第53話 「……」

 〇二階堂紅美


「……」


「……」


 唇が離れて…ノンくんは、あたしを抱きしめた。

 抱きしめて…


「…嬉しいが…この先はやめとく。」


 耳元で、小さく言った。


「弱ってる俺見て、こういう気になったのかもしれないからな…」


「…理由なんて、どうでも良くないの?」


「男としては、弱ってない時にその気になって欲しい。」


「…ま、どっちでもいいよ。」


「……」


「あたしはもう…逃げも隠れもしないから。」


 あたしがそう言うと、ノンくんは体を離してあたしを見つめて。


「…本気で?」


 聞いた。


「うん。」


「……」


「信じられない?」


「いや…」


 ノンくんはうつむいて小さく笑うと。


「…今まで、おまえに何度も…こうやって触れて来てるのに…」


「ん?」


「今…めちゃくちゃ緊張してる。」


 あたしの頬に触れて…キスをした。


 …なんだろ。

 今まで、ノンくんとしたキスと…違う。

 緊張してるって…本当なのかな。

 …可愛いとこあるじゃん…


 短いキスを繰り返してると、ふいに…


 ########


「ひゃっ!!」


 ポケットでバイブ。

 驚いて声をあげると、額がぶつかって…ノンくんが笑った。


「も…もー…ビックリした…」


 あたしは額を触りながら、ポケットからスマホを取り出した。


「…沙都からだ。」


「…邪魔しやがって…」


 ノンくんが鼻で笑う。


 沙都から何か大きな添付ファイルがついてて、それを開くと…


「……」


「どうした?」


 設定してるから音声は出ないけど…

 これは…


「ちょっと…ごめん。」


 あたしはノンくんから離れると、引き出しからイヤホンを出してスマホに繋げた。

 ノンくんは座ったまま、頬杖をついてあたしを見てる。


『…んな事言ってもさ…紅美ほどのいい女が、俺なんか好きになるわけねーよなー…』


「……」


 な…何…これ…


『けど、俺は、ずーっと、ずーっと紅美を好きだったんだよ。ガキの頃からだぜ?イトコだから、なかなか周りには言えなかったけどさ…紅美の事、ほんっと…めちゃくちゃ好きだったんだ…』


