第6話「異界の旅人 ~非道とゴーシュの巻~」
「決闘だぞー!!」
「広場へ急げー!!」
ある晴れた日に、平和そうな村で上げられた人々の声。
昼下がりで、人々が退屈さを感じていた頃だったのだろう。
人々はどやどやと大人も子供も、果ては老人までもが村の中央に集まりだしていた。
広場は──そこがおそらくこの村での唯一広々とした場所なのだろう。それでも、数十人が集まればギュウギュウになるといった感じで、今、中央でにらみ合っている二人の男に、触れんばかりの近くまで見物客たちがひしめいていた。
「おー、やれやれ! バロン!!」
「そっちのムキムキマンも頑張れよー」
二人のうちの一人は、どうやらこの村の男らしく、すこぶる体格の良い屈強そうな男だった。
そして、もう片方の男もまた筋肉隆々で、いかつく四角い顔、ごわごわで刈り上げた頭、太い眉毛、獅子鼻、意思の強そうな分厚い唇、丸太のように太い首や腕脚──とにかく立派な体格だ。
ふたりとも剣は持っていない。これほどの肉体派だ。剣などというもので戦うには勿体ないような感じである。だが──
「あの男、何を持っているんだ?」
「楽器のようだが……?」
そう、よそ者のその男は、左手にひょうたん型で弦の張ってあるものを持っていた。ここらあたりで一般的な楽器フィドルに似ていなくもない。そして、男の右手には、長い棒のようなものが持たれていた。
すると、男は野次馬の声が聞こえたらしく、視線はバロンに向けたまま言った。
「これは、ヴァイオリンというものだ」
「ヴァイオリン?」
その言葉に、周りの連中は訝しそうな顔を見せた。
「そう。ここアフラシア大陸では一般的に楽器といえばフィドルを指すが、伝説の大陸サレック・ドレック大陸では、ヴァイオリンという楽器が一般的なのだ。お前たちのような凡人にはわからぬことだろうが、俺はあの大海原を渡り、かの大陸に上陸したこともある。初めてこのヴァイオリンの音色を聞いた時は、このような美しい音がこの世にあるのだろうかと思ったものだった」
男は、その時に聞いた音を思い出したのか、目を閉じ、うっとりとした表情で言った。
「夢のような音──」
それを聞いた人々は、誰も彼もが男の持つヴァイオリンに釘付けになった。
どんなに素晴らしい音楽が聞けるのだろう、あの楽器で。
彼らの好奇心は、戦いも気になる上に、さらに男の持つ楽器にも向けられた。
すると───
「俺の名はゴーシュ。武闘派ヴァイオリニストだ」
「なにぉぉぉ───?」
それに過剰な反応を示す戦士バロン。
すると、ざわざわと周囲からざわめきが起こった。
「ゴーシュだって?」
「どこかで聞いた名前だな…?」
そんな人々の中から、
「そういえば聞いたことがあるぞ。戦う音楽家、不協和音のゴーシュという男のことを」
「ふっ、不協和音のゴーシュだってぇぇぇ!?」
とたんに、あたりは騒然となった。
「にっ、逃げろ───!!」
それがきっかけとなった。
野次馬の半分は慌てて逃げる。
家々の窓から覗いていた人たちは雨戸を閉める。
さらに玄関にカギをかける───
だが───
「なになになに? 何なんだ??」
訳がわからずその場に残された野次馬の半分は、きょとんとして周囲のさまを見つめていた。
すると、そんな周囲の様子に、凶暴そうな顔でバロンは相手──ゴーシュというこの男をにらみつけた。
「どうやら、お前は有名な奴らしいな」
「噂くらい立ってもしょうがないな。何しろ俺は無敗の男だから」(ヴァイオリニストなのに無敗な男って…いったい;^_^A )
「フン」
バロンは鼻で笑う。
「何が無敗な男だ。お前も腕に覚えのある戦士なら、そんな、武器にもならん楽器など捨てて素手でかかってこいっ!!」
「野暮なことを言う奴だ」
妙に高飛車な物言いだった。
案の定、バロンはカーッと頭に血がのぼったらしく、真っ赤になっている。
問答無用で飛びかかろうとしていた──が。
「待ていっ!!」
「!!」
急に待ったをかけるゴーシュ。
彼は、おもむろに手に持っていたヴァイオリンを首にはさみ、弓を構えた。
その姿はお世辞にも似合うとはいえない。
彼は、その格好でギロリとバロンをねめつけると、
「そのように気色ばんでいては、良い戦いはできんぞ。まあ、まず戦いの前に一曲、俺の美しい演奏を聞くのだ」
「なっ…」
バロンが何かを叫ぼうとした、そのとき───!!
