異世界転生トラック派遣業

まさひろ

異世界転生トラック派遣業

 深夜に人身事故を起こした男。

 彼は恐怖と保身のためその場から逃げ自宅へ戻る。

 だがトラックの前面には血痕と衝撃跡が生々しく残っていた。

 あの時間あの場は人通りもなく目撃者はいなかったはず。

 彼はそう祈りながら洗車場へ行き、入念に執拗に血痕を洗い流す。

 あれが夢であることを祈り――だがその凹みはありありと。

 あれが間違いであることを祈り――事故の現実を刻んでいた。


 ――――――――


 事件のあった翌朝、事後処理に疲れ果てた男はニュースやSNSをはじめ、自分の思いつく限りあらゆるものを調べあげた、しかし、昨夜の事故について記したものは一つ足りとも見つからなかった。

 だが、困惑はその程度ではない、恐る恐る車を確かめるとそこには事故の跡などみじんも残っていないのであった。血痕が残っていないのは分かる、昨夜必死に洗い流したから、どこの部位かもわからない肉片が残っていないのも分かる、昨夜必死に洗い流したから。

 だが、凹んだバンパーとボンネットにまったく事故の痕跡が残っていないのはどう考えても分からない。


 本当に昨夜のあれは夢だったのではないかと、疲れ果てた身体に鞭を打ちつつ、あくまで平常通りに出社し、いつも通りの自分を演じその日の労働につとめる。むろん昨夜の事故にについて調べもせず聞くこともしない。そう、昨夜の事故などなかったのだ、だからそんなことを聞くほうがおかしい。頑張る、頑張る、入社以来、いや人生でこれほど頑張って平静を装った日はなかっただろう。


 何とか平穏無事にその日をしのぎ帰宅する。疲れ果てた体にいつも以上に晩酌のビールがしみる、もう今日は何もかも忘れて早々に床に就こうと思った時、玄関からチャイムの音が響いてきた。

 時刻は深夜というには少し早いがもうずいぶん夜も更けている、その上酒もまわっているし心身ともに疲れ果てている。呆けた頭で玄関を眺めるがドアの前から人が去る気配はない、しばしの時間ののちまたチャイムが鳴る。

 少し、少し頭の靄が晴れてくると同時に冷たい汗が背中を流れた。


(もしや……もしや、昨日の事と関係あるのでは……)


 奇しくも時間は昨夜のあの時と同じころ。喉が渇く、少しぬるくなったビールを一飲みする。


 玄関のドアの前に立つ。ボロアパートだ、カメラ付きのインターホンなどはない、ドアの向こうに立つものを確認するには、ドアを挟むとはいえ、相手の手の届く範囲まで近づく必要のあるドアスコープしかない。くたびれているとは言え鉄のドアだ、強度は十分、例え相手が何を考えていても物理的にどうこうしようもない。いやそもそも、そんな事を考えてしまう自分自身に混乱と不安がつのってしまう。


 一定時間ごとにチャイムを鳴らす以外何も行動を起こさない、怪しさ極まりないどこかのだれか。おそらく警察ではないだろう、行動が不振すぎる。そもそも昨夜の事故など自分のあやふやな記憶の中にしか存在しないのだ。

 そう、あのライトに照らされ驚愕に見開いた目も、肉を引き骨を折り内臓を破裂させた感覚も、錆くさい血の匂いも。全て、全て自分の記憶の中にしか存在しない、日々の疲れが見せた妄想に過ぎないのだ。


 幾度目かのチャイムの後、覚悟を決めてドアスコープを覗く。そこにいたのは一人の女だった。

 女は派手な金髪のショートヘアで、細い目をさらに弓なりに曲げニヤニヤとこちらを眺めていた。だが服装はきちんとした黒のパンツスーツでそのアンバランスさがさらに違和感を増加させていた。

 訳が分からないと言うのが第一印象だった、しかしその女の発した言葉はさらに訳が分からないものだった。


「おめでとうございます! 貴方は異世界転生トラックドライバーに認定されましたー!」


 ――――――――


「いやー、こればっかりは生まれついての素質とかタイミングとかなんやらかんやらからんじゃうんで、なろうと思ってもなれるものなんじゃないんですよー。いや! でもですねー今めっちゃ需要高いんですよー、何しろ異世界なんか無限にありますからねー、超売り手市場! にっちもさっちもいかないピンチだから救世主とかこないかなー? このままだと袋小路で詰んじゃいそうなんで変革者とかこないなかー? あーもう何でもいいからどっかの誰かが都合よく何とかしてくんないかなー!? とか思ってる世界も盛りだくさんってなもんで!」


