優しく髪を撫でるその手は

無月兄

第1話

 高校生だった頃の三年間、私はごく平凡に過ごした。その時期には多くの人が興味を持つであろう恋愛とも、まるで無縁。我ながら、寂しい青春だ。

 けれどそんな私にも、異性にドキッとした事くらいはあった。


 これから記すのは、恋にすらならなかった、そんなほんの小さな一コマの話だ。



 ◆◆




「髪、キレイだね」


 ある日の休み時間、私は突然そんな事を言われた。顔を向けると、そこには一人のクラスメートの姿があった。特別親しくはないけど、それなりに話をすることもある。そのくらいの距離感の相手だ。


「そう?ありがとう」


 お礼を言いながら、だけど私は戸惑わずにはいられない。

 そもそも私は、自分の髪がそれほどきれいだとは思わなかった。それなりにサラサラしてるとは思うけど、寝癖がつきやすいのが悩みの種。

 なのにこの人は、いったいどうしてそんな事を言うんだろう?


「ねえ、触ってもいい?」

「えっ、いいけど」


 ろくに考えもせず、思わず反射的に頷く。するとその人は、ゆっくりと私の頭に手を伸ばし、その髪を撫でた。


「おおーっ、サラサラだ」


 その人が声をあげる横で、私は何も考えずに返事をしたのを少し後悔していた。

 別に、髪を撫でられるのが嫌だと言う訳じゃない。ただなんとなく、照れと言うか、恥ずかしさが込み上げてきていた。

 異性に髪を撫でられる。ただそれだけの事に、どうしてこんなにドキッとしてしまうのだろう。

 緊張から思わず体が固くなり、僅かに身をすくめる。だけどその人はそれに気づかす、私の髪を撫で続ける


 それがどれくらい続いただろう、満足したのか、ようやくその手が離れていった。


「ありがとね」

「……うん」


 お礼を言われた私は、照れながらただ頷くしかなかった。

 だけど決して、嫌だった訳じゃない。ただその間、私の心臓はずっとドクドクと大きな音を立てていた。


 この話はこれでおしまい。その人が、いったい何を思って私の髪をキレイだなんて言ったのかは分からない。まさかそれだけで、もしかして私に気があるんじゃなんて、そんな自意識過剰な思いを抱える事はできなかった。ただ私が一方的にドキッとした。ただそれだけの話。


 だけど、今振り返ってみるとこう思ってしまう。

 もしあの時私がもっとまともに返事をしていれば、そこから話を広げようと頑張っていれば、もしかしたら何かが始まっていたのかもしれないと。

 まあ、もしもの話ではあるのだけれど。








 ただ、この事を思い出す度に、こんな風にも思う。


「髪がサラサラって、男が言われても微妙だな」


 このような文章を書くにあたって一人称は『私』としているが、私はれっきとした男性だ。そして、男に対して髪がサラサラと言うのは、決して悪口と言うわけではないが、だからと言って誉め言葉になるとも限らない。

 柔らかな髪は将来ハゲやすいと言うし、少し心配になってしまう。


 そもそも女の子であるあの人が男の私の髪を撫でると言うあの状況。これはお互いの性別が逆だった方がしっくりきそうな気がする。

 そう思うのは、私だけだろうか?


 高校時代を振り返った筆者は、ふとそんな事を考えるのだった。

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