──キィィィィィィ~~~~!!!
この世のものとは思えない音が響き渡った。
「ウギャァァァァァ!!!」
あまりにもすさまじい音だった。
これが果たして音楽とよべるものだろうか?
バロンは、あまりの不協和音に耳をおさえ、地面を転げまわっている。
さらに、二人を取り囲んでいた見物客たちも、またバロンと同じように耳をおさえ、悲鳴を上げながらうずくまっていた。
のた打ち回る者、口から泡を噴く者、目や耳から血を噴出す者、さながら阿鼻叫喚の地獄絵のようだった。
だが、ゴーシュは、澄ました顔でヴァイオリンを弾き続けた。
彼はこの音にまったく動じていない。耳栓でもしているのだろうか?
「なんて俺の演奏は素晴らしいのだろう」
彼は目を閉じて弾いていたが、ふっと目を開け、あたりの惨状を見回した。
そして、悲しげにうなだれた。
「やはり、俺の演奏は、凡人にはとうてい理解できないのだな」
ゴーシュはいきなり演奏をやめた。
「神の福音とも言うべき俺の演奏をちゃんと聞けない者など、戦う価値もないのだがな」
そう言うと、バロンの身体めがけてその鋼鉄製の弓を振り下ろした。
──ガゴン!!
「ゲフッ!!」
そうして、戦いはあっけなく終わった───
武闘派ヴァイオリニスト、ゴーシュ、恐るべし!!
のどかな風景広がる山の中。
近くには、高くそびえる山が見え、森の緑が日の光に照らされ、平和な昼下がりといった山道だ。
梢のささめきが風に乗って流れ、小鳥の鳴き声が遠くに聞こえるばかり。時々、ここらあたりで有名なドラゴンピークスからズズンという山鳴りのような不思議な音が上がるくらいで、このような山の中にいるはずの獣の姿などなぜか見られない。当然人間の姿もない。
と、そんな中───
突然、空気が震えた。
あたりがゆらりと揺れ、何もない空間から人のような物体が現われた。
「なんじゃ、ここは」
それは人間の男だった。
風変わりな服装はしているが、見たところ普通の人間のようである。
ごつい身体といかつい顔をしていて、キョロキョロとあたりを見回している。
手には長い棒のようなものを持っていた。光具合から鋼鉄製の棒のようだ。
「おかしなことじゃ。比叡山で荒行中だったはずだが……」
男は訝しげにそう呟いたが、すぐに、
「まあ、よい。少し疲れたところじゃ。ふむ。腹もちとくちくなってきたことだ。どれ、托鉢でもして、食べ物を手に入れようか」
そんなことをぶつぶつ呟いていたところ、前方から男がやって来た。
ゴーシュである。
「ふははは──。ひとつ俺もドラゴン退治としゃれこもうじゃないか。暴れ竜? そんなもの、恐るるに足らん。賞金は俺のものだ。それにドラゴンなら、もしかしたら俺のヴァイオリンを理解するかもしれん」
彼は、この山の近くの町で仕入れた情報をもとに、この山にやってきていた。ドラゴンピークスでは乱暴者の竜がいて、ここら一帯の住民が迷惑をこうむっていたのである。そこで賞金を出し、屈強な者たちに退治してもらおうとしていたのだ。
ゴーシュも腕に覚えのある身、そういうことでこの山にやってきたのだった。
そんな二人が、山道ですれ違う──刹那、とっさに二人は身構えた。
「…………」
「…………」
そのとき、雲が太陽をさえぎった。
先ほどまでののどかな天気が一気に殺気立つ。
おまけに無風だったのが風まで出てきて、男たちの間を吹きすさぶっていく。
森の木々は、その風にあおられ、ザワザワと不吉な空気をかもし出している。
永遠ともいえる時が流れようとしていた───
そして──最初に口を切ったのは、戦う音楽家ゴーシュであった。
「貴様、何者だ?」
「ワシか?」
誰何するゴーシュに向かい、尊大に胸をそらせて男は答えた。
「ワシは僧侶じゃ」
「僧侶? チュウカ帝国の坊さんか?」
ゴーシュは首を傾げた。
そんな彼に、相手はカカカと笑うと、
「チュウカ帝国? そんなもの知らん。ワシはさすらいの僧侶、殴打非道」
「さすらいの僧侶? オウダヒドウ?」
「そうじゃ」
殴打非道は、手にした棒をシャランと振る。
「その手の棒は何だ?」
「これか? これは錫と言ってな。ありがたーいものじゃ」
非道はさらに言葉を続ける。
「幽霊にも愛を説き、時には戦い、仏の道を突き進む男──ワシは戦う僧侶。ワシの手にかかれば、解脱せぬ者はいぬぁぁぁぁ───いっ!!」
「戦う僧侶だと?」
思わず競走意識がふつふつと湧いてくるゴーシュであった。
己も戦う音楽家と呼ばれた男。
(戦ってみたい───)