 あたしは…顔が赤くなってしまってると思う。


『紅美が誰と付き合おうが、関係ねーんだけどさ…いや…でもやっぱ嫌だよな…結婚なんてしたら…俺どーしたらいーんだ?沙也伽。』


『え…えーと…ノンくん、飲み過ぎじゃない?』


『あー…嫌だなー…結婚するよなー…』


『…ノンくん、告白したら?』


『紅美…好きだ。愛してる…』


『いや…それ、ジョン(スタッフ)だけど…』


「……」


 下唇を噛んで、無言になってると。


「…おい。」


 ノンくんが、不機嫌そうに声をかけた。


「沙都からのメールで、何赤くなってる。」


「……」


 これって…

 沙也伽も映ってるし…この店…Lipsだよね…


『紅美ちゃん、見れた?』


 突然、沙都から電話。


「うん…」


『ノンくん可愛いね。』


「これ…なんで?」


『ノンくんがあんな事になるのが珍しくて、スタッフが撮ってたんだって。』


「…今、事務所に一緒にいる。」


『あ、そ?じゃ、お邪魔だから切るね。』


 それから…


「…俺にも何か来た。」


 ノンくんがそう言って、スマホを取り出して…


「……」


『…んな事言ってもさ…紅美ほどのいい女が、俺なんか好きになるわけねーよなー…』


「な…!!!!!」


 ノンくんは目を見開いてあたしを見た。


「…見ちゃった…」


 ノンくんは慌てて動画を消すと。


「消去しろー!!」


 あたしの手から、スマホを奪おうとした。


「やだよ!!こんな貴重なの、宝物にする!!」


「頼む!!頼むから消してくれ!!」


「やだ!!」


「何でも言う事聞いてやるから!!」


「…ほんと?」


 あたしは動きを止めて、ノンくんを見る。


「…二言はない。」


「じゃあ…」


 スマホをノンくんに渡す。


 どうせ…元が沙都の所にあるなら。

 いくらでも送ってもらえるし。



「……」


 ノンくんは自分とあたしのスマホから動画を削除して。


「バカ沙都!!」


 って子供みたいな電話をして、電源を落とした。


「…じゃ、言う事聞いてもらおうかな。」


 あたしが威張って言うと。

 ノンくんは溜息をつきながら。


「…んだよ…」


 前髪をかきあげた。


「…さっきの続き、して?」


「……」


「早く。」


 ノンくんは一度下を向いて小さく笑うと。


「…まったく…おまえは…」


 そう言いながら、あたしの頬を撫でて。


「…紅美、好きだ。」


 目を見て…言ってくれた。


「…あたしも、好き。」


「……」


「大好き…」


 ノンくんの首に、腕を回す。


 ノンくんの事、好きって口にした途端…

 すごく、心が軽くなった。

 …気付いてなかったって…本当なのかな。



 唇を重ねて。

 あたしを抱きしめるノンくんの腕に、力が入った。

 …あたしの事、ずっと、ずーっと…

 大好きでいてくれたんだね…。



 ノンくん。

 あたし、今までの分も…

 ノンくんの事、ずっと、ずーっと…

 好きでいるよ。



 もう、ブレない。




 〇朝霧沙也伽


「…………えっ。」


 あたしはそれを見て…

 慌てて、ベッドの中にもぐりこんだ。


 いや、誰もいないけどさ。

 誰もいないけど…


 なんで!?

 なんでなんで!?



 あたしのスマホに映し出されてるのは…


『紅美が誰と付き合おうが、関係ねーんだけどさ…いや…でもやっぱ嫌だよな…結婚なんてしたら…俺どーしたらいーんだ?沙也伽。』


 こ…これって…

 あれじゃない!!

 Lipsで、ノンくんが酔いつぶれてたやつだよね!!

 なんでー!?

 なんで動画があって、それを沙都が送って来たのー!?



 あたしはすぐさま画面を消して、沙都に電話した。


『もしもしー?』


「さっ…沙都、これっ…どどどー…」


『あ、見た?もう、僕さー、これいつ送ろうかってずっと悩んでてさー。』


「だっ誰によ…」


『ほんとはねー、沙也伽ちゃんに悪阻止めにでもなんないかなって、早く送ろうとしてたんだけどさー。』


 こ…

 こんなの悪阻の頃に送られてたら…

 もっと酷くなってたよ!!

 沙都のバカ!!

 要らないよー!!



『ちょっと色々自分を奮い立たせるために、大事に持ってたんだよねー。』


「…大事にって…」


『でね、さくらおばあちゃんに、ノンくんと紅美ちゃんどう?って聞いてみたら、まだまだねーって言ってたから、じれったいなーって思ってさ。』


「……どうしたのよ…」


『さっき、紅美ちゃんとノンくんにも、同じもの送っちゃった♡』


「お…」


 送っちゃった♡って…----!!!!!


『ノンくんに『バカ沙都!!』って電話されちゃったよー。』


「なっなっななな何してくれたのよーー!!あんた!!」


 どうどうどうしよう!!

