水太子選考会➀
「始め!」
晴天とは言い難い灰色の空に、潟の声が高々と響いた。
「やぁぁあぁあ!」
「とぉおおおおおっ!」
「はぁあっ!」
気合の入った掛け声は曇天の雲を吹き飛ばしそうな勢いだ。
演習場に集められた五人の精霊の内、三人は元気よく、残り二人は口を結んで、ひとりの精霊に向かっていった。
「甘い。遅い。五月蝿い」
対峙する
向かってきた精霊を軽やかにやり過ごしている。ひとりを手刀で気絶させ、別の精霊の腹に膝を入れ、ついでと言わんばかりに同じ足でもうひとりの精霊の首の付け根を蹴った。
その反動で宙を後転すると、サッと屈んで水平に回された剣を避け、低い位置で四人目の足を払った。
「流石……演、格好いい」
流れるような動作で次々と精霊を倒していく姿にうっとりしてしまう。あれが僕の配偶者だと自慢して回りたい。
「雫さま、見惚れている場合ではありません。ここで誰かが先代さまに勝たなければ、また太子が決まりません」
「うん。いや、まぁそうなんだけど」
潟がそういった矢先、五人目の精霊が倒された。演習場には演しか立っていなかった。
「弱い」
演……それは言わない約束だ。
「最終試験が『先代に勝つこと』では雫さまの在位中に水太子が決まるとは思えません」
「いやぁ、でも理術は使ってないんだけどね」
演に理術を使うことを禁止したわけではない。演の判断だろうけど、使ったら本格的に倒してしまうに違いない。
前にも評したことがあったけど、弱体化したとはいえ演の理力は健在だ。雨伯の子が全員でかかれば互角。雨伯本人がそこに加わってようやく竜宮側が勝てる、といったところだろう。
並の伯位では消されてしまう。
「悠長なことを……金の王館も代替わりが完了し、火も太子が選出され、あとは立太子の儀を待つだけです。残るは水の王館のみ」
金の王館は沌との戦いのあと、宣言通り録さんが引退し、理王が代わった。戦いの処理と復旧のために、すぐにとはいかなかったけど、退位に伴って太子が選出された。
「火の理王も一安心だろうね」
「そんな他人事のように……」
火の理王は義甥なので他人事とも言いきれない。けれど、他属性のことなので干渉はしない。
火の王館も先代火理王が後世を指導できる内に、と選出を急いでいた。自力での歩行ができなくなったとは聞いていたけど、かつての先代木理王さまのように寝たきりということでもないらしい。
あとから聞いた話では、自身の理力を使って火の王館を守った際に、足に回る理力を優先して削ったそうだ。後進の育成に、頭と口は最期まで残しておきたいと考えた結果だという。もし足りなければ次は腕、胴……計画していたようだ。器用だけどゾッとする。
その動かない足も木の王館からの援助で感覚が戻りつつあるらしい。歩くことはできなくても、何かに掴まって立つことはできるらしい。
その内、杖があれば歩けるだろうと言われていたそうだ。ただ、自分の治療よりも後進の選出をしろと当代火理王は何度も怒られていたようだ。
やっと叶った火太子の選考会も、本当に急いでいるのかと疑わしくなるほど、厳しい審査だったと聞いている。当代も先代もそこは手を抜かないらしい。
緩い基準で審査すれば後でどんな苦労があるかわからない。愚かな王太子を採用してしまった、などといううっかりでは済まされない。
急を要する選考会だから審査が甘いはずなどと、腑抜けた考えで臨んだ者はすぐさま燃え尽きたに違いない。
水の選考会を棚に上げていると隣から咳払いが聞こえた。
「潟が選考会に出れば?」
「私は出場致しません。先代さまのお相手をしていたら魂がいくつあっても足りません」
オッシャルトオリだ。僕ならどんな演も受け止めるつもりだけど。
「私は常に雫さまのお側に侍りたいので。私よりも滴さまが出るべきです」
「滴はまだ幼いし、周りに色々言われたくないよ」
滴は雨伯の一族だけど、名に雨を冠していないから、雨伯の保護下にはない。その滴が雨伯の委任を受けて王館にいる事自体が面白く思われていない。これ以上、滴を悪意のある目に晒したくない。
「取り急ぎ、第五次募集を掛けますが、範囲を叔位まで広げますか?」
「んー……等さんみたいな精霊もいるしね。でもそれはしなくていい」
わざと叔位に留まるような精霊は選考会に出ないだろう。
「今までに参加したことのある者は次の選考会への出場は認めない。一度も来たことのない高位精霊は……ちょっと可哀想だけど強制参加」
「かしこまりました」
演がいつも言っていた。
理王になんかなるもんじゃない、と。
僕は幸い優秀な臣や妻子に囲まれているので、そうは思わない。けれど、賢い精霊ほどそう思って隠れているかもしれない。
