2.アナウサギのリネット②


「もしもし。お母さん?」

『あら?リネット!?パパ!みんな!ほら!リネットよ!』


古い受話器からは嬉しそうな声が漏れる。通信が繋がったことを確認し、リネットはケーキの最後の欠片をごくりと飲み込んだ。


ここは郵便配達員用にあてがわれた女子寮であり、彼女の住処である。現在のリネットは寮にふたつだけ設置された共用の電話機で、実家と連絡を取っていた。彼女の耳には聞こえすぎてしまうので、受話器は遠くに置いて、送話器だけを口元に持っている。


「みんな元気だった?」

『ええ!もちろん!』


声を掛けると、すぐさま元気な返事が返ってくる。そこで電話主が切り替わった。


『それよりリネット!ポスターを見たぞ!!』

「父さん。ああ…あれね…」


リネットがちらりと壁に視線を向ける。自分の絵が描かれた例の宣伝ポスターは、寮の建物内、電話機のすぐ隣の壁にも貼ってある。


「ウサギだから採用されたみたい…」


まさか追加で入った仕事の内容が、勤務先の広告塔とは予想外だったが。けれど確かに、せっかく入社したアナウサギを広告に使いたい理由も分かる。幅広い人材を採用していますアピールは重要だ。町中で自分と目が合うこそばゆさはあるものの、リネットだってこの王都、コーデートに仲間が増えるのは大歓迎だったし。


『けどなあ…やっぱり危険も多いんだろう?』


父の声が、電話越しでも分かるほど翳る。いつものアレだ。リネットが受け入れ態勢に入った。


『この前だって、ヘビの亜人に襲われかけたと言ってたじゃないか。兄弟達も皆心配しているぞ』


背後でわちゃわちゃと鳴き声がする。リネットの兄弟。弟と妹ばかりが合計48羽。

父はもう一度電話機に口を近付けて、控えめに先を口にした。


『やっぱりウサギが王都に行くなんて、到底無理だったんじゃないのか…?里に戻ってきた方が…』


(また、始まった…)


リネットがすうと息を吸う。


彼女はここ、コーデート出身ではない。アニマリア王国の隅の隅、山に囲まれた僻地がリネットの故郷だ。そして両親共にアナウサギの獣人である。


動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱ウサギ目ウサギ科アナウサギ属アナウサギ。その名前の通り、彼らは地中に穴を掘り群れで暮らす生き物だ。ネコやイヌと違い、完全な被捕食者側の生物であるウサギの生存戦略はとにかく逃げ回ること。ついでに高い繁殖力。アナウサギが異様に繊細で警戒心が強い理由は、これが原因である。


その血を受け継いでいるリネット一家もその親戚も、非常に保守的で草食動物の里からまともに出たことがなかった。ましてや多種族が混在する王都などもってのほか。本来数が多い筈のアナウサギの獣人が、コーデートでは希少種扱いされる理由もそこにある。


「大丈夫だよ。配達員としての功績が認められて、重要な配達地域も任せてもらえる予定だし」


けれどリネットからすれば、田舎に閉じ籠る生活などとんでもない。


「私はそこらの肉食獣人よりも強いんだから、大丈夫だって!」


拳をぐっと握る。忘れもしない幼少期。外に出てもやっていけるだけの自信をつける為に、自身の恐怖心を払拭する為に、彼女は努力をしたのだ。いつか王都に行くのだと、確かな目標を胸に。小さな頃から繰り返し鍛えた脚は、本来の才能もあいまって自身を守る立派な武器となった。数多の大型の肉食獣人をひっくり返し打ち負かし、格闘試合の無差別級でウサギ初の優勝を飾るに至ったのだ。地方大会だったけど。


「私に危害を加える奴なんて、一蹴りで凪ぎ払ってやる!」

『うう、リネット…』


受話器からは呻き声が漏れる。てっきり娘の努力に感動し咽び泣いているのかと思いきや、父は全く別の話を始めた。


『そんなに強くちゃ、お嫁にもらってくれるウサギなんて居ないよ…』

「い、いいんだってば!別にウサギと付き合いたいわけじゃないし!」

『最近はどうだい?お見合いするとか言ってただろ?』

「っ…!」


思い出し、リネットがびちりと固まる。言えるわけがない。つい先日、お見合いはした。お見合いはしたが、めちゃくちゃ怖い相手だった上に尻尾を巻いて逃げ帰ってきた、だなんて。