 予想外の人物、予想外の言動にあっけにとられているうちに、あれよあれよという間に部屋へ上がられ、いつの間にかちゃぶ台を挟んで話し込む、否、一方的に話されているうちにふと我に返ることに成功した。


「えー、いや済まない、突然のことでまったく理解できていないんだが、あんたは誰で何の用事で来たんだ?」

「へっ? いやー焦らすのが好きですねー。あーまぁいいですよ、では改めましてご挨拶いたしましょう。私異世界転生トラック派遣業のエージェントであります、個体名は意味がないので異世界花子とでも覚えておいてください」


 と、その異世界花子と名乗った女はご丁寧に名刺を取り出してきた。名刺にはさっき口に出した通り『異世界転生トラック派遣会社 異世界花子』そして携帯の連絡先が書いてある。


「…………なんだこりゃ?」


 たっぷりと、時間をかけ頭を整理しようと努力してみた結果出た言葉はその一言だけだった。


「えー、だからー、貴方を異世界転生トラックドライバーとしてスカウトにきたんですよー」


 相変わらずのにやけ顔で訳の分からぬことを言う異世界花子。


「そもそもなんなんだその異世界なんちゃらってのは?」

「あーまぁ、最近再流行してるキーワードなんですけどねー、小説とか読まない人ですか?んー、この国だったらちょっと前だと『聖戦士ダムバイン』とか、最近だと『零の使い魔』とかですかねぇ。

 まぁ読んで字のごとく異世界に旅立ってヒャッハーしようぜってジャンルの物語ですよ。その中で最近は異世界に転生するギミックとしてトラックに轢かれてってのがメジャーなんでこういった名前を名乗っているのです」


 とややドヤ顔で花子は長台詞を言い終えた。

 徹頭徹尾1から10まで胡散臭さしかない、叩き出さなかった自分の忍耐力に最大の賛辞を送りたい、というかその気力もないというところが現実だろう。しかしだ、しかし、そもそもが、なんで俺がそのけったいなものに選ばれたのか意味が分からない。

 明日も仕事があることだし、そろそろこの宗教の勧誘だが、精神異常者だかにはご帰宅願おう、と思った時、すっと室温が下がる、いやその女の気配が変わる。にやけ顔はそのままに。


「昨晩23時35分、県道○○線△△交差点付近で貴方が轢き殺した男の子、無事に異世界転生を果たした故にスカウトに来たんですよー」

「なっ、なにを訳の、分からない、ことを」


 口がもつれる、背中に嫌な汗がどっと出る、何だ? こいつは一体何を言っているのだ!?


「右大腿骨解放骨折、骨盤、頭蓋骨、脊椎を始め複骨折18か所、内臓系だと肝臓破裂、肺出血、脳内出血エトセトラ、で結果としては出血性ショック死。いやー、ちょーーっとスピードオーバーとかしてたとしても、見事な轢きっぷりでしたねー」


 ケタケタと笑いながらちゃぶ台の上に事故当時の写真をばらまく、深夜の街灯もまばらなあの道路のくせに嫌に成るほど鮮明な写真だった。写真を撮られた記憶!? そんなものはもちろんない! そもそも誰もいなかった……はずだ! 監視カメラでもあったのか? しかしこの写真の鮮明さは監視カメラ程度のものではない。いつ! どこで! 誰が! こんなものを撮ったんだ!?


「し、知らない、そんなの、轢きころ、そう! そんなことはない! なかった! 事故現場も俺の車も!」

「あーだいじょうぶですよー」

「はっ?」

「そう、大丈夫、わが社はそのあたりもキチンとフォローを行っておりますので、事故現場、貴方の車、そして『死体処理』も完璧に行っております」

「いや、違、違うんだ、あれは知らな、そう、気づかなかった! 俺は疲れてたんだ! 毎日毎日残業続きで、仕方なく、いや違うそうじゃなく!」

「あっはっはー、だから、だーいじょうぶですってば、原状復帰に死体処理すべて完璧に終わってまして、全てはわが社の管理下にありますから」

「何なんだお前は! 俺を脅しに来たのか!!」

「だーかーらー違いますってー、何度も言うように我が社は貴方をスカウトしに来たんですよ」

「ス……スカウト?」

「そう、スカウト、異世界転生トラックドライバーとしてね」

「異世界……、そう! あんたの話が真実としたら、あいつは異世界とやらにいったんだろ? 俺は殺してなんか!」

「あー、そうですね、先ほどの例えは間違ってましたね、先の例は異世界〝転移″の物語でした、貴方のしたことは異世界〝転生″、転生とは死後新たな生に転じるもの、つまり一度死ななければいけないんですよー」

「はっ、はは、なにを訳の分からない事を……」


 訳が分からない、こいつは何を言っている? 何を知っている? 否、あれは夢だ、幻だ、こいつは誰だ? 夢だ、夢だろう? 冷や汗が止めどなく流れ、呼吸は荒くなるというのにちっとも酸素が入って来ない。苦しい、だめだ、このままでは溺れてしまう、溺れ死んでしまう! それならば……それならば!