 あたし、ノンくんに…

 このままだと、ノンくんに…


『なんで沙也伽ちゃんが慌ててんの?録画したのはトニー(スタッフ)だよ?』


「……」


 そ…そうだ。

 あたしは言いつけを守って、誰にも言ってない。


「…く…紅美の反応…どうなのかな…」


『一緒にいたみたい。』


「え!?今!?」


『うん。だから、うまくいっちゃったんじゃないかなー。』


「…沙都…あんた…」


『ん?』


「あんた、ほんと…いい奴だよ…」


 少し涙が出た。

 沙都、紅美の事…大好きなのに…ね…


『沙也伽ちゃん。』


「…ん?」


『僕、紅美ちゃんの事、一生好きだから。』


「……」


『だから、もしノンくんが紅美ちゃんを泣かせるような事したら…』


「…うん…」


『僕がそれをチャンスって狙ってるって事、言い続けてね。』


「沙都…」


 あたしはずずっと鼻水をすすって言った。


「…あんたにもさ…きっと、いいことがあるよ。紅美よりいい女はなかなか現れないかもしれないけど、あんたの事…一番に愛してくれる子がさ…きっと…」


 後半は涙で言えなくなった。

 だけど沙都は。


『…ありがと、沙也伽ちゃん。だけど…僕、本当にもういいんだ。女の子とどうこうって気持ちもないし…一生、紅美ちゃんの事を想い続けて歌うよ。』


 …先の事は分からないけど。

 沙都がそうしたいって言うなら、それでいいのかな。

 だけど、いつか…って思う。

 沙都に、いつか…

 紅美を忘れさせてくれるような恋が…


 どうか。


 どうか、訪れますように…。



 〇朝霧 渉


「ちわー。織姉いる…あれっ?」


 二階堂本家の広い廊下から、元気な声が聞こえて来た。

 この声は…


「うっわ、わっちゃん久しぶり。元気だった?」


 ソファーをまたいで座った紅美に、俺は苦笑い。

 ほんとこいつは…変わらないな。


「相変わらず、行儀悪いな。」


 こんなんじゃ、嫁の貰い手がないぞ?

 喉まで出かかった言葉を飲み込む。



 俺は現在アメリカに単身赴任中。

 こうして、束の間の休暇にコマメに帰国しないと…娘の夕夏に忘れられてしまう。


「ああ、紅美。いいとこに来た。ちょっと見てて。」


 空がキッチンから娘の夕夏を連れて来た。


「あっ、紅美ちゃんっ。」


「おっす、夕夏ゆうか。」


 夕夏はためらいもなく、紅美の膝に座る。


「夕夏、パパの膝においで。」


 俺が両手を広げたけど。


「パパはあとで~。」


 …後でだなんて…寂し過ぎる…



「紅美、なんか感じ変わったな。」


 泣きそうなのを我慢して、そう言うと。


「そ?どういうふうに?」


 紅美は短い髪の毛をかきあげた。


「きれいんなった。」


 会うたびに言ってしまってる気もするが…

 実際紅美は、会うたびにキラキラして見える。


 …空には口が裂けても言えないが、二階堂一族の中で、紅美の美しさはずば抜けていると思う。



「本当〜?」


 そう言って笑う紅美。

 うん…可愛いな。

 決して一人の女としてそう見てるわけじゃなく、可愛い姪っ子ってとこだろうか。



「ああ。で?今日は?」


「織姉に相談があってさ。」


「本部に出かけたはずだぜ?」


「あ〜、タイミング悪いな。」


 二階堂は秘密組織ではなくなる。

 だが、まだ名残はある。

 それでも、ヤクザを装う必要がなくなっただけでも…大きい。



「急ぎか?」


「うー…ん…ま、早い方が都合はいいんだけどね。」


「深刻な問題か?」


 紅美の眉間のしわを見て問いかけると。


「父さん、説得してもらおうと思ってさ。」


「説得?」


「うん。」


「何の説得?」


 紅美は夕夏の髪の毛をクリクリにしながら。


「父さん、あたしを嫁に出したくないみたいなんだよね…」


 つぶやいた。


「……」


 嫁に出したくないみたいなんだよね…


 って。


「結婚すんのか!?」


 つい、大声を張り上げた。


「誰?誰が結婚?」


 その大声に、二階にいた空がかけ下りて来た。


「いや…紅美が…」


 驚いた顔のまま言うと。


「えっ、紅美…結婚…?」


 空は眉間にしわを寄せた。


 そりゃそうだ。

 紅美は…海と終わらせた後、沙都と…

 だけど、その沙都はアメリカのみならず、世界でバカ売れ中。

 日本に帰って来る暇もなさそうだし…紅美と続いてるとは…なぜか、思えない。


 となると…華音か?

 いや、でも…



「えーと…まず、相手が誰かを聞いていいか?」


 俺が問いかけると。


「えー、今更?」


 紅美は笑った。


「いや、だっておまえ…」


 今更?

