脊索動物門より愛をこめて

エノコモモ

1.アナウサギのリネット①


「皆様のいちばん近くに寄り添う存在でありたい。私達はアニマリア国営郵便公社です」


町のラジオからは、勝手知ったる公共企業のコマーシャルが流れる。当該の会社は国が郵便事業に力を入れているだけあって、最近は広告が非常に多い。この喫茶店の店内、その壁にもぺたりと1枚。ポスターの中央には長い耳が頭から生えた少女の絵、あと吹き出し。


<ウサギの私も働いています!局員募集中!>


そんなポスターの前で、その少女と全く同じ顔をしたリネット・O・クニクルスは、そっと長い耳を動かす。いつもは天に向かって垂直に伸びる自慢の耳だが、現在はへたりと頭の横に下がってしまっていた。


(い、一体なんで。こんなことに、なったのか…)


目の前のキャロットケーキを見ながら、リネットは呆然とそんなことを思う。模様の描かれた白い陶器に乗った、目も覚めるような橙色。上にとろんと乗っかったのはクリームチーズ。普段なら大好物のそれに、口をつける余裕もない。


「……」


辺りをそろりと見回せば、心地良い活気に包まれた店内。上品な内装に洗練された雰囲気は、今回この店を選んだ彼女のセンスを物語る。どのテーブルも、女性客を中心に大いに賑わっている。


「……」

「……」


だがしかし、リネットの居るこのテーブルだけは、やっぱり静寂に包まれている。彼女の背中からは冷や汗が流れ、その小柄な体は小刻みに震えている。居心地の悪さのあまり座り直すと、背中と椅子の背もたれの間で尻尾がぎゅうと潰れた。


さて。体から生えた耳に尻尾、お察しの通り、リネットは人間ではない。ウサギの獣人である。正しくは動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱ウサギ目ウサギ科アナウサギ属アナウサギ。

殆どの住人が獣の性質を持つアニマリア王国でも、この王都に置いては少しだけ珍しい種族である。


(田舎から出る時もそれなりに苦労したけど…今の方がよっぽどピンチな気がする…!)


「……」

「……」


人より苦労をして上京や就職を乗り越えてきたリネットでも、これ以上の壁は無かったと断言できる。それほどに目の前の状況は度し難い窮地なのである。


そう、現在のこの。――お見合いは。






『リネットちゃん。ぜひ、私の息子と会ってくれない?』

『息子さん、ですか…?』


まず、話を持ってきたのは、王都コーデート内のコミュニティのひとつ、「小型獣人の会」で知り合った女性だった。そう、小型獣人。何度も言うが、小型獣人である。事実その女性は、丸い耳に大きな瞳、つんと尖った鼻など非常に可愛らしく、リネットよりも小柄な体躯を珍しく思ったものだ。


『あの子と来たら、まともに彼女も連れてきたこともなくって…。あなたと同じ公務員なの。いかが?』


ほんわか笑うその女性の息子と言うからには、同じく愛らしくて小型の獣人を想像するではないか。なら良いかなあへへへなんて、彼氏いない歴=年齢のリネットはまだ見ぬ見合い相手にほのかな期待をするではないか。


(なのに、一体どうして…)


「…食べないのか」

「ギッ!」


突然、目の前の彼から「食べる」だなんて物騒な単語が出てきて、思わず変な声が出てしまった。いや、リネットとて分かっている。彼が言っているのは机上のキャロットケーキのこと以外のなにものでもなく、これが単なる被害妄想であることは、理解しているのだ。万が一にも、「食べる」がリネットのことを示しているわけではないなんてことは。


「お、お腹いっぱいなので、持ち帰ります…」

「…そうか」


何とか小さな声を絞り出すと、低く重い声が返ってきた。


「……」

「……」


その彼をもう一度見て、リネットはやっぱり固まる。


今回、彼女の見合い相手として現れた彼の名前は、オリヴァー・H・レウコケファルス。白目の面積が広い三白眼、精悍な顔立ちはそうやすやすとは崩れない。大きな体躯にそれを凌駕する巨大な翼。いやいや、何度も何度も言うが、この見合いは小型獣人の女性の息子が相手だった筈なのだ。


それが一体どうして、大型の猛禽類系男性が来ると予想できただろうか。


(こ、怖い…!)


捕食者の目と視線がかち合って、リネットは慌てて目を逸らす。


(アミーリアさん…!なんでこんな仕打ちを…)


とんでもない縁談を立ててくれた仲人のことを思う。彼女は「あとは若い人だけでゆっくりと」なんて常套句を言いながら、会計だけ済ませて行ってしまった。恐怖やら混乱やらで、リネットが耳を上げたり下げたりあうあうしている内に。


(でも彼だって絶対に、予想外だったよ…!)


