3.タンチョウのバイロン①


アニマリア王国、その王都であるコーデートには、ところどころに伸羽のしば所なるものが存在する。読んで字のごとく、羽を伸ばす施設である。普段は羽根を畳んで生活する鳥人達が定期的に寛げるように、特別に用意された部屋だった。いやいや喫煙所でもあるまいし、そんなもの必要ないのではと侮るなかれ。


鳥類と一口に言っても、その種類は千差万別。例えばアホウドリの1種は広げた時の翼の長さが身長の3倍近くに達するし、ハクチョウは翼の力だけで人を骨折させることができる。「互いの違いを分かり合い安全に共生」が、アニマリア王国が掲げる標語である。羽を広げて伸ばすならば伸羽所で行うのが、一般的なマナーであった。


そしてここ、騎士団本部はその王国のお膝元な訳で、同施設が導入されていない筈がない。他にも水棲獣人の為の海水・淡水補給所や光の入らない暗室なども存在するのだが、今は置いておこう。


「ふー…生き返る…」


そんな伸羽所で、鳥の獣人、バイロンは息を吐いていた。雪のような白地の翼を完全に広げ、黒い羽先まで露出している。


バイロン・G・ジャポネンシス。アニマリア王国コーデート内にある騎士団本部にて、現在事務官を務める獣人である。扉が開く音に、その赤い髪を上げた。


「よお。お前も?」

「ああ」


室内に入ってきた人物は、オリヴァー・H・レウコケファルス。彼の友人であり、騎士団本部の団長だった。

今日も今日とて厳しく光る表情をほんの少しだけ和らげて、ばさりと巨大な翼を広げる。


「執務室は私専用であるし、普段はあちらで広げてしまうのだが。今は換羽期だからな」


事実、彼が大きな翼を振れば、羽毛が舞い散る。普段は滑らかで美しい羽並も、乱雑に生えちくちく尖っている。


「辛いな。痒いし早く終わるといいな」

「全くだ」


抜けた羽毛が壁に取り付けられた吸引装置に消えていくのを見送りながら、バイロンは目の前の友人に視線を向ける。


「そういえば、俺の奥さんの友達にフラミンゴの女の子がいてさ。お前のこと紹介してって言ってたけど」

「彼女達は大勢で集まる習性があるし…それに、ああいった派手な女性は苦手だ」

「まあ、お前はそう言うと思ってたけどさあ…せめて可愛いか?とか聞けよ」


オリヴァーとは士官学校の頃に知り合った仲だ。彼の鍛え抜かれた肉体に精悍な顔立ちは、鳥人からも獣人からも人気が高い。けれどところがどうして、この友人はとんだ朴念仁だった。当時からいくら良い話を持ってこようとも、どんな美鳥から声をかけられようとも、彼はうんともすんとも反応しない。


「唯一無二の相手が居る生活って言うのは、幸せで良いもんだぞ」


バイロンがため息を吐く。けれどこの助言に対するオリヴァーの答えは常に同じだ。


『今は忙しいから考えられない』


これが彼を若くして団長の座に押し上げた性質である。潔癖で高潔、仕事以外のことには見向きもしない。だがしかし、今日の彼は違った。


「彼女となら、そうかもな…」


相変わらず変化の分かり辛い表情で、けれど確かにそう呟く。


「…へ?」


ぱちぱちと瞬きをする。1拍遅れて、驚きでバイロンの黒い尾羽がぶわりと広がった。


「できたのか!?彼女!」


立ち上がって聞けば、オリヴァーが無言で首を振る。


「まだ交際はしていない」

「え!じゃあ好きな子か。もう踊った?」

「いや。バイロンと違って、私達の求愛行動は舞うことではない…。それに彼女は異種族だからな」


鉄仮面の彼はいつも通り頬のひとつ染めることは無かったが、その眉根から皺が消えたことを、バイロンは見逃さなかった。オリヴァーからすれば大きな変化である。


「彼女が運命の女性だ…。リネット…」


さて。

仮に、リネットがあの見合いを恐怖と絶望がぶつかり合った悲惨な交通事故だと思っていたとしよう。何かの間違いで起きてしまった、稀有な惨劇なのだと。ところがどうして、あの時同時に、オリヴァーの中では恋の交通事故が起こっていた。


「毛に覆われた耳に尻尾…つぶらな瞳などこの世のどんな女神よりも美しいと思った…」

「鳥類でもないのか!勇気あるなあお前。応援するよ」


縁談中、終始無言で睨み付けていたのは、怒っていたのではない。あまりの愛らしさに感動し、まさに言葉が出ない状況であっただけなのだ。


「彼女と共に居る間、心地よい時が過ぎた…。そうして外で散歩でもしようかと思った時のことだった」


あの時、オリヴァーが発した「外に出る」は解散の意味合いではなかった。女性関係にとんと疎い彼が精一杯捻り出した、少しそのあたりでも歩かないかとのいじらしいお誘いだったのだ。


「目を離した隙に、どこかに行ってしまってな。探しに飛んだところで、暴漢に襲われている彼女を目にして、すぐに助けに入ったよ」

「おお…!そんなことされたら惚れちまうなあ。お前、ヒーローだな!」


バイロンは喜ぶが、実際のところは彼女が絶大な恐怖を感じた対象はオリヴァーである。助けに来てくれたどころか襲いに来たぐらいに思っている。


「暴漢に怯えた彼女はその場から居なくなってしまった。ところが何と、私は彼女に再び出会った…」


だがしかしオリヴァーは気付かない。そして気が付かないまま、夢心地で呟く。


「運命だと思った…」


リネットは地獄だと思った。


まさかそんな風に思われているとは露程にも知らないオリヴァーは、言葉を切りバイロンに視線を向ける。


「やはり、告白しようかと思うのだが」


それを聞いて、バイロンは慌てて羽根を振る。


「おいおい。何言ってんだよお前」


そう。普通ならば、待ったをかけるところである。いくら何でも初対面で1時間、再会した時など1分間しか彼女と共に過ごしていないのだ。しかも話など殆どできていない。ふたりが出会ったのはお見合いとは言え、時代は自由恋愛社会。互いのことを知るのにじゅうぶんな日数は踏むべきであろう。


だからバイロンは既婚者として先輩として、まさに鶴の一声を掛ける。


「交際からなんて不誠実だ。申し込むなら結婚だろ」




――さて。

突然だが、バイロンの種族はタンチョウである。いわゆるツル。正しくは動物界脊索動物門脊椎動物亜門鳥綱ツル目ツル科ツル属タンチョウ。湿原地帯に姿を現す、色合いが非常に美しい水鳥である。


そんなツル目全般と一部のタカ目には他の動物ではそうそう見られない、変わった性質がある。彼らは一度決めたら最後、生涯伴侶を変えないと言う野性動物にはあるまじき性質が。


そして一部のタカ目であるオリヴァーは、ツル目のバイロンの言葉に頷いて、静かに言った。


「やはりそうか。私もそう思っていたところだ。求婚してこよう」


彼らの愛は、重かった。

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