第3話『それだけは嫌だ』

「だいだぶら~。だぶらだぶら。だぶららりりびば~」

(はいオワタ~。オワタオワタ。僕の二度目の人生そくオワタ~)


 この一ヶ月間、本当に散々な精神状態だった。


 ベビーベットの上で糞尿を垂れ流しても、昼間っから母親ユダと添い寝していても、父親ガランのクソつまらない顔芸を見せられても、僕は虚ろな瞳で遠くを眺め、だぶだぶと譫言うわごとを呟き続ける日々だった。


 正直、僕は現実を受け止めきれていなかった。ていうか受け止める気すらなかった。だってさ、すごかったんだぜ? 前世の僕。それはそれは最強だったんだ。ほんとだよ? 内在魔力は一般人の百倍はあったし、三つの《ウェポン》なんか反則過ぎて逆にいいのこれ? って心配になるレベル。端的に言って奇蹟の集合体のような男だった。マーリンが惚れるのも無理ないと思うね。


 ……そんなことを言ったら殴られそうだから、一応撤回しておこう。

 嘘だよマーリン。許して。ちゅ。


 それに、失ったのはそれら資質だけじゃない。

 それは何か? 努力だ、努力。それも、血の滲むような、果てしない努力。


 これは持論だけど、天才とは才能と努力を限界の限界まで磨き重ねた人の事を言うと思ってる。才能だけじゃ優秀止まりだ。すごいねで終わる。その才能を周りの何倍何十倍何百倍の努力で磨き上げることで、初めて天才に至れる。世界最強の男と胸を張れる。


 僕が前世で最強だったのは、世界一の潜在能力を秘めた《ウェポン》を生まれ持ったことと、血反吐をぶちまけながら文字通り死ぬ気で鍛え上げた、たゆまぬ努力あってのもの。そして今、その努力の結晶すらも――失った。


「びばびばだぶら。ぶばぶばだぶら。ばびびばっぶいあいdうぃwdwしぇ」

(今日もオワタ。明日もオワタ。わかるわかるよお先真っ暗これはマジオワタ)


 だからさ。

 僕がこんな感じにぶっ壊れてしまうのも、無理ないことだと思うの。


 ああ、なんてこった。


「アーチャ? アーチャ? ほら、あーんして」

「んむ……んむ……んむ……」


 ぼよん、ぼよん、ぼよんて。

 ほっぺに何か凄く柔らかくて暖かいものが押し当てられている。

 でも正直、今は気にしてられない。僕は絶望の真っ只中だ。


 ああ、ああ、なんてこった。


 ヒト族巫女種という種族に生まれたことも、全然意味がない。

 巫女種の根っこは純人種と同じ。でもいろいろ贄にして色白になった結果、高めの魔力と高めの身体能力を手にした変わった種族ってだけ。


 前世の僕は純人種だったけど、《ウェポンⅠ》――《|無限の進境(オーバー・リミット)》のおかげで、どんな種族にも勝る肉体を手に入れることに成功していた。


 だから《ウェポン》がない今、下地がいくら強化されても伸びしろがないんじゃマジで意味ない。軽く絶望だった。前世で初夜を邪魔された時より絶望だった。我が息子が役目を全うする前に果ててしまったことよりは、まぁなんだ、どっこいどっこいかもしれない。


「だべばぁ……」

(オワタぁ……)

「困りましたね。アーチャがご飯おっぱいを飲んでくれません」


 ああ、ああ、ああ、なんてこった――え、おっぱい?


