君と紡ぐ物語
一夜
君と紡ぐ物語
「作者様、今日も気合充分ですね! 気合いだけでさっぱり進んでないですけど!」
ワープロソフトの白画面に文字が打ち込まれているだけの無機質な画面から、明るい声が響いてくる。
画面を切り替えると、エメラルドグリーンのベレー帽をかぶった可愛らしい女の子の顔が映った。
「後半は余計だよ、リンドバーグさん」
「すみません! でも悩んでいるばかりでなく、とりあえず書いてみるのも大事ですよ! それから私のことはバーグちゃんとお呼びください!」
「バーグさん」
「む……まあいいですけど」
と、バーグさんは口を尖らせる。
むしろ人間より感情表現豊かな彼女は、僕が小説を書いている投稿サイト『カクヨム』が開発した、作家サポート用のAIだ。
なかなか思うように筆の進まないでいる僕を支援するために、もう一ヶ月以上も面倒を見てくれている。これが良くできたもので、いつも僕が困っている時に適格なアドバイスをしてくれるのだ。小説を書いたことのない僕にとってはありがたい存在である。
……アメとムチの使い方だけは改良の余地があると思うけど。
「いや、とりあえず書いてみようにも、何を書けばいいのかわからないんだよ」
「そんな時はプロットに戻りましょう! 小説はプロットに始まりプロットに終わるのです!」
“プロットに終わる”の意味がよくわからないが、言いたいことはわかる。
けれど。
「君のアドバイス通りに作ってはみたけど、なんか書いてるうちに違うなって感じてきちゃってさ。そもそも自分が何を書きたかったのか、よくわからなくなってきた」
「あら、それは重症ですね。でも大丈夫、そんなのはよくあることです! 五万字も書いてからようやく気付いたんかいって思いましたけど!」
「やっぱそうだよな……」
「でも書きたかったことを見つめ直すというのは大事なことです! 私もお手伝いしますので、今からでも——」
「いや、もういいんだ」
僕が言うと、バーグさんはきょとんと首を傾げた。
「もういい、とは?」
「やっぱり僕には小説なんて向いてなかったんだ。書いてみてそれがわかった。だからもうこの辺でやめておくよ」
そもそも、仮に上手く書けたからといってそれが何になるのか。
僕にはそれを読んでもらう相手も、もういないのだから。
だから今までありがとう。そう言おうとすると、
「作者様——いえ、”元”作者様」
いつも笑顔だったバーグさんの顔から、表情が消えた。
冷たい、それこそ機械のような無表情。
「わかりました。その程度の気持ちだったのなら、確かに早いうちに諦めた方が賢明です。物語を書き上げるというのは、生半可な気持ちで達成できる作業ではありませんから」
そう言い残して、画面からバーグさんは姿を消した。
* * *
僕には好きな子がいた。
バーグさんのようにいつも笑顔を絶やさない明るい子で、皆からも人気があった。だから僕が彼女と話すようになれたのは本当に奇跡みたいなもので、たまたま読んでいた小説が彼女の好きな作家のものだったという、それだけのことだ。
好きな本について熱く語り合ったり、お互いに貸し借りをしているうちに、いつの間にか僕は彼女に惹かれていた。
でも彼女はある日突然、遠い所へ行ってしまった。
僕は引き留めることも別れの言葉を伝えることもできず、失恋すらできずに終わった。
終わったことだと自分に言い聞かせても、忘れることができないでいた——そんなある日、彼女が「自分でも小説を書いている」と言っていたことを思い出したのだ。
だからというわけでもないのだけど、僕も書いてみようと思い立った。
少年と少女の恋の物語を。
自分の気持ちに整理をつけたかったのかもしれない。あるいは、もしかしたら彼女の目に留まるかも、なんて淡い期待を抱いていたのかも。
——その結果がこのザマだ。
本を読むのが好きだから、自分にも書けると思い込んでいた。
自分の気持ちが物語になるなんて、それが誰かの心に届くなんて、考えた僕が浅はかだったのだ。
* * *
それから一週間、何もない日々が続いた。
