6.ラッコのベアトリス②
「……」
問題のデートの当日、オリヴァーとの待ち合わせの時刻ちょうど。リネットは女子寮の前に居た。玄関前の階段に腰かけながら、建物に設置された時計を見る。
(今が、17時…。約束の時間だ)
そう、今の時間は待ち合わせの時刻ちょうど。きっかり同時刻、まさにこの時である。そして待ち合わせの場所は、王都コーデートの中央に存在する噴水広場。そして彼女が居る場所は、そこから少し離れた位置にある女子寮なのだ。今から出ては、確実に間に合わない。だがリネットは慌てもせず、少しだけ居心地が悪そうに尻尾の位置を直した。
これこそがベアトリスに習った、嫌われるための極意その1。『デートに大幅に遅刻する』である。
と言うわけで、わざと遅れて到着しようと目論んでいるわけだ。けれどリネットは自分で思っている以上に、律儀な性格だった。ほとんど逃げ場がなかったとは言え、自分は約束をした。約束をしてしまったのだ。待っている人が居ると言うのに自室でのんびりゴロゴロすることもできず、玄関前でただ時間を潰していたのである。
「うう…胃がきりきりする…!」
罪悪感でいっぱいだ。致し方ない。これまで不可抗力はあれど、意図的に遅刻するなど有り得ない人生だったのだ。そうしてお腹を押さえうんうん唸った後、ふと気が付いた。
(嫌われるって言うか、これ殺されるんじゃない…?)
何せ相手は縦社会で生きる騎士団長様である。遅刻には厳しい可能性がある。大いに厳しい可能性がある。
「こ、これ、今からでも行った方が、」
さあっと耳まで青くなる。毛皮をつるんと剥かれる未来を思い描き、真っ青になったリネットが立ち上がったその時だった。
「へ」
風を切る音。これはやばいと判断を下す一瞬前、上空から何かが突っ込んできた。
「ヒギャー!」
それは寸前で止まり、彼女にぶつかることはなかった。が、驚きのあまりリネットがひっくり返る。
「ああ、良かった」
降ってきたのは、オリヴァーの声だった。
「事故にでも巻き込まれたかと…」
ばさりと羽毛が舞う。飛んできたオリヴァーから掛けられたのは、優しい言葉。時間になっても現れない彼女の身を心配し、待ち合わせ場所からわざわざここまで駆け付けたのだろう。だがしかし、リネットは思った。
(に、逃げられない…!)
何せ彼には職場も家も露呈している。しかも待ち合わせ時刻の17時からは、まだ5分そこらしか経っていないのだ。来ないと認識してすぐ飛んで来たこと、そしてとんでもない速度で飛んできたその事実に、ゾッと鳥肌を立てる。
「……」
「……」
彼女の無事を確認すると、オリヴァーは頷いて背を向けた。
「行くか」
「あ、あの!」
リネットが声を掛けると、振り返る。肉食獣独特の瞳にじっと見られ身が竦むが、何とか声を絞り出した。
「あの、私の格好、気になりません…?」
両手で自分を指し示す。オリヴァーは彼女をしげしげと眺めた後、たった一言だけ呟いた。
「いや、特には」
「…え、そうなんですか?」
「ああ」
何を隠そう。リネットの格好は、着ぐるみだった。
そう、これも作戦である。嫌われるための極意その2。『ヤバイ格好でデートに来る』だった。
ちなみに服は寮の同僚に貸してもらった。仮装パーティーで使ったものなのだそうだ。彼女はペンギンの獣人だったが、着ぐるみ自体はシャチを模したもので、シャチの口から自分の顔を出せる。着るとあら不思議、丸呑みされているように見える優れものである。相当のブラックジョークを含んだ服装で、リネットはデートに挑んだ。夕焼けに白と黒の対比は目立つ上、顔が出ているぶんなかなか恥ずかしいが、これも我慢と羞恥心を飲み込んで。
これを教示したベアトリスは「隣に並びたくないと思わせたら勝ちよ!」と胸を張っていた。彼女が普段どんなデートをしているのか非常に気になったが、聞かないでおいた。けれどこれはなかなかに、隣に並びたくない理想の格好なのではないだろうか。どこの誰がシャチに丸呑みされたウサギを隣に並ばせたいものか。
(な、なのに…!なんで…!?)
だがしかし、オリヴァーには効果がない。混乱に陥るリネットを前に、オリヴァーはごほんと咳払いをした。目が合うと、小さく呟く。
「今日も…その、食べてしまいたいぐらいだ…」
さて。リネットが嫌われる為の努力をしている間、オリヴァーも頑張っていた。今日のデートの為に、勉強をして来た。バイロンから熱心に話を聞き、面白がった彼の奥さんから参考資料を借りた。ただその教材が、歯の浮くような台詞がたくさん出てくるような恋愛小説だったのだ。
今の発言も、バイロンから学んだ「デートに来たらまずは褒める」と、小説内でイケメンアライグマヒーローが言っていた「君を洗って食べちゃいたいな」が、奇跡的な融合を果たした結果だった。好きな女性の為に、少し背伸びをした結果だったのだ。リネットが恥を忍んで用意した格好も、残念ながら、緊張とときめきで彼の目には見えていなかった。
「っ…!」
だがしかしオリヴァーの中で軽い事故が起こっていることなど、彼女は知る由もない。当然、リネットは思った。
(喰われる…!)