 そう思った時だった。

 いつの間にか綺麗になっていたちゃぶ台の上にトンと紙の束が置かれた。


「取りあえず異世界転生トラックドライバー技能取得記念の100万です」


 酸欠状態の頭でそれを眺めているとさらに続けて


「そして、これが今回の報酬、そして初回サービス報酬、さらに当社と契約していただければ契約金として……」


 目の前に札束が詰まれていく度に呼吸が落ち着き頭がさえてくる。こいつの言っていることは何一つわからないが目の前の金は本物だ。


「……結局、何がしたいんだ」

「いやだなー、だから最初っから言ってるじゃないですかー、スカウトですよスカウト貴方の才能を我が社で生かしてほしいだけなんですよ」


 結局最初から最後まで人を不快にするにやけ面を変えぬまま今日のところはこれでと、契約金以外をかばんに詰めその女は立ち去って行った。


 次の日の俺は仕事にはならなかった、二日続けての徹夜の頭に叩き込まれた膨大な非現実的な情報量。些細なミスを頻発し顔色の悪さも隠し通せず病休という形で自宅へ追い返された。


 自宅に戻った俺は朦朧とした頭で真っ先に押入れの奥をまさぐる、そこには精一杯の偽装、(と言っても今見てみるとあまりの雑さに苦笑いが浮かぶものだが)に包まれた札束が収められていた。


「夢じゃ……ないよな……」


 札束は10個、つまりは1000万。安月給で心身削りながら労苦に明け暮れているのが馬鹿に思える。50Gと檜の棒で世界を救ってこいとか言われる、どこかの世界の勇者様には深く深く同情する。


「…くっくっく」


 知れず笑みがこぼれる。あの与太話が正しかろうがどうであろうが、今ここにある金は間違いなく現実だ。考えろ、考えろ。ああそうだ、俺はあの日ひき逃げをした、そりゃちょっとは酒が入っていたが、そもそも横断歩道でもないのに、夜中にあんな所を渡ろうとしたクソガキが悪い、俺に非はない。

 それにあの女によると転生とやらを行ったそうじゃないか。こんなくそったれた現実から、血沸き肉躍るファンタジー世界とやらに行けたんだ、お互いwin-winの関係じゃないか。


「ははははは」


 ああそうだ、転生、転生だ、俺がしたのは転生の手伝いだ、ただ車を対象に当てるだけ。スタントマンどころか、無免のガキでも出来る簡単な仕事だ、それだけで大金が転がり込んでくる。後のことは全てあいつらがやってくれることは証明済み。いや、そもそもあんな訳分からん奴らの、意味不明な力でないと、あの事故は揉み消せなかっただろう。ならばもう悩むことなど何もない。


 取りあえず、いつも通りの日常を過ごしつつ暫しの日々が過ぎた。変わった事といえば金庫を買って押入れの奥に隠しただけ。まぁこんなボロアパートに大金が転がっていると思う輩は居ないだろうが、精神衛生上と言う奴だ。使った金もそれだけ、底辺層の俺がいきなり豪遊しだしたら怪しいなんて話ではない。


「いやー、ご連絡ありがとうござますー、えーっとあの日から3日ですかー、心の整理はおつきになられましたかー?」

「ああ、またせたな、覚悟は決まった。契約しよう」


 ――――――――


 今まで勤めていた会社は辞めた、あんな誰がやろうと務まるクズ仕事は、どこかのクズが引き継ぐだろう。だが、今の俺は今までのクズではない。選ばれし資格を持った人間だ。


 引っ越しもすまし、少しは上等な家に移った。無職では体裁が悪いだろうということで、適当な身分も用意してもらった。異世界なんちゃらなどという正気を疑う社名でなく、現実的な社名のペーパーカンパニーで、待遇は係長。

 まぁぶっちゃけそこら辺は適当なのでどうでもいい。給料も月払いでなく、一件ごとの現金報酬だ。どこから金が出ているのか一度聞いたことがあるが。


『異世界の管理者への願いや貢物、生贄などを多世界共通の資源などに変換しなんとかかんとか……』


 正直聞いたことを後悔した、まったく知らない通貨同士のFXをこの世界と異なるルールで取引を行い、その際の根回し気回し書類回しは日本の役所がままごとに見えるほどだそうだ。取りあえず納得できたことは、それだけの事務処理能力があれば、たかが事故現場のクリーニング程度鼻歌まじりどころか、指先ひとつだろう。