無性にこの男と手合わせしてみたくなる。
「手合わせ願おう」
「手合わせだと?」
非道はフフンと鼻で笑うと、錫を前に突き出した。
「ワシにかなうと思うのか?」
「なにおぅっ!?」
ゴーシュと非道は、再びバチバチと火花を散らせてにらみ合った。
しばし流れる沈黙。
今度は、ピタリと風はやみ、行き詰まるほどの静けさがふたりを取り囲む。
そこへ、雲が晴れ日が差し込んだ。
「では……」
すると、ゴーシュがいきなり手にしていたヴァイオリンを構えた。
「戦いの前にまず一曲を」
「ほほう…ヴァイオリンか…」
「貴様、ヴァイオリンを知っているのか? フフン、ならば、神の福音と呼ばれる俺の演奏を聞いてみろ」
それに対し非道は、
「生ヴァイオリンは、初めての経験だな。楽しませてもらおうか」
その様子を見たゴーシュは、なかなか骨のある相手だと思ったらしく、ニヤリと壮絶な微笑を浮かべた。
そして、次の瞬間、弦に当てた弓を引く!!
──キィキィキィィィィィィィィィ~~~~~~!!!
「?」
ゴーシュは相手の様子がいつもと違うことに気づいた。
(この男……)
殴打非道は、まるでどこかのサロンで楽音を聞いているように目を閉じ聞き入っていた。
いつもなら、素晴らしく美しい曲の調べを理解できず、のたうちまわっている者たちばかりなのだが、この相手は静かに耳をそばだてている。
「うーむ……」
と、その非道の口から感嘆の声がもれた。
「美しいヴァイオリンの響きじゃ。ワシは、こんな素晴らしい演奏を聞いたことがない」
直接、聴衆からの誉め言葉をもらったのは初めてのことだったので、ゴーシュはちょっと鼻が高くなった。
「そうか? ふむ、なかなか良い感性をしている奴だ」
だが、すぐに厳しい顔つきになって、
「それでは、互いに心も落ち着いたことだ。いくぞっ!!」
ゴーシュは叫ぶと、鋼鉄製の弓を振りかざし、非道へと突進していった。
──ガゴォォォォ───ンンンン!!
だが、彼の振り下ろした弓は、非道の錫に簡単に受け止められてしまった。
ビリビリと不快な振動が手を伝い、身体中に走る。
「貴様、やるな」
「当たり前じゃ。おぬしはまだまだじゃな」
「何をっ?」
非道の言葉が、ゴーシュの自尊心を傷つけた。
「俺は戦う音楽家、武闘派ヴァイオリニストのゴーシュ様だっ! 今までに俺を倒した者はいない!!」
「カカカカカカ!!」
非道は、錫を押し出し、ゴーシュをよろけさせると高笑いをした。
「おぬしの戦ってきた相手など、ワシの足下にも及ばぬわっ!! このワシに戦いを挑むなどな、10万5年と23日早いわっ!!」
「うぬぬぬ……」
ゴーシュは、自分の盛り上がる筋肉を屈辱に震わせた。
彼は、よろけた拍子に片膝を地につけていたので、下から非道をにらみつける。
それに対し非道は、仁王のように足を広げ錫を地面に突き立てて、同じく燃えるような目でゴーシュをにらみおろしていた。
「ふはははは───!! 戦う音楽家ゴーシュとやら。ぬしはまだまだヒヨッコじゃのぉ。どうじゃ? ワシの素晴らしい愛の説法を聞かせてやろうぞ」
「愛の説法?」
なぜかは知らぬ。
ゴーシュは、非道の言葉を聞き、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
恐怖──そして、胸糞が悪くなるほどの嫌悪感───
「ときにゴーシュとやら。ぬしは金を持っておろうな?」
「は?」
いきなりの質問に、驚きを隠せないゴーシュであった。
だが、戸惑う彼にお構いなしに続ける非道。
「最近はけしからん奴らがおってのぉ。せっかく悪霊払いしてやったというのにトンズラするやつがおっていかん。この間などジョーという喋る……」
「はぁぁぁ???」
思いっきり素っ頓狂な声を張り上げるゴーシュに、ぶつぶつと呟いていた非道が我に返り、慌ててコホンと咳払いをしてみせた。
「ああ…すまんな。というわけで、確かめておきたかったのじゃ。もちろん、金は持っておろうな?」
「そ、それは確かに少々の路銀は持っているが……」
「そーか、そーか!!」
まだ何か言おうとしていたゴーシュをさえぎると、非道はニタリニタリと笑い顔をしながら、説明しだした。
「ワシの愛の説法を聞けば道は開け、さらに極楽浄土へ一直線だ。先ほどまでな、比叡山の山奥での荒行で会得したばかりの最新版を聞かせてやろう。特別じゃぞ。だが、よく覚えておけ。ワシの説法はちと高いからの」
なぜ、荒行で説法が身につくのだろう──?
