おまけ 書記官の守秘
言いたい。
言いたい。
誰かに言いたい。
高々と『御上と先代の御子は先々々代理王の魂を持っている』と宣言してしまいたい。
滴さまの中身が義父上であるという事実は、今のところ私と雨伯しか知らない。魂が義父上でも本体が湖のため理力の質も異なる。だから誰も気づかなくて当然といえば当然。
それなのに何故、私が知っているかというと、それは一年ほど前に遡る。
◇◆◇◆
太子付書記官から理王付書記官に自動的に昇格し、理王の実筆でなくて済むものは、ほとんどの書類が回ってくるようになってしまった。
おかげで一日の大半を執務室で過ごすことが多い。大抵はそこに先代さまや潟、滴さまも揃っているので賑やかだけど、嫌な気はしない。
誰彼と大人が構いたがる滴さまは、その日に限ってお一人で、執務室に充てがわれた小さな机で退屈そうに本を捲っていた。
高位精霊とはいえ、まだまだ幼児。本当は遊びたいに違いない。
「滴さま。添と遊びましょうか?」
まだ何種類か仕事が残っている。でも御上が余計な仕事を持ち込まなければ、少し手を離したところで今日中に終わるはず。
「ホント⁉」
滴さまは大きな本を勢い良く閉じて、子供らしい振る舞いで駆け寄ってきた。
「何する? 何する?」
「あまりお時間のかからないものでしたら何でも良いですよ」
「添ちゃん。まだお仕事あるの?」
時間がかからないものと制限をかけてしまったのが、良くなかったかもしれない。滴さまは視線を下げてしまった。幼子にこんな顔をさせてしまうなんて、私のバカ。
明日の仕事が詰まるのを覚悟で、今日は滴さまの相手しようと決めたとき、滴さまが急に顔を上げた。机の上を指差しながら笑顔を向けられる。
「添ちゃんは字が綺麗だね」
「そうですか? ありがとうございます」
書記官として整った字を心掛けているので、褒められると素直に嬉しい。自然と笑顔になった。
「お父上にそっくりだね」
「…………滴さま。今なんと?」
自分の笑顔が引き攣った。
父・
大量の手紙を書くときもそうだった。書く方は大量でも受け取る方は一部のみ。そのたった一部が乱雑な字にならないようにと、ひとつひとつ心を込めていた。
その父が王館勤めをしていたのは事実だけど、滴さまと接点はない。あるはずがない。父は流没闘争で亡くなった。その父を知っているのはおかしい。
「何故、父のことをご存知なのです?」
滴さまの顔が分かりやすく青くなった。しまった! と顔に書いてあった。
「み、見たから!」
「何を見たのですか?」
「資料……そう! 資料室で!
あぁ、目眩がしそう。残念ながら理由として不適切だった。
「どうして
「あ、そ、それは……な、名前が似てるから!」
私の名は確かに父・沿に縁がある。けれど『ソエル』と『フチ』という響きは全く似ていない。
滴さまの言い訳が苦しくなってきた。
この様子だと、滴さまは恐らく記憶持ちに違いない。ここ数年、前世の記憶を宿している精霊が誕生している。原因は魂の理力への還元がうまく行かなかったことではないかと言われているけれど、今それは問題ではない。
滴さまがそれを隠していることが問題だ。前世のことを知られたくないのだとしたら、逆に考えると、私達が滴さまの前世を知っているということだ。
ここ数年で亡くなった知り合いは……心当たりがある。
「そうですか。名が似ていますか。確かにそうですね。そこに気づかれるとは流石、滴さまです」
「え、ぅぇへへえぇへ」
滴さまの不気味な愛想笑いは聞かなかったことにして、机の端に置かれた手袋をそっと手に取った。
「あら、潟はお馬鹿ですね。こんなところに手袋を置いていきました」
「ほ、ホントだね」
話題が変わったので滴さまはホッとしているように見えた。
この手袋は潟が忘れたわけではなく、破れたので繕って欲しいと頼まれた物だけど、それをちょっと利用させてもらう。
「お馬鹿なだけではありませんよ。丈夫そうなフリをして、すぐ使いものにならない駄目な男なんですから」
「そ、そうなんだ」
配偶者の愚痴を幼児に捲し立てるなど、いつもなら絶対にやらない。
「そうなのです。しかも潟ったら事あるごとに義父上の日記を眺めているし」
「え、日記?」
これは事実。潟は地球ーー水の星の記録を見返して、別の記録にまとめようとしている。
滴さまは分かりやすく目をキョロキョロさせた。
「しかも隙あらば、まだ夜の相手を探しに行くんですよ。私というものがありながら」
これは嘘。
しかも幼児に聞かせる話ではない。
私と魂繋してからは、そんなに羽目を外していない。……そんなに。
尤も魂繋したときから心には私しかいないから、羽目を外したところで私は気にしない。
「けしからん! どこで育て方を間違えたんじゃ⁉」
でも、この幼児にとっては気にすることだったらしい。
言ってしまってから、口を開いたままギギギとぎこちない動きで、私と目をあわせた。
「…………滴さま」
「っはい!」
良い返事だこと。いつもなら褒めていたかもしれない。
「義父上」
「………………はい」
小さい声だこと。いつもなら注意していたかもしれない。
「ちょっとそこに座ってください」
◇◆◇◆
我が子が師だと気を使うだろうとかなんとか義父上に口止めされ、早一年。
義父上は少し気を抜くと漣発言が出てしまう。雨伯には地球の話をしていて気づかれてしまったという。秘密を守っている立場としては気が気ではない。
滴さまが本体住まいならばこうも気を使うことはなかっただろうけど、滴さまには雨伯名代在館大使という大層な役職が付けられている。
理王の家族や幼子という理由だけで王館に留め置くことは難しい。それを竜宮城から王館に臣を置くという慣例を復活させることで、他の高位を黙らせたようだ。
未だ水太子が定まらない今、滴さまが注目されるのは仕方ないことだと思う。
だからこそ、義父上には大人しくしていてほしいのに、視線の先では何やら揉めていた。
そこにいるのは先代さま、滴さま、潟。……と今走り去って行ったのは
声が聞こえるところまで近づいて、柱の陰から様子を窺う。どうやら滴さまが潟の注意を無視して、先代さまに怒られている最中らしい。
「……滴さま。何故それをご存知なのです」
「タタが今言ったことは、潟の致命的な弱点だ。知る者は少ない」
潟の致命的な弱点?
塩の話?
ははぁ……義父上。また口を滑らせて滴さまが知らない情報を吐いてしまったらしい。
「正直に言いなさい。どこから情報が漏れているか確認しないと、潟の身が危ない。場合によってはどこまで広がっているか調査せねば」
滴さまの顔色がみるみる悪くなっていく。これを機に滴さまの中身が義父上であると、明かしてしまっても良いのだけど……。
「お話中に失礼します」
気づけば助けに出てしまった。私の一言で先代さまの疑いは晴れ、円満に収まり……滴さまは涙目でこっちを見ていた。
滴さまには申し訳ないけれど、助けたのは潟のためだと思う。御上と先代さまの子が自分の父だと知ったら、潟はどう思うのだろう。結論の出ない悩みに昼夜心を悩ませるに違いない。
だから私は黙っている。言いたくなるけど言わない。義父上がうっかり口を滑らせなければ、明かされることはない。
滴さまの折れた襟を直しながら、後ろから耳に口を寄せた。
「大人しくしていてくださいね。義父上」
振り向いた滴さまは、妙にトボけた渋い顔をしていた。
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