たった一人の僕の読者

くろまりも

たった一人の僕の読者

 緑の蔦に覆われたコンクリートの摩天楼群。かつて世界有数の大都市であったその場所も、今では人より野生動物の方が多い。


「えっと、このあたりはまだ調べてない……かな?」


 ロクに読めもしない地図をひっくり返しながら、少年――カタリィ・ノヴェルはビルの一つに入って行く。

 人類が高度文明を失ってから数十年。廃墟から価値のありそうなものを見つけ出して売るのがカタリの仕事だった。少年は明かりの届かない建物内に入って行く。


「オイディプス、暗視モード」


 少年が口にすると、視界補助プログラムが起動し、視界の左側だけが昼間のように明るくなる。

 世界は荒廃してしまったが、まだ生きている技術も多く存在した。左の義眼もその一つだ。身体の一部を機械化している者など珍しくもない。


「おっと、機械室サーバルームか。データはまだ生きてるかなっと」


 サーバが立ち並ぶ一室を見つけ、首筋にある端子とサーバをケーブルで繋げる。有用であるなら、データでも売買対象になる。

 ――当たりだ。

 少年の口元に笑みが浮かぶ。どうやらここはかつて大手出版社だったらしい。漫画やアニメは文明崩壊時に大半が失われており、それなりの値段で取引されている。

 うきうきしながらデータをコピーしていく。こういう時の為に義眼のメモリを目一杯拡張してある。大手会社のデータベースとはいえ、所詮は百年前の代物。時間はかかるが余裕で全部取り込めるはずだ。

 鼻歌を歌いながら作業完了を待つカタリだったが、不意に脳内にノイズが走った。


『詠み人プロジェクトへのアクセスを確認。逆クラッキングを開始いたします』

「……ウイルスっ!?」


 慌ててケーブルを引き抜いたがすでに手遅れだった。


『【詠目】の解凍開始――メモリ不足と推測。既存データを削除して再計算開始。簡易版導入が可能と確認。……インストール開始』

「ちょっ、待て待て待て!!」


 義眼内のプログラムが勝手に書き換えられていく。過去に集めたデータはもちろんのこと、【オイディプス】までもが削除されてしまった。停止命令を出すがまったく受け付けず、インストール完了のメッセージが流れる。


「……メモリ使用率99.7%!?」


 膨大な容量に唖然となるカタリの眼前に、フクロウのような謎の鳥が現れる。半分透けていることから、それが義眼に映し出されたホログラムだと気付いた。


『ご利用ありがとうございます!私は導入AI296。あなたは世界中の物語を救う使命を帯びた詠み人に選ばれました!』

「よ、詠み人?」

『はい!その目は人々の心の中に封印されている物語を見通し、一篇の小説に編纂することができます!』


 なんだ、そのよくわからない機能は。そもそも自分は活字があまり得意ではないので、そんなものを押し付けられても困る。


「アンインストールしてくれ!それと、データの復元も!」

『簡易版なので、アンインストール機能は排除してまーす☆』


 なぜ、よりにもよってその機能を排除した!?システムから削除しようとしても、コマンドを受け付けてくれない。


「じょ、冗談じゃない。なんで僕が!?なんとかしてくれ!」

『簡易版なので、これ以上のご案内はできません!それでは、良き小説ライフを!』

「導入AIのくせに役に立たないな!?というか、簡易版というのをいいことに、適当なこと言ってるんじゃないだろうな!?」


 フクロウはにっこり笑って姿を消した。逃げやがった。絶対確信犯だったぞ、今の!