「………」
ゴーシュの心がざわざわとしだした。
ダメだ。
絶対聞いてはいけない。
「き、聞きたく……ないぞ…何だか悪い予感がする……」
「ふん。ぬしも甘いな。もう後には引けぬぞ」
「い、いやだ……絶対…聞きたくない……」
いかつい屈強な戦士であるはずのゴーシュには、まるで似合わぬセリフが飛び出す。
「ふははははは───ならば、力づくで聞かせるのみ!!」
ゴーシュは得体の知れぬ恐怖にかられ、じりじりとあとずさる。
だが、ずりずりと非道はにじり寄ってくる。
「よ、よるな……」
ゴーシュは弓を振り回し、非道が近づくのを阻止しようとした。
しかし、非道はまったく頓着せずに、自分の錫でそれを受け止める。
そして、思い切り錫でゴーシュのみぞおちを突いた。
「グハッ!!」
ゴーシュは身体を二つに折って地面を転げまわった。
これでは、いつもの逆である。
「!!」
気が付いた時はすでに遅し、殴打非道の愛の説法は、容赦なく始まっていたのである!!
───中略(爆)───
それからしばらく後───
すっかり、ぐったりと座り込むゴーシュの傍らで、殴打非道が背筋をピンと伸ばして立っていた。
その彼の手にはズタ袋が持たれ、ジャラジャラと音がしている。どうやらお金のようだ。
「すまんのぉ。これはお布施ということで、ありがたく頂戴しておく」
「…………」
だが、ゴーシュは何も言わない。
放心状態で空中をみつめたままだ。
その目には生気がなかった。自慢の肉体も、いつもより筋肉の盛り上がりにとぼしく、まるで力強さが感じられない。
折りしも、そよそよと気持ちの良い風が吹いてきたと思ったら、山の上の方から何かが爆発したような音が聞こえたようだった。
「む……? 何の音だ?」
非道は、少し興味を覚えたらしく顔を上げたが、すぐに気が失せたのか、視線をゴーシュへと移す。
「まあ、よい。これでおぬしも心を入れ替え、もっと愛の楽音を目指すのだぞ。音楽とはな、“心”だ」
「こ、こころ……?」
ピクリと肩を動かし、生気のなかった目に光が宿るゴーシュ。
「そうだ、心だ。おぬしの音楽は、それなりに素晴らしいものがあるが、まだまだじゃ。もっと音楽の心というものを学ばねばならん。ふむ…できたらおぬしにワシが仏の愛を、仏の道を伝授してやってもよいのだが……」
「そっ、それは本当ですかっ!!」
逞しい腕の筋肉を震えさせ、太い指を組んでお願いポーズをするゴーシュ──あまり見栄えの良いさまではない。が、しかし───
「むむ? 何かがワシを呼んでおるっ!!」
「どっ、どーされたんですか? 師匠!!」
すっかり感化されてしまったゴーシュであった。
「残念じゃな。ワシはもう行かねばならんようだ」
「ええっ? どっ、どこにですか?」
非道の姿がチラチラし始めた。
まるで存在が消えていくかのように。
それは、話に伝え聞く、神々の空間移動のようだった。
(殴打非道は神だったのか?)
だんだんと姿が消えていくのを、驚きの目で見つめながらゴーシュは思った。
そして、完全に非道の姿が消えてしまうその時。
「武闘派ヴァイオリニスト、ゴーシュよ。また会うこともあるだろう。その時は、必ず仏の愛を説いてやろうぞ。ふははははははははははははははは──────!!」
「ししょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ─────────!!!」
非道の笑い声と、ゴーシュの叫び声は、いつまでもいつまでも山あいのこの場所に響き渡ったのであった。
初出2001年1月14日
スクーター・ジョー 番外編集 谷兼天慈 @nonavias
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