 今更って事は…


「沙都か?」


「違うよ。」


「じゃあ…」


「…わっちゃん、ずっと…心配かけてごめんね?」


「え…」


 突然、紅美がしおらしい声で言った。


「だって、わっちゃんは色々…知ってるじゃん?」


「……」


「海くんの時も、慎太郎の時も…たくさん心配かけて…ほんとごめん…」


「紅美…」


「たくさん、ありがとね。」


 じーんとしてしまった。


 紅美とは17違いで…下手すると、親子ほど年が違う。

 実際俺は、紅美と華月に関しては…

 姪っ子や妹と言うよりは、娘に近い感覚を持っていたかもしれない。

 手のかかる…娘たち。



「結婚って…紅美…」


 二階から降りて、俺の隣に座った空が。


「おめでとう…!!」


 感極まった声でそう言って、紅美を抱きしめた。



「…夕夏、紅美の彼氏は誰だ?」


 やっと膝に来てくれた夕夏に、小声で問いかけると。


「パパには教えな~い。」


「な…なんでだよ~…」


 俺が夕夏の可愛らしさにとろけてると…


「デレデレっすね。」


 背後で声が。


「織姉、いないんだって。」


「そりゃ残念。お久しぶりです。」


「……紅美の結婚相手か?」


 俺が指差して言うと。


「そ。」


 俺の向かい側に座った華音は。


「まさか。って顔してますよ。渉さん。」


 紅美を抱き寄せて…頭にキスをした。

 さらりとイチャつかれて、つい…空と顔を見合わせる。


「ははっ。ごめんね。遺伝子はちさ兄と一緒だから…場所問わなくて困っちゃう…」


 紅美はそう言いながらも、全然イヤそうではない。

 紅美の言う、ちさ兄こと神千里さんは…本当にところ構わず愛妻の知花さんを抱きしめる。

 …そりゃあ、そういう家庭で育ってると…

 自然と華音もそれが普通と思うだろうしな…



「いつ、どういう流れでこういう事に?」


 俺が少し早口で問いかけると。


「あまりにもノンくんがあたしに長い片想いをしてたから、そろそろ叶えてあげよっかなって。」


「よく言うよ…」


「えー?嘘じゃないもん。なんなら、あのムー」


 何か言いかけた紅美の唇を、華音が塞ぐ。

 俺達がポカンとすると。


「すみません。こいつが余計な事言いかけたんで。」


 サラッとそう言った華音を。


「バカッ。」


 紅美は赤くなって叩いた。


「紅美ちゃん、真っ赤だ~。」


 夕夏が飛び跳ねながら言うと。


「ほんと…まいっちゃうね。」


 紅美は…今まで見たどの笑顔よりも。

 最高に可愛い笑顔を見せた。


 ああ…

 良かったな、紅美。



「…なんで泣いてんの、わっちゃん。」


 空が俺の涙を見て言ったけど。

 海との件を間近で見てた俺には…


「…娘みたいに思えてたからな…」


 そんな俺を見た紅美は。


「…じゃ、わっちゃんパパ。うちの父さんの説得よろしく。」


 涙目になって…そう言って。

 その隣で華音が。


「…月並みですが…世界一の幸せ者にします。」


 以前見た華音とは全然違う…

 穏やかで、優しい顔で言った。



 結婚までの道のりは、たぶん…険しいだろう。



「とりあえず、今日は話を聞かせてくれよ。」


 俺が涙を拭いながら言うと。

 二人は顔を見合わせて笑った。


「まず、華音があのスタジオで、不機嫌そうにしてた理由から聞こうかな。」


 俺が華音にそう言うと。


「……」


 華音は目を細めて。


「え?何それ。あたしも聞きたい。」


 紅美は目をキラキラさせた。



 …さて。

 織さんが帰って来るまで。

 二人が愛を育んだ話なんかを…


 ゆっくり聞かせてもらうとしようかな。





 32nd 完



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いつか出逢ったあなた 32nd ヒカリ @gogohikari

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