空と『物語』

庵字

空と『物語』

「小説投稿サイトに掲載していた作品が、偶然ある編集者の目に留まり、強引に連絡をつけられ、一般文芸の公募に出すよう促される。主人公である作者は、あくまでライトノベルでのデビューに拘るが、編集者の『あなたの作品はライトノベルという枠に収まりきるものではない』という熱心な説得を受けて、渋々ながら名門文芸賞に応募。その作品が、辛口で有名な文芸評論家、全国的知名度を持つ文豪、気鋭の若手作家、といった並み居る選考委員たちからの大絶賛を受け、見事受賞。書籍の表紙絵を担当することになったイラストレーターと打ち合わせのために顔を合わせると、なんと、その人は偶然にも主人公が高校時代に片想いをしていた相手だった。後日、完成したイラストを見せてもらうと、その一部に滲みがあることを主人公が発見、指摘する。慌てたイラストレーターが確認すると、それは『イラストを描きながら、小説のことを思い出してしまい、感動がぶり返してきて落ちた涙が作ったもの』であることが判明。イラストレーターは慌てふためいて描き直そうとするが、『この小説のことを思って流してくれた涙だから、これも作品の一部だと思う』という主人公の言葉でイラストはそのまま採用されることになる。当然出版された本は空前の大ヒット。相思相愛になった主人公とイラストレーターは、その後もコンビを組んで大ヒット作品を連発する。か……」


 カタリィは、『白紙の本』をぱたりと閉じると、ふぅ、と嘆息した。


「どうかしましたか?」


 隣に立つリンドバーグが訊いた。


「最近、ちょっと疲れてきていてね」

詠目ヨメを使うことは、そんなに肉体的負担になるのですか?」

「いや、そうじゃないんだ。結局、みんな同じなんだな、って」

「何がですか?」

「『必要とされている物語』がだよ。『主人公が、先天的、後天的関わらず、所持している超絶的力でもって、襲いくる敵をいとも簡単にねじ伏せて、連勝街道大驀進ばくしんする』っていうね。世の中に必要とされている物語って、突き詰めれば、これ一種類に収斂しゅうれんしてしまうんだなぁって」

「今、詠んだ『一篇』も、そんな感じでしたね」

「うん。異世界とか超能力とか、荒唐無稽な要素が出て来ないのが珍しいってだけかな」カタリィは苦笑を漏らすと、「あとは、まあ、いわゆる『エッチな作品』だね。これだけは絶対に需要が途切れないよねぇ。あ、ごめん、今の、セクハラにはならないよね?」


 横目で、美少女の姿をしたAIを見る。だが、リンドバーグは答えず、黙って『詠み人』を見つめ返すだけだった。

 カタリィは夜空を見上げて、


「ねえ、バーグさん」

「なんですか?」

「『至高の一篇』なんて、本当にあるのかなぁ」

「あります。世界中の人々の心を救う究極の物語『至高の一篇』は、この世界のどこかに必ずあります」リンドバーグも、瞳の形をしたレンズを一度上空に向けてから、「それを探し出すのが、『詠み人』であるあなたの使命」


 虹色のレンズに、その『詠み人』を映した。


「……僕はもう、疲れたよ。あの変なフクロウには悪いけど、この使命、僕には荷が重すぎたっていうか――」

「カタリィさん」


 AIの双眸が別のものを捉えた。それは、今しがたカタリィが『詠んだ』物語を封印していた人物、『被詠者ひえいしゃ』だった。


「あの被詠者、様子が変です」

「変?」


 カタリィもそちらに目を向ける。


「はい。持ち歩けば、この国の『銃刀法』という法律に抵触する刃物を懐に忍ばせています」


 リンドバーグのカメラは『センサーモード』になり、被詠者の身体をスキャンしていた。


「そんな物騒なものを持って、どこへ行くんだろう?」

「その先には……ひと組の男女がいますね。恋人同士のようです。仲睦まじく腕を絡めて歩いています。その片方は……データベースによると、被詠者が片思いをしている人物ですね」