 完全に呆けていた僕は、聞き捨てならない単語を耳にして意識を現実に呼び戻す。すると、なんということでしょう。僕の目の前にふくよかな双丘とピンク色の綺麗な突起が進呈されているではありませんか。


「んっ、よかった、飲んでくれました」


 なるほどおっぱい。道理でおっぱい。人生っておっぱい。

 とりあえず思考を放棄してむしゃぶりついた。


 ふと想起されるのは、ヴァーユ巫女爵家が抱える魔法医師の男の言葉。


『アーチャ様は、忌み子でございます』


 覚えがあった。〝忌み子〟――それは先天的な魔力障害を持って生まれる子供のことを指す蔑称だ。詳しくは知らないけど、なんか心臓にひっついてる魔力器官とかいう謎に満ちた部位が機能不全を起こしてるとかなんとか。


『それも、ただの忌み子ではございません。魔法医学の歴史を顧みても前例がない。アーチャ様は魔力器官が機能不全を起こしているのではなく、魔力器官そのものがない、、、、、、、のです』


 あー、だろうね。だってそれ母親ママのお腹の中に置き忘れてきたもん。

 魔法医師は心底不思議がり、両親は困惑するばかりだったが、僕はなんとなく理解してる。ユダのお腹に蟠る七色の光、〝落っことしたアーサー・ペンドラゴンの力〟として、そこにあるのだろう。


 おっぱいおいしい。


 巫女爵家は名高い家柄だ。だから内在魔力も《ウェポン》もない僕は、忌み子として蔑ろにされるのでは、と思わなかったといえば嘘になる。


 でも、それはとんだ杞憂だったみたいだ。


 母ユダは女神のような慈愛で以て接してくれるし、ガランもなんだかんだ悪い奴じゃない。不遇の今世ではあるけれど、新しい家族にだけは恵まれているみたいだった。


 それだけは良かったと思う。本当に。


 ……マーリンも、どこかで生まれて赤ちゃんやってるのかなぁ。


 ふと、前世の恋人のことを思い浮かべた。

 あれが赤ちゃんになっている姿を想像するとなんだかむず痒いけれど、僕のような良い家族に恵まれていますように。多分、彼女は力を母親のお腹の中に落っことすなんて間抜けなドジは踏まないだろうから、いつかは世に名が知れ渡って、再会の時は必然と訪れるはずだ。


 今は再会を焦る必要はない。

 焦るべきはカスと化した僕自身のことについてだ。


 おっぱいおいしい。


 ていうか、これは憶測に過ぎないんだけど。

 僕の力は今もユダのお腹の中にある。あれってさ、もしかしたら拾われる、、、、可能性あったりする? 


 いや誰にって、ユダが次に孕む子にだ。

 貴族は血生臭い跡取り問題を棚に上げて、青い血が途切れないことをとにかく重視する。僕の両親も例に漏れず、一人だけ産んで満足なんてことはないだろう。


 そこで僕は思い至った。

 力を落っことすなんて意味不明なことが起きるのだから、拾うこともできるだろうと。そして僕が考え得る中で一番最悪なケースは、それが弟であること。


 わんちゃん、弟を前世のアーサーだと勘違いしてしまうかもしれない。

 そしたらマーリンは弟を好きになるかもしれない。そしたらマーリンを弟に寝取られてしまうかもしれない。そんな最悪な光景を、僕は指を咥えて見てることしかできないのだ。


 ――無能な兄に興味は無いわ。


 幻覚が聞こえた。酷く冷たいマーリンの声音だった。


 そんなの嫌だ、有り得ない。絶対に受け入れられない。《ウェポン》を失うのはまだいい。魔力がスッカラカンになるのもまだいい。でも、マーリンが他の男に取られるのだけは、絶対に絶対に絶対に――嫌だ!