 それで仕事のことだが、依頼は月に2~3度向こうから連絡があり指定された場所に行く。そこで用意された車に乗り、指定された時間に、指定された場所を通ると、示し合わせたように歩道から出て来るモノを撥ねて、指定された場所で車を引き渡し、報酬を受け取り帰宅するだけ。

 現地集合現地解散、労働時間は1時間もかからない、交通費は出ないが残業もなく直帰できる。まさか自分の人生で金と時間にあまり、使い道に悩む日が来るとは思わなかった。


 これで何度目の依頼だろうか、今日もいつもの様に指定された車に乗り、通行ルートと回収ポイントの説明を受ける。担当者はいつも通り異世界花子、と言うかこいつ以外の社員とやらは見たことが無いがまぁ俺には関係ない。それにして相変わらず必要なことだけ伝えれば、いいのにぺちゃくちゃと話が長い。


「あははー、ところでどうですこの仕事、もう慣れましたー?」

「問題ない、お前が言ったことだろう。俺は異世界とやらを救う救世主を配送する唯の配送員。その配送手段がちょっと手荒なだけだ。」

「あははー、いやーいいですねーその開き直りっぷり!じゃー今回もよろしくお願いしますねー」


 車は駐車場を出、暗く閑散とした国道に進み出ていく。


「……さて、これでノルマは終わり、お疲れ様でした、それではさようなら」


 三日月の如く湾曲した口から洩れた女の呟きが、深夜の闇に溶け込んでいった。


 ――――――――


「違う!俺は轢き逃げなんかしてない!!俺は依頼されて異世界に!!」


 取調室では尋問が行われていた、罪状は轢き逃げ、だがのちの取り調べで男の自宅から大量の現金が発見、さらには所有していた別荘から未成年者が多数発見される。彼らは皆意識不明の重体で、現在病院で治療中である。

 数か月前まではごく普通の会社員として働いていた男が、何故これだけの現金を所有していたのか? 大量監禁、あるいは殺人未遂の動機と方法は? 容疑者は錯乱状態で尋問は遅々として進まないにもかかわらず。次々と上がってくる物証に捜査はさらなる混迷を極めていった。


 ――――――――


「ふーーーんっ!あー疲れた疲れたー」


 古びた喫茶店、店内奥のテーブルで手入れの行き届いたソファーで金髪の女性が伸びをする。


「それで、なんでまたあんなにめんどくさい事したんだ?」


 相席しているのは、和装に身を包んだ禿頭の中年男、ぎょろりとした目がいやに印象的である。


「んーいやー単なる気まぐれと言えば気まぐれ、思いつきと言えば思いつきというのもやぶさかではない今日この頃だけどね」

「ためた仕事をまとめて片づけようとして余計にこじらしたようにしか、みえねぇがなぁ」

「うん!そうとも言う!」


 女は腕を組み堂々と胸を張ってそう答える。

 男はキセルをふかし、やれやれと肩をすくめる。


「まぁあれ、最初はたまりにたまったガキどもの世話をどうしようかと悩んでる時に、あの飲酒運転男の依頼が来てねー。私、最近異世界ものにはまってることもあって〝これだ!″って思っちゃったのよねー。

 けどまぁーこれがまた、酒男は異世界転生って言葉自体知らないんでテンショングダグダになっちゃったけど、まーこれ以上仕事遅らせるのもさらにめんどくさくなるんで、えいやってね!」

「ふむ、まぁいいやそんでガキどもはどうしたんだ?」

「あーOKOK、そっちは抜かりなし。直接手出しするのも殺すのもルール違反だから、酒男に轢かせた後に、死ねない程度には修理してあるよん。まぁそのうち首から上は自由に動かせるようにはなるだろうから、ベットの上で好きに生きてくんじゃないのー」

「そういやその男にやった金はどっから出てきたんだ?依頼料じゃ足出ちまうだろ」

「もっちろん、ヤの付く自由業の方とか、グローバルな同業者のかたから、例の酒男のふりして頂戴してきたよん。これで塀の中に入っても安心だね!」

「はん、じゃあまぁ取りあえずはこれでたまっていた仕事は終了と、そんじゃお疲れさん」


 男はそう言ってキセルをふかす。先ほどより濃い白煙が男の顔を隠し、それが薄れた時には男の姿は店内のどこにも見当たらなかった。

 女は少し苦笑した様子でそれを見届けたのち、カラリと音を立ててアイスコーヒーを一口飲むと、カウンターでグラスを磨くマスターに声をかける。


「ねぇマスター、異世界ってあると思う?」

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異世界転生トラック派遣業 まさひろ @masahiro2017

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