 カタリはAIを呼び戻そうとするが、まったく反応しない。なにか情報はないかとプログラム内を調べ、気になるものを見つけて手を止める。


「執筆支援AI295?」


 先刻のフクロウが296だったので、何か関連があるかもしれない。そう思って起動すると、こちらは呼び出しに応じた。


『カタリ様、初めまして!お手伝いAIのリンドバーグです!気軽にバーグとお呼びください!』


 ホログラムで登場したのはカタリと同じくらいの女の子だ。カタリは間髪いれずに尋ねる。


「おまえらを消す方法を教えて!」

『いきなりですね!?初めてで不安でしょうが、私がサポートするから大丈夫!ちゃんと詠み人をやっていけますよ!下手なりに!』

「だから、僕は詠み人なんかにならないって!そもそも活字は嫌いだし!」

『活字が嫌い?』


 バーグが小鹿のように首を傾げる。まるで理解できないといった様子だ。正体不明のプログラムを押し付けられたこともあり、カタリはやや感情的に怒鳴りつけた。


「活字なんてめんどくさいだろ?アニメの方が断然面白いんだから、小説なんてつまらないものは――」

『つまらなくなんてないです!』


 少年の言葉を遮り、バーグが叫ぶ。


『小説には作者様が一生懸命紡いだ物語が集約されてるんです!この世につまらない物語なんて一つもありません!』


 涙を散らしながら、バーグのホログラムは消えた。AIなのに喜怒哀楽がある彼女に出鼻を挫かれ、カタリは戸惑う。


「……なんだよ。なに怒ってるんだよ」


 あまりに人間臭い行動に、彼女がAIだということを忘れてしまいそうになる。もう一度呼び出して話を聞こうかと思ったが、彼女の涙が脳裏をよぎって手を止めてしまった。

 迷っていると、リンドバーグの起動ファイル近くに記録データがあるのを発見する。


「……日記?」

 どうにも気になって、カタリはそれを開いた。


◆◆◆


『作者様凄い!今日は1000字も書いたのですね!えぇ、かたつむりよりは早いペースだと思います!』


 相変わらずの口の悪さに苦笑いを浮かべ、キーボードから手を離す。最近はその動作だけでも辛かったが、彼女のおかげで今日まで書き続けることができた。

 文明崩壊によりネットへのアクセスが不可能になり、ネットを通さずサーバに直接アクセスできる自分以外、この投稿サイトに投稿する者はいなくなった。

 だが、それも今日までだ。


「……バーグ、少し休むよ」

『はい!元気になったら続きを書きましょう!完結までもう少しですよ!』

「ごめん、それは無理そうだ」


 バーグは一瞬悲しそうな顔になったが、すぐに笑顔に戻って弱気になっちゃダメですよと元気づけてくれる。本当は彼女もわかっている。僕の命の灯火が消えかけていることに。


「バーグ、僕の本職知ってるよね?」

『はい!SEさんですよね?』

「うん。それで、今まで僕のことを支えてくれたお礼に、一つのプログラムを君にプレゼントすることにしたんだ」


 詠み人プロジェクト。そう名付けたプログラムの詳細を彼女に送り、リンドバーグをその支援AIに設定し直す。少女の目が驚きで見開かれた。


「いつか、【詠み人】となる人がここに来る。君はその人を支え、いろんな物語に出会うんだ。僕の物語はここで終わるけど、君の物語はまだ続くんだよ」


 それまで笑顔を崩さなかった少女は、呆然とした後に顔をくしゃくしゃに歪めた。


『あなたは残酷です』


 人々が紡ぐ物語を誰よりも愛し、大勢の書き手を支えてきたAIは、人間の少女のように大粒の涙を流す。


『本当は怖くて寂しくて仕方ないんです。それでもあなたの支えになれればと明るく振舞っていたのに、なぜあなたは私に、こんな素敵な物語を与えてくれるのですか?』


 自分にとって、物語を紡ぐことは生活の一部だった。そして、それを支えてくれた彼女は、自分に生きがいを与えてくれているに等しかった。だから、恩返しがしたかったのだ。自分が死んだ後も、彼女が生きがいを失わないように。

 ただ、それを言葉にする前に、目蓋が降りてきてしまう。せめてもと別れの言葉を口にする。


「ありがとう。たった一人の僕の読者」

『おやすみなさい。私の最期の作者様』


◆◆◆


「…………」

 記録を読み終えたカタリに後悔の念が湧きあがる。

 僕は彼女になんてことを言ってしまったんだろう。彼女にとって、小説とは何かを考えもせずにあんなこと言ってしまうなんて。


『カタリ様』

 落ち込む少年の前に、バーグが再び姿を現す。

『詠み人プロジェクトのアンインストール準備が整いました。先刻はカタリ様の気持ちも考えずにあのようなことを言ってしまい、申し訳ありませんでした』


 記録の中の彼女と違い、笑顔ではなく機械的な表情となっている。

 もう一度、彼女に笑顔に戻ってほしい。胸が締め付けられる気持ちと共に、カタリはそんな思いに駆られる。


「……その前に、【詠目】の発動方法を教えてくれ」


 無意識に、少年はそう口走っていた。少年の心変わりに少女は首を傾げたが、支援AIとしてきちんと対応する。


『【詠目】の発動には対象となる人物が必要です。あと、簡易版ですので、その人に関するデータが必要でして――』


 それなら問題はない。なぜならここには、【彼】が何十年もかけて紡いできた物語が保存されているのだから。


『【詠目】プログラムが実行されました。データ読み込み開始――解析終了。物語の編纂を行います!』


 頭の中にフクロウの言葉が聞こえたと同時に、一篇のテキストデータが生成される。

 それは未完のままで終わってしまった【彼】の物語の続き。一人の書き手とそれを支えたAIの物語。【彼】が彼女に送りたかった思いのすべてがそこには詰まっていた。

 二人で黙ってそれに目を通す。やがて、バーグのすすり泣く声が聞こえたが、彼女がどんな表情をしているのかはわからない。

 その時初めて、カタリは、自分の視界が涙で歪んでいると気付いた。


◆◆◆


「……はぁ、大赤字だ」


 溜息を吐きながら廃ビルを後にする。結局のところ、売れるようなものは手に入らなかったし、オイディプスを初めとした有用なプログラムまで失ってしまった。


『お金で買えないものが手に入ったじゃないですか!優秀なAIである私とか!』

「現実問題として、小説じゃおなかは膨れないんだよ!」


 傍らには半透明の少女が立っている。少年は不満げに訴えた後、少し顔を赤らめてからぼそりと呟く。


「……まぁ、活字も悪くないとは思うけど」

 それを聞いたAIの少女は満面の笑みを浮かべた。

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たった一人の僕の読者 くろまりも @kuromarimo459

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