功すればの話だ。
私は自分の航空理論と空にかける情熱には揺ぎ無い自信を持っていた。
しかし、世間から見れば名も無い一パイロットに過ぎず、撃墜王ですら失敗した挑戦に挑む二五歳の若造に出資してくれる物好きなどいるのか、それが不安だった。
この挑戦、いや私の人生で最も幸運な出来事を上げるとすれば、そんな物好きがいたということだろう。
私はセントルイスの実業家達を回り、出資をしてくれるように頼み込んだ。
自分の計画の合理性と確実性、そして私の情熱について深く説いて回ったのだ。
そして、その熱意を汲んでくれたセントルイスにいる人々が、これから無謀な挑戦に挑む若造のために費用を出資してくれたのだ。
さらにライト社から飛行機の注文を断れた際も、サンディエゴにあるライアン航空会社が1万ドルという金額で仕事を引き受けてくれたのだ。
私の細微に渡る注文にも応えてくれた技術者達には感謝の念しかない。
父が言っていた言葉に「一人なら一人前だが、二人になると半人前になり、三人ではゼロになってしまう。」という開拓者の諺があった。
しかし、一人前の人間が百人集まり協力すれば百人、いや万人力にもなることを私は感じたのだ。
私は、愛機ライアンNYP-1に「スピリット・オブ・セントルイス号」と名を付けた。
セントルイス精神、セントルイスの人々に対する感謝とその心意気に報いるための名前だった。
一九二七年五月二〇日、時刻は七時四十分。
パロス港を出向する前のコロンブスもこの時の私と同じ心持だったのだろうか?
今度は新大陸からヨーロッパへ、海ではなく空から東進する。
小雨が降りしきるルーズベルト飛行場で、私はセントルイス号のプロペラを回した。
いよいよ大西洋単独無着陸飛行に挑戦する日がやってきたのだ。
実を言うとこの前の日の晩から私は一睡も出来なかった。
興奮と不安、緊張からの焦り。
寝なければと思うほどに上手く寝付けず、そうして出発の朝を迎えてしまったのだ。
つまり、私は一日半ではなく、丸二日間徹夜で飛行していたことになるわけだ。
離陸の際、中々機体が浮き上がらず障害物の頭すれすれをかわすなどのちょっとした出来事があったが、セントルイス号は無事離陸。
後から聞いたが、その際に電波が全世界に飛んだそうだ。
「スピリット・オブ・セントルイス号、本日午前七時五十二分、ニューヨークを離陸。」
空の上ではとにかく睡魔との闘いだった。
途中、スコールや暴風雨に遭遇したが、それはまだ良い。
神経を集中させて操縦に専念が出来る。
しかし、それらをやり過ごし、束の間の安息のときが危ない。
ふっと意識が飛ぶのだ。
はっと意識を呼び戻し、目をこすりながら計器に集中するが、それでも意識は何度か飛ぶ。
意識を失ったときに少しでも操縦桿の操作を誤れば、無論私は死ぬだろう。
例え墜落していなくても、多少の角度のズレが長距離移動の際には大きな距離のズレとなってしまう。
私が無事に大西洋横断が出来たのは、空への情熱以上に生への渇望が強かったのかも知れない。
飛行機乗りに命知らずは多いが、だからと言って自殺志願者ではないのだ。
ヨーロッパが近づいたのを感じたのは、小さな漁船を見たときだった。
低空を飛行し「アイルランドはどっちだ?」と尋ねたが、猟師達は特に返事をしなかった。
おそらく私の英語が伝わらなかったのだろう。
それから少しばかりの時間の後、水平線に浮かぶ陸地を見た。
私はそれがヨーロッパの大地だと確信した。
それは、私の挑戦の成功を確信した瞬間でもあった。
おそらくあれはアイルランド、フランスのパリまではあと一息である。
夜のパリに明るく天高くそびえる柱が見えた。
そのまわりを一回りしてから、北東に向かう。
セントルイス号と私は、ル・ブールジェ飛行場の滑走路へ何事も無かったかのように静かに着陸した。
パリ時間で五月二十一日午後十時二十一分、私はニューヨークからパリまでの五八〇〇キロを三十三時間三十分で横断した。
その後は酷いものだった。
エンジンのスイッチを切ると同時にガラス窓から人の波が見えたのだ。
中にまだ私がいるのに人々はセントルイス号を揺らし、記念に持ち帰るためセントルイス号の布をちぎったり、木片を折ったりしている。
何万という人が、私を迎えるために飛行場に集まってくれていたらしいが、あれでは私が何処にいたのか誰も分からなかったんじゃないか?
だが、そのおかげで得もした。
通説ではフランスを見た私は「翼よ、あれがパリの灯だ!」と最初に言ったことになっているが、実際は……私も朦朧とする意識だったのでちゃんと覚えていないのだが。
「誰か英語を話せる人はいませんか?」か、「トイレはどこですか?」のどちらのか筈だ。
何せ、空の上では用も碌に足せなかったからね。
翼よ!巴里の灯りは情熱の様に燃えている 長廻 勉 @nagasako
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