「おはようございます!」


翌朝、リネットは勤務先――ではなく、郵便物の配達先にいた。王城内の騎士団本部である。肩から掛けた鞄は彼女の体に不釣り合いな大きさで、はちきれんばかりに手紙や書留が入っている。


「本日から配達を担当させて頂くリネット・O・クニクルスです!」


その場の誰よりも元気に挨拶をする。通信事業があまり発達していないアニマリアでは、郵便局は重要な役割を担っている。配達には決して、間違いや事故があってはならない。特にここは王城内。送付物は全て、送り先の人物と対面して渡すのだ。配属された初めの仕事は、正式な配達員であると証明し、顔を覚えてもらうところから。


「ウサギだ!珍しい」


だが、幸か不幸かリネットは人に顔を覚えてもらえずに苦労したことはない。彼女の姿を目にすると、辺りに居た獣人達が、わらわらと寄ってきた。


「小さいね。それで成獣?」

「肉球見せてよ」


伸びてくる大きな手を、べちんと音を鳴らして叩き落とす。そしてはっきり宣言した。


「ウサギに肉球はありません!」


ここは騎士団本部だ。現在は国内の治安維持を任される彼らは、体を使う職業なだけあって、筋骨隆々な大型獣人がその大半を占める。けれど、自分よりひとまわりもふたまわりも大きな彼らを前にしても、リネットが怯え竦むことはない。こんなことで怖がっていたら、王都などでは暮らせないのだ。


「何?新しい配達員さん?」


人垣を縫って、すらりと背の高い男が話し掛けてきた。事務員だろうか、身長はあるが華奢な体格に赤い髪。その腕から生えた白と黒の大きな翼に一瞬オリヴァーを思い出しぎくりとしたものの、リネットはすぐに胸を張り直した。


(ほら、平気!)


ふんすと鼻を鳴らして、彼の暗褐色の瞳を見つめる。


(それに、あの人にはもう二度と会わないだろうし…)


仲人のアミーリアには、あれからすぐにお断りの手紙を送った。おそらく今日ぐらいには彼女の元に届くことだろう。


「団長様に一言ご挨拶したいのですが、どこにいらっしゃいますか?」

「ああ。この時間なら団長室にいるかな」

「なるほど。あっちですね」


ふんふん鼻を動かしながら頷く。礼を言ってその場を後にするリネットの心は、希望でいっぱいだった。


(都会に出て3年が経ったけど…こんな重要な管轄を任せてもらえるようになったんだ。頑張らなきゃ!)


「おはようございます!」


団長室の半分開いた扉から顔を出し、彼女は元気に挨拶をする。


「本日から配達を担当しますリネット・O・クニクル、ス…」


意気揚々と続けた台詞はどんどん小さくなっていく。ばさりと部屋の隅から隅まで広がるのは黒檀色の翼。白い尾羽との対比が美しい。部屋の主はどうやら、文字通り羽を伸ばしていたらしい。そう。羽根、羽、翼。


宝石のような瞳にぽつりと浮かぶ虹彩がこちらを捉え、わずかに広がった。


「む。お前は…」

「っ…!?」


リネットの頭は真っ白になる。驚いたせいもあるが、何よりも恐怖で。


騎士団本部、厳つい獣人達を取り纏める長が控える団長室。そこに居たのは、オリヴァーだった。


「ヒ…ェッ!」


本能とは全くもって厄介だ。生まれ持った恐怖心を払拭するために、クマやライオンの獣人とも戦った。慣れるために何度も何度も、そうして本能を抑え込めるだけの自信をつけた。そう、できる限り万全の準備をした上で、親を納得させ出てきた道だった。だがしかしどうして、何でも予想外なことはある。


単純に、彼女の住んでいた地域には大型の猛禽類が居らず、対面するのはオリヴァーが初めてだったのだ。

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