4.タンチョウのバイロン②
「鳥類、鳥類…あ。あった!」
大きな図鑑をべろべろめくりながら、リネットが声を出した。ここは郵便配達員用女子寮。その共有スペースにて、寮所蔵の動物図鑑にリネットは真剣な表情で向き合っていた。
「オリヴァーさんの種族は何なんだろう…」
もう会わなくて良いのだと安心していた先日から一転、彼とは長い付き合いになりそうなことが判明してしまった。何せ配達先、配達先なのだ。
(お断りの連絡をした筈のアミーリアさんからも、「あきらめて欲しい」ってよくわかんない手紙が返ってきたし…)
いくら猛禽類に馴れていないとは言え、本能が彼を怖がるとは言え、これも仕事。怖がってばかりもいられない。そして目の前の状況を打破する為には、まずは敵を知るところから。
「オウム目な訳がないし…キジも違う…」
目を引く色鮮やかなページをよそに、どんどん紙をめくっていく。オリヴァーの翼と色を思い返しつつ、図鑑の中からそれに合致する鳥を探す。その手がふと、水鳥のページで止まった。そこに描かれていたのは、決して派手ではないが、洗練された色彩の鳥。白と黒にぽつりと浮かぶ赤、細長い脚などなんとも美しい。
「タンチョウ…一度伴侶を決めたら生涯変えることはない、かあ。へえ、一途だなあ」
野性動物と言えば、その最たる目的は繁殖である。アニマリアでは獣人はあくまで「人」扱いだ。一夫多妻や一妻多夫などの複婚はごく一部の種族でしか認められていない。とは言え、本能を言い訳に誘惑に負けてしまう者も決して少なくはないこともまた事実。
「オリヴァーさんは水鳥ではないよね。やっぱり猛禽類かなあ…、っ!」
次に捲ったページいっぱいに、大型の猛禽類が出てきて言葉に詰まった。絵と分かっていても、あの羽音を思い出すと少しひやっとする。
「……」
リネットが開いたまま、図鑑を机の上に置いた。鼓動を落ち着かせてからゆっくり近づく。少しばかり顔から離しながら、こわごわ図鑑をめくった。
「尾羽の形からして、トビではなさそう…」
「ちょっと!リネット!」
その時、ぷんすかと怒気を交えつつも愛らしい声が響いた。
「この可愛い私を無視して本に夢中なんて、良い度胸じゃない!」
「へ…?あ!」
一瞬視線を上げた隙に、声の主はリネットと図鑑の間にするんと頭を入れてきた。視界が灰色の後頭部で埋め尽くされる。
「ベアトリス」
「例のお見合い相手のこと調べてるわけ?」
リネットにぴったりくっ付きながら、つぶらな瞳が振り返る。嵩のある毛はほんのり濡れていて、細長い尾はくたりと床に垂れている。彼女はべちべち机の上を叩きながら、口を開けて主張した。
「だから私の紹介で知り合っとけって言ったのよ!」
この女性、ベアトリスは同僚であり友人である。少しばかり気の強い彼女は友達想いで、リネットの恋人探しを手伝ってくれようとするのは良いのだが。
「だってベアトリスの合コン、いつも水の中でやるんだもん…しかも海水」
「水の中じゃなくて上!せっかく高級寿司も出るクルーズ船だったのに!」
「どっちにしたって、水も寿司もそういう上流階級の男性も苦手だって。こっちは田舎から出てきたただのウサギなんだってば…」
ベアトリスの持ってきてくれる話は、リネットの理想とする男性と出会う場としては少し外れているのである。それを聞かせると、彼女はリネットの腕の間からするんと抜けて、目の前の椅子に腰かけた。尖らせながら、小さな口を開く。
「じゃあ聞くけど、どんな人が理想なの?」
「え、ええと、そうだなあ…」
リネットの顔がぽんと赤くなった。耳を上げたり下げたり、もじもじしながら続ける。
「優しくて誠実で、私を守ってくれる人かな…。何なら同じウサギでも…」
「えー!同じ種族なんて私は絶対イヤ!」
「けど、お互い習性はわかってるわけだし、結婚したら楽じゃない?」
異種族結婚に置いて最大の問題は、習性の違いである。いざ偶蹄目の男性と結婚してみれば、彼の行う反芻行為が生理的に受け付けず離婚なんて、悲劇的な話も聞く。けれどベアトリスは、ふるふる首を振った。
「知ってるからこそイヤなの!だって私の場合だと、オスは交尾の時に鼻を噛んでくるのよ!」
「へ!?」
「子育てにだって協力的じゃないし、同じ水棲哺乳類ならビーバーが良いわ。家作ってくれるし」
言いながら、ベアトリスは腕を組んでうんうん頷く。こんなに可愛い種族なのに結構えぐいんだなあなんて思いつつ、リネットはふと自身の脚に視線を落とした。
『そんなに強くちゃ、お嫁にもらってくれるウサギなんて居ないよ…』
彼女の脳裏に、父の言葉が甦る。故郷にはたくさんのオスウサギがいたが、リネットはうんともすんともモテはしなかった。人気があるのはいつだって、弱いウサギの中でもさらにか弱くロップイヤーの女性だったのだ。格闘試合で優勝してしまうような、そして天に向かってまっすぐいきり立つ耳を持つリネットは、完全にお呼びではなかった。
(確かにコーデートに来ても、恋と食欲を混同させた蛇人に言い寄られる始末だし…)
小ぶりな鼻を動かしながら、リネットがうーんと唸った。
(強い私を受け入れてくれるような理想の人、どこかにいないかなあ…)
「あ!リネット!」
図鑑を眺めていたベアトリスが、ふと声を上げた。興味津々と言った様子で、大型の猛禽類がでかでかと映る見開きのページを翳す。
「知ってた?ワシの一部の求愛行動は、遥か上空からオスメス一緒に飛び降りることなんだって!」
「ヒエッ!」
その絵にオリヴァーを思い出したことと、そら恐ろしい求愛行動を聞かされて、リネットが思わず悲鳴を上げる。
(やっぱり、他種族でも猛禽類だけは絶対に無理!)