「雫。今日も勝ったよ」
「お疲れ様、演。流石だよ」
「今日も勝ってどうするんですか。……水の行く末が心配になってきました」
潟の嘆きは聞かなかったことにした。
◇◆◇◆
「条件の変更?」
「変更というより緩和と言うべきでしょうか」
数日経って、潟が選考の基準を変えてはどうかと提案してきた。このままでは全高位精霊が演に倒されて、候補からいなくなる可能性がある。そしてその可能性は低くはない。
演を見ると無言で頷いていた。同じ気持ちなのだろう。
実は僕もそろそろ条件を変えた方が良いとは思っていた。でも生半可な気持ちで挑む精霊を選びたくもないし、後進を指導するのは演なので演に任せてるつもりでいた。
「変えるのは構わないが、どう変える?」
演が尋ねると、潟は僕から演に向き直った。
「先代さまに勝つことでは、高位精霊がいなくなってしまいますので、『先代さまの攻撃を
「……今までそんなことができた精霊がいた?」
僕が聞き直すと、潟はハッとしたような顔をした。そもそも全員演に倒されているのだから、演の攻撃を
「あぁ、一回避けた奴がいた気がするな。確か、現象系の……名前は覚えていないな」
演に負けて候補から外した時点で記憶に留めていない。名前は勝ち残ってから覚えれば十分だ。
「一回でも避けたという前例があると、逆に新しい条件としては不適切じゃないか?」
前例として成功した者は不満を抱きそうだ。
「では『攻撃を三回躱すこと』でいかがでしょう?」
「回数制限か。雫はどう思う?」
「うーん……」
条件としては悪くない。悪くないけど、実際そんな精霊が現れるかどうか。
「もう少し幅を持たせられないかな?」
「幅というと?」
「演の攻撃を一回避けたという前例を活かすなら、演の攻撃に二回耐えた精霊もいたよね」
演は二、三度目をパチパチさせた。
「そんなのいた?」
「……おりましたよ、先代さま。北部の湖で、自身の本体を凍らせて、身体強化した上で選考会に挑んだ猛者でした。先代さまの攻撃に二度まで耐えましたが、本体を凍結させたことによって体調を崩し、戦闘どころではなくなり、引きずり出し……いえ、途中棄権しました」
いわゆる風邪をひいている状態で選考を受けていた精霊だ。なかなか印象深かった。
対峙した精霊を思い出した演は、分かりやすく両手を叩いた。
「あぁ、思い出した! あの鼻水の精霊か!」
水理王として、鼻水の精霊という存在は把握していない。潟はそれ以上演に突っ込むことはせずに、僕に話の続きを促した。
「その精霊が何か?」
「あぁ、二度まで耐えた前例があるから『三回耐えること』を条件に入れてもいいかな、と思う」
そんな精霊がいるかどうかも怪しいけど、可能性は広げたい。
「『三回避けること』『三回耐えること』ですか。なるほど」
「本来の『先代を倒すこと』に全く触れていないのが気になるな」
自分のことを『先代』と客観的に言う演はやや冷めていた。
「じゃあ、『先代に三回攻撃を与える』も追加する?」
「雫さま。先代さまが自ら当たりにいかない限り、それは不可能です」
言ってから僕もそう思った。何かの間違いで当たることはあるかもしれないけど、三回は難しいだろう。何かの間違いで太子を選びたくないけど。
「なら、せめて一回にしようか」
「まぁ……そうですね。とりあえずは妥当かと」
潟は何か言いたそうだったけど、書類を演に手渡しながら飲み込んだ。太子を決めるのは先代の仕事だから、僕ではなく演の管轄になる。
「では、次の選考基準は『先代に攻撃を少なくとも一回当てること』『先代の攻撃を三回躱すこと』『先代の攻撃に三回耐えること』の三つ……と」
「左様でございます」
演のペンがスルスルと優雅に進んでいく。こういう姿を見ると、理王だった演に仕えていたことのことを思い出す。あの頃も幸せだったけど、今はもっと幸せだ。
「せ、先代さま、違います!」
潟が急に大きな声を出した。
「違うのか? もう判を押してしまったよ」
「どうしたの?」
雰囲気的に演が何かを間違えたようだけど、それはそれでかなり珍しい。
「三つの条件のいずれかを満たせば良いのです! いずれもではありません」
何があったかすぐに察した。
「そうか。しかし判を押した以上、修正はしない。このまま選考する」
条件を緩くするはずが、大して変わっていない気がする。
「良い精霊が見つかると良いな」
「……今度こそ高位精霊がいなくなってしまいますよ」
潟の嘆きは聞かなかったことにした。
水精演義 亞今井と模糊 @aimai10moko
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