「あの『物語』に出てきたイラストレーターのモデルか」

「もしかしたら、あの被詠者……。止めたほうがいいと思います」

「……僕は、そうは思わないな」


 何かを悟ったような表情で、カタリィは言った。


「なぜですか? あの被詠者がどんな鬱屈した気持ちを抱いているか分かりませんけれど、それによって無辜の命が失われるような事態は避けるべきと考えます」

「大丈夫さ」

「どうしてそんなことが言えるんですか?」

「僕は、今まで色々な被詠者の心に触れてきたから分かる。あの被詠者は、二人のどちらも傷つけはしないさ」

「じゃあ、どうしてあんな刃物を所持しているんですか? 私のスキャン、照合結果によれば、あの被詠者の脳波思考パターンには、九十七パーセントの確率で『殺意』が含まれていることを示しています」

「『殺意』か。それは、ある意味当たってるね」

「ですから――」

「見てごらん」


 カタリィの細い指が示した方角に、リンドバーグも目をやる。被詠者が二人の前に、その進路を塞ぐように立ちはだかった瞬間だった。被詠者は、夜の闇のような、深く胡乱な目で想い人を見つめながら、懐から刃渡り十数センチのナイフを取り出して……。



「はい。その人が、突然私たちの前に出てきて、ナイフでんです。……いえ、全然知らない人でした。会ったこともありません」


 警察官の聴取に、被詠者の想い人はそう答えた。

 その横を、タンカを運ぶ救急隊員が通り過ぎていく。タンカの上には、顔までシーツで覆われ、ぴくりとも動かない被詠者が乗せられていた。



「ああいう人ってね、他人を傷つけたりは出来ないんだ。だけど、自分のことはいとも簡単に傷つけてしまう。『物語』のすべてがハッピーエンドとは限らないんだよ……」


 そう語るカタリィの左目は、AIのカメラレンズよりも無機質に見えた。遠ざかっていく救急車の、回転する紅い灯が映り込んでいるせいだけではなかっただろう。


(了)



「……これが、僕の『物語』だって……?」


 リンドバーグが空中に映し出しているスクリーン、そこに記された文章を読み終えたカタリィは愕然とした。


「だいぶ病んでいるようですね」

「そ、そんなことは……」

「カタリィさん、昨日、私が眠っているスリープ状態のときに、こっそりと私に向かって『詠目』を使いましたね。残念ながら、私はスリープ状態に入っているときには、アンチウイルスシールドで外部からの一切のデータ的攻撃を迎撃するようになっているのです。その迎撃プログラムが、『詠目』を私に対する『攻撃』と見なして跳ね返したため、期せずして、私がカタリィさんに対して『詠目』の能力を行使したような状態になってしまったのだと推察します」

「そうだったのか……」

「やはり、私に『詠目』を使ったのですね」

「い、いや……その、ちょっと興味があってね。AIも夢を見たり、『物語』を持っていたりするものなのかなって」

「あいにくと私は、電気羊の夢しか見ませんので」

「……はあ?」

「おっと、フクロウさんから指令です。南西三十キロに、『淡い恋の物語』を必要としている人が」

「よし、行こう、バーグさん」


 カタリィは肩から鞄を提げ、帽子を被り直すと視線を上げる。そのあおい瞳には、同じ色の空が映り込んでいた。


「はい……」リンドバーグも、行動プログラムを『移動モード』に切り替えると、「ねえ、カタリィさん、『至高の一篇』って、本当にあると思いますか?」

「あるさ」


 詠み人は即答した。その言葉には、僅かの戸惑いも不信も見られなかった。


「ところで」

「ん?」

「カタリィさんの『物語』にあった、『エッチな物語が云々』というくだりですが、あれ、立派なセクハラ案件になりますから」

「ええっ?」

「何かあったときのための証拠として、この文書ファイルはロックを掛けて保存しておきます」

「今すぐ消去してくれぇ!」


 カタリィの叫びは、どこまでも碧く広がる空に吸い込まれていった。


(本当に 了)

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