改めて思い直す。恐怖のあまりその図鑑を畳んでいると、全く別の場所から声が掛かった。
「リネット!あなたにお客さんよ」
「お客さん…?」
不思議に思いながら顔を上げる。すると彼女を呼びに来た友人は、意味深な笑みを浮かべてツンと肘でリネットをつついた。
「もう。隅に置けないんだから」
「……?」
あの顔は見たことがある。リネット達が住むのは男子禁制の女子寮だが、来客スペースの範囲になら男性も立ち入ることができる。それが使用される時に、皆が皆浮かべる表情に近い。そう、あれは他の寮生が彼氏を招いた時に見せる、冷やかしの顔だ。
(けどそんなわけないし…)
何せリネットの来客なのだ。悲しいことに、そんな彼女は恋人なぞ生まれてこのかたできたことがない訳で。何かの間違いだろうと、何だか今日はやたらに人がいる来客用スペースに向かった。
「ンッ!?」
そして心臓が止まったかと思った。
「っ…!?」
部屋の中央、女の子達に囲まれて、無表情でソファに座るオリヴァーの姿を見たからだ。
「む」
「っ!」
目が合い、思わず地面を強く蹴って逃げ出す。風を切り廊下を走りながら、心の隅で安堵する。何せここは女子寮。男性立ち入り禁止区域に戻ってしまえば、こっちのものだったのだ。脚力には自信があるし、走り出しも良かった、大丈夫だ。逃げ切れる――。
が、突如視界が暗くなったと思ったら、上から翼が被さってきた。
「ギャーッ!!」
文字通り飛んで来たオリヴァーである。そのまま床に押し倒され、身動きが取れなくなる。まあ床ドンだわなんて、辺りの女性達による黄色い悲鳴があがる中、リネットだけは本気の悲鳴を叫んだ。
「す、すまない。逃げるから追いかけたくなってしまって…」
「う、うう…」
オリヴァーが上から退き、リネットも体を起こす。
「……」
「……」
目の前で、彼はばさばさと翼を仕舞う。同時に、リネットの心臓はきゅっとひとまわり縮んだ。
こうして前にしても、やっぱり怖くて堪らない。何なら背後から襲われかけたことにより、恐怖心は更に大きくなっている。
「な、何をしに…?」
そう聞いてから、寮の女の子達が固唾を呑んでこちらを見ていることに気が付いた。その目はきらきらと輝いている。そしてリネットは見た。オリヴァーの手に、何だか大きな花束がおさまっていたのだ。
(……?)
「リネット。聞いて欲しいことがある」
不審に思う彼女を前に、オリヴァーは真剣な表情で口を開く。
「初めて見かけたあの時から、君のことが好きだ」
一瞬、場を沈黙が支配した。
「……は?」
そしてリネットの口からは思わず、らしからぬ声が出た。
「……」
「っひ!」
呆然としていると、オリヴァーが動いた。服が汚れるのも構わず、床に膝をつく。そして突然動いた捕食者に対し、リネットが恐怖のあまり声にならない悲鳴を上げる。だがしかしオリヴァーは気が付かない。周りで冷やかしの声を上げる女性達も気が付かない。
「リネット…」
顔の前に花束を掲げて、オリヴァーは彼女に向けて言葉を紡ぐ。
「私を君だけの…ナイトにして欲しい」
「…!?!?」
場は大いなる盛り上がりを見せたが、リネットは顔面蒼白だった。だって先日のお見合いは、失敗だった筈なのだ。まともにできた会話も表に出ろぐらいで、ほんの少しだってときめきの要素は無かったのだ。意味が分からねえ。
しかもよくよく考えてみよう。普通、付き合ってもいない女性の住居に突然現れるナイトがいるだろうか。否、これをストーカーと言うのである。
「リネット…。その耳や姿を見る度に…思わず背後から襲いたい衝動に駆られたり、抱えて飛びたいと言った感覚に襲われるんだ…」
それはオリヴァーがタカ目タカ科であるからである。そしてリネットがウサギ目ウサギ科だからである。
ガタガタと小刻みに震えだす彼女にはやっぱり気が付かず、オリヴァーは更に畳み掛ける。
「君といると、まるで新しい欲求に支配される」
彼は頬を染めて恥ずかしそうにそう語るが、リネットには完全に別の意味に聞こえた。
(そ、それは食欲と言うのでは――)
「必ず幸せにする。私と、結婚してほしい」
生まれて初めての求婚。愛が少しばかり重量級ではあるが、相手は優しくて誠実で自分を守ってくれる人物で、まさにリネットの理想とするところだった。ところがどうして本能とは困ったものだ。
強者からターゲットにされたと言う事実、そして何より種族の違いが大きすぎた。彼女の長い耳には、求婚ではなく捕食宣言として届いた。
「リネット…」
気付かないオリヴァーはさらに続ける。そして口にする。彼女からすれば恐怖のかたまり、絶望的なあの単語を。
「求愛行動は、いつが良い?」
その瞬間、リネットは白目を剥いて、気絶した。
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