 それだけは死んでも阻止したいところだけど、僕の無能っぷりも磨きがかかってるし。本当になんてこっただ。今世、前途多難すぎるよ。


 はあ……と嘆息すると、勝手にげっぷが出た。

 背中を優しくぽんぽんされる。


「よしよし、美味しかったですか? お腹いっぱいになりましたか?」

「だぶら(まだまだイケます)」

「んっ。ふふ、オラージュは食いしん坊さんですね」


 おっぱいおいしい。


*** ***


 はらはらと舞う白雪が、闇夜を疎らに染め上げる。


 僕は思うんだ。人って寂しい生き物だよね。

 どんなに幸せな記憶も、抱いた淡い想いも、噛みしめた決意も、激しい後悔も、時間という悪魔の手によって、溶けて、薄れて、消えていく。


 僕が生まれてから三ヶ月が経過した。

 何だか元気を取り戻してきた気がする。別に前世の未練のことを忘れたからじゃない。乗り越えた、でもなくて吹っ切れた、とでも言うべきか。


 まああれだ。どうしようもないものは、どうしようもないのだ。

 忘却は寂しいけれど、記憶や感情が希薄になることで、人は俯いた顔を上げられるのだと思う。再び前を向いて、自分の足で歩き出せるのだと思う。


 暖炉に焼べられ橙に燃ゆる薪が、静かにパチリと弾けた。


「おねんねしましょうね、アーチャ」


 ベット横のベビーベットの上で仰向けになり、ユダに布団をかけてもらう。そのまま寝室の照明が落とされ、柔らかい暖炉の光に眠気を誘われた。


 あ、そうそう。今消灯された照明器具、実は〈魔道具〉ではない。

 というか、食うか食われるかの関係だった人類と魔物は、〈ヨハネ〉という共通の敵が現れたことで手を結び、共闘しているらしい。にわかには信じ難い話だが、その結果魔物から摂取できる魔石の供給が絶え、〈魔道具〉は廃れていったのだとか。


 その代わりに台頭してきたのが、〝電気〟という不思議なエネルギーを利用する道具類。このシャンデリアのような照明器具もそうだし、屋敷中に家電製品なるものが散見できた。テレビ、エアコン、冷蔵庫、洗濯機等、指を差すだけで皆が嬉しそうに教えてくれたけど、文明が進んだなあと未来転生の実感が湧いたのだった。


 先んじてベッドに入っていたガランの隣で、ユダが名残惜しそうにこちらを見てから布団を被る。多分だけど、僕と一時も離れたくない、なんて思ってくれているのだろう。僕もママの柔らかい胸の中で寝たいです。おっとつい本音が。


 とはいえ、まだ首が据わったばかりで添い寝は危険だ。僕も布団で窒息なんてしたくないし、一人は心細いけれど今は我慢しようじゃないか。


 そういえばだけど。最近、僕が楽しみにしていることがある。

 ベビーベットの木枠の隙間から大窓を見ていると、


「……きゅ」


 お、今日も来たみたい。

 大窓に積もった雪を器用に掻きどかして、硝子越しに室内を覗き込んでくるふわふわの毛玉。細い髭と黒くて長い鼻、三角形の耳。猫っぽい縦長の瞳孔が、暗闇で空色に光る。


「きゅきゅきゅ、きゅきゅ~、きゅっ?」


 それは小さな子狐だった。

 寝室は三階にあるんだけど、こうして側に面してる中庭の樹を登って覗いてくるのだ。僕と子狐はじっと見つめ合う。もちろん言葉なんか通じないけど、度々する仕草が可愛い。あー可愛い。好き。堪らなく愛らしい。


 愛を念じて送ると、こてんと不思議そうに頭を傾げる。はい、可愛い。もう撫でたくて仕方がない。歩けるようになったら絶対中庭に遊びに行く。それまで待っていておくれ~。


 子狐はきゅきゅっと鳴きながら、前足でかりかりと窓を掻く。最初は中に入りたいのかと思ったけど、何やら一点を見つめて硝子越しに何かを触ろうとしている、、、、、、、、みたいな――。


「…………だぶ?」

(…………ん?)


 今、一瞬だけ。

 子狐が前足で掻くちょうど前の窓脇に、ちっちゃくて緑色の毛玉が見えた気がした。それこそ、ひよこのような……そういえば、前にも見たことがあったっけ?


 目を擦ってみるけれど、そこにひよこの姿はなかった。


 子狐を見て癒やされていると、いつの間にか安寧に囚われていた。

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僕は『最強だった前世の力』をママのお腹に置き忘れてきたある意味最強な男~このひよこ何?え?精霊?皆見えないの?とりまパン屑でもやっとけば懐くかな?~ 栗乃実 @yuushuunozono

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