慣れない執筆活動に頭を悩ませることもなく、ただこれまでの平穏で、空虚な毎日。
そこに彼らが現れた。
「やれやれ、やっと辿り着いたよ」
不思議な少年だった。
オレンジ色の髪に、中性的な雰囲気の顔立ち。
ショルダーバッグには丸まった地図のようなものが差さっており、その一枚を両手に広げていた。
心の中を見透かされているような瞳。
何より目を引くのは、その頭の上にちょこんと乗っている、フクロウのような謎の鳥だった。
いや、どこかで見たことがある。この鳥は確か……。
「トリさんもさ、僕が方向音痴だってわかってるなら案内してくれればいいのに。実は喋れるんじゃないの?」
彼の言っている意味を理解しているのか、頭上の鳥はぷいっと首を背けた。
「君は……?」
僕の家を訪問してきた少年に、僕は尋ねた。
すると、
「僕はカタリィ。カタリィ・ノヴェル。物語の配達人さ。カタリって呼んでよ」
気さくな口ぶりで言って、ニッコリと笑う。
その笑顔と鳥の組み合わせで、僕は思い出した。
「カタリって、あの“詠み人”の!?」
カクヨムを使っている人間で、その名を知らぬ者はいない。
何より、バーグさんがよく口にしていたのだ。
曰く、小説を読まないくせに採用されたのは裏取引をしたに違いないとか。
曰く、名前負けしているとか。
曰く、自分の方が人気があるとか。
とにかく、何故だか知らないが彼にライバル心を燃やしている様子だった。
だけどそんなことよりも大事なのは、彼の“詠み人”としての能力だ。
「ああ、この目かい? “詠目”といってね、人の心に眠っている物語をこの目で見ると、一遍の小説にすることができるんだ。おかしな能力でしょ? このトリさんから授かったんだよ。頼んでもいないってのにね」
僕の視線で気付いたのか、あるいは本当に心を読んだのか、カタリはそう言って自分の瞳を指さした。頭上のトリは相変わらず知らん顔だ。
「そうか、君がねえ。うん。バーグさんの言ってた通りの人みたいだね」
僕の顔をまじまじと見つめてカタリが言う。
「バーグさんが? じゃあ、もしかして僕の心を詠みに来たのか?」
僕に失望したようなことを言っていたが、もしかして彼女が頼んでくれたのだろうか。
カタリに、僕の物語を紡いでもらうようにと。
しかしカタリは首を振った。
「いいや、違う。今日は君に届け物があってきたんだ」
と、一冊の本を渡してきた。
タイトルも著者名も何も書かれていない、赤い装丁の本だ。
「これは?」
「まあまあ、読んでみてよ。僕は待ってるからさ」
「読むって、僕がこれを? 何のために?」
カタリは笑った。
「読めばわかるさ」
* * *
僕は道に迷って歩き疲れたというカタリに冷たいお茶を出してから、その本を開いた。
それは、恋の物語だった。
物語を読むのが好きな女の子が、同じ趣味を持つ男の子を好きになり、心を通わせるが、運命に逆らえず遠く離れ離れになってしまう物語。変わらない想いを抱き続けるも、それでも成就することなく結末を迎える、悲しい物語。
帰る間際、お礼を言った僕にカタリは「いいんだ、これが僕の仕事だから」と笑って手を振った。
「そうだ、もしよかったら、君の物語も詠目で見てあげようか? バーグさんははっきり言わなかったけど、君にもあるんだろう? 心に眠らせている物語が」
それはとても嬉しい申し出だった。
けど、僕は首を振った。
「自分で書いてみるよ。たぶん、今なら書ける気がする。だってこれは、僕が彼女と紡ぐ物語だから」
***
僕はパソコンを立ち上げ、ワープロソフトを起動した。
プロットは一から書き直しだ。五万字も無駄になるけど、構わない。
小説の内容は決まっている。
悲しい別れを経て、それでも忘れられない想いを胸に再び歩き出す、少年と少女の成長物語。
ワープロソフトの白画面に文字が打ち込まれているだけの無機質な画面から、明るい声が響いてきた。
「お帰りなさい、作者様!」
君と紡ぐ物語 一夜 @ichiya_hando
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