怯えた。心底怯えた。キザな台詞は、彼女の前では冗談にも喩えにもなってはいなかった。褒められたなんて微塵も思ってはいない。彼が服を見てないのも道理である。中身を喰うのだから服は関係ないもの。
命の危機を感じ震えるリネットと、冷静に見えて実はいっぱいいっぱいのオリヴァー。ふたりのデートは、いつもの状態から始まった。
そしてふたりのデートは、その状態で終わろうとしていた。
「……」
「……」
音楽会帰りの夜道を、ふたり並んで無言で歩く。リネットは服を着替え、普段の服装に戻った。意味がないと分かった今、シャチ丸呑みスタイルはただ恥をさらすだけである。
コンサートは素晴らしかった。まさにため息の出るような演奏と歌声であったし、リネットの耳はこの上なく音楽を聴くに適している訳だが、残念ながらいつ何時隣の猛禽類につまみ食いをされるか分からない状況では、満足に楽しむことなどできはしなかった。
(うう…)
夜道をふたり並んで歩きながら、リネットはたらたらと汗を流す。
極意その3『つまらなそうな顔をする』と、その4『冷たい態度を取る』は驚くほど効果がなかった。彼の前では無意味だった。と言うか仏頂面のオリヴァーがいちばんつまらなそうだったし冷たい態度だった。実際のオリヴァーは極度の緊張でカチカチになっていただけなのだが、そんなこと彼女は知りはしない。
(こう、なったら…)
脳裏に浮かぶのは、ベアトリスの台詞である。
『逃げては追い付かれる、逃げては追い付かれる…そんなイタチごっこを続けたくないなら、方法はただひとつよ』
彼女は口元から鋭い犬歯を覗かせて、笑った。
『大ッ嫌いって、言っちゃいなさい!』
リネットがごくりと唾を飲み込む。
(こ、ここで、言わなきゃ…!)
「…ん?」
いざ行動に移そうとしたところで、彼女はあることに気付いた。
(なんか、だんだん。人通りの少ない方向に向かっている気が…)
日はとっぷり暮れてしまい、街全体を夜空が覆っている。賑やかな喧騒は建物のあちら側。道を照らす明かりも減ってきた。
(これは…)
「……」
「…ギッ」
一瞬だけオリヴァーの手と手が触れ合い、リネットの口からは妙な声が漏れる。どわっと汗が噴き出した。
だってうら若い男女が、デートの最後に来るところである。しかも相手は、文字通りの肉食系。行き着く先は決まっている。
(色んな意味で喰われる――!)
「送って行こう」
リネットがその結論に至った瞬間、予想外の声が降ってきた。
「今日は楽しかった」
「…へ?え?」
顔を上げる。送っていくと言うことは、喰うつもりはない。ていうかあれで楽しかったのか。怒っていたわけではないのか。リネットはぱちぱち瞬きをしながら、彼を見る。ぽろりと本音が漏れてしまった。
「わ、私を食べるんじゃ、」
「!?」
今度はオリヴァーが驚く番だった。ぎょっと目を見開いて、身動ぎする。翼が音を立てた。
「そういうことは、その、しない。大切にしたいんだ」
言葉を選びながら、慎重に先を紡ぐ。そして彼の決意を聞いたリネットは息を呑んだ。
「っ…!」
続いてぼんと真っ赤に染まった。手元を見て、むずむずと口を動かす。
(私が思ってるような人じゃ、ないのかも、しれない…)
リネットの心中で、動悸が鳴る。彼が向けてくる愛は食欲に違いないと思っていたが、これはひょっとすると、ひょっとするかもしれない。嬉しいような、むず痒いような不思議な気持ちになっていると、オリヴァーはぎこちない微笑みを浮かべた。
「リネット。教えてくれ。君の実家はどこだ?」
「へ…?実家、ですか…?」
「ああ。会わなければ」
「あ、会うって誰に…」
リネットがびちりと固まるが、それに気が付かずオリヴァーは即答した。
「君の両親、親族、兄弟だな」
挨拶をしなければなるまい、オリヴァーはそう考えた。正式に言えばまだ付き合ってもいない訳だが、彼は重い男だった。彼の中では、色々とすっ飛ばして娘さんをくださいの挨拶に行っても、おかしくはないのだ。
だがしかし同時に、リネットの脳裏には過った。彼女の家族と言えば、弟と妹ばかりが48羽。そしてそれに追加して父と母に祖父母、合わせて52羽。親族を入れれば300羽近い数になる。
リネットは思った。
(全員、喰われる――!)
脊索動物門より愛をこめて エノコモモ @enoko0303
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