何せ目の前のオリヴァーは無言である。何を考えているのか分からない鉄仮面で一生、椅子に座ってリネットを睨み付けている。アミーリアが居る時は多少喋りはしたが、彼女が消えた後はただひたすらに無言、睨み、無言、睨み、無言。これは機嫌が悪いのではないだろうか。


(確かに、あり得る…!)


粗相をした覚えはないが、何せオリヴァーはリネットと並べば大人と子供ぐらいのサイズ感の違いはある。リネットが困惑し恐怖を抱いているように、オリヴァーが怒りを覚えた可能性はある。何せ見合いと聞いて意気揚々と来てみれば、相手はこんなちんちくりんだったのだ。


「外に…」


重低音の声が飛んできて、リネットの耳がびくりと震える。こわごわオリヴァーを見上げると、彼は微塵も表情を動かさずに、口を開いた。


「外に、出るか」

「!」


その言葉を受けて、リネットは察した。解散だ。


「は、はい…」


(ようやくこの状況が、終わる…)


ほうと息を吐く。やっとこの緊張と恐怖から解放されるのだ。リネットからすれば途中からお見合いではなく我慢大会になっていた訳で、もう震えすぎて心臓が痛い。


そうして結局手をつけることができなかったケーキを、従業員に包んでもらっているその時だった。


「引ったくりよ!誰か捕まえて!」


一瞬、喫茶店の扉が開いた隙をついて、路地の方から届いた声。


「!」

「…どうした?」


オリヴァーには聞こえなかったらしい。けれど人より長く面積の広い耳を持つリネットには、確かにその声が聞こえた。






「へへ…ここまで来れば良いだろ」


リネットが見つけた時、そのひったくり犯は建物の影に居た。追っ手を振り切り、今しがた盗んだばかりの鞄を開けている。彼の背後から、足で地面を踏み締め、勢い良く飛びかかった。


「やっ!!」

「っ!?」


リネットの蹴りは見事に当たり、男は前につんのめって地面に転がる。リネットは綺麗に着地を決め、びしりと指を突き立てた。


「その鞄を返しなさい!」

「くっ…!」


男が首もとを抑え、呻き声をあげながら立ち上がる。彼の姿を見て、リネットが慎重に息を吐いた。


(トカゲ…いや、ワニかな…)


爬虫類独特の細長い虹彩に、頑丈で厚い岩のような肌。引きずっている尻尾には等間隔で歪な三角形の角が生えている。リネットの知るワニの亜人よりも少し小柄で頭が大きい。だが、それでもじゅうぶん、彼女よりは体格が良い。

同じくリネットを観察していた彼は一度、瞼と瞳の間にある瞬膜をぱちりと閉じた。


「ウサギか…」


馬鹿にしたように笑う。鞄を握り直したのを見て、リネットはむっと口を尖らせながら、深く腰を落とした。


(ウサギだからって甘く見て。さっきは萎縮しちゃったけどあの人からは逃げ切れたし、もうワニなら怖くない!後悔させてや、る…)


「っ!?」


ところがその瞬間、思ってもみない方向から音がした。わずかではあるが風を切る音。高い鳴き声。聞いたことのない音だった。しかしそれを聞いただけで、リネットの全身にはぞわっと鳥肌が立った。


(な、なにこ、)


その心臓が握られているような感覚がいちばん大きくなったところで、目の前に突然、何かが墜落した。


「っ…!?」


舗装された煉瓦が割れて、もうもうと土煙が立ち昇る。今、空から黒いものが降ってきたような。そうして一瞬視界が遮られた隙、わずかな空白の間に、決着は付いていた。


「へ…っ!?」


白煙の隙間を縫って、食肉目の瞳がぎらりと光る。そこにあったのは、ワニ男を上から押さえつけるオリヴァーの姿だった。


「ぎぅ、」


変な声が漏れた。そう、もうワニなら怖くない。ライオンだってキツネだって克服した。けどこんな獣人がいるだなんて、聞いてない。

もうすっかり意識を飛ばしたワニ男を放って、彼はそのまま、リネットに近付いてくる。ズシャリと大地を踏みしめる音がした。


「大丈夫か」


投げ掛けられたのはこちらの身を心配する言葉。けれどリネットは聞いちゃいない。足の震えは全身に行き渡り、頭の中では命の危機を知らせる警告音が盛大に鳴り響いている。


恐怖のあまり、それこそまさに脱兎のごとく、リネットは逃げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る