第二章・第一節

 第二章・第一節


 ログハウスの朝は早い。


 朝日が昇り、小鳥のさえずりが響き渡る早朝にイゾウの目は覚める。

 彼の寝床はふかふかの布団でも、温かいベッドでもない。リビングにあるソファだった。決して寝心地が悪いわけではないが、普通はソファで寝ることは無いだろう。ではこのログハウスのベッドは誰が使っているのだろうか。

 イゾウはソファから身を起こすと、気だるそうに欠伸をしながら廊下へと出る。今は冬の真っただ中、廊下の殺人的な床冷えがイゾウの足裏をこれでもかと刺激してくる。かの大ベテラン探鉱夫、イゾウ様でも冬の廊下には勝てなかったのか、普段絶対にしないような滑稽な歩き方になってしまっていた。スリッパを履くべきだった、と軽く後悔しながらも廊下の一番奥に辿り着く。廊下の突き当りには左右に扉がある。そのうち左側の扉、寝室の扉のへと手をかける。

 そう、ここは寝室。ログハウスの家主イゾウをふかふかベッドからリビングのソファへと追いやり、占拠した張本人がいるのだ!

 イゾウは寝室の扉をそっと開ける。


「ふぁ~・・・そんなに食べられない・・・うぇっぷ、吐きそう・・・」


 なんとも典型的な、しかしそれだけでは留まらずオリジナル要素を組み込んだ寝言が聞こえてきた。ただ、オリジナルの部分が少々残念なことになっている様な気がするが。

 そんな欲望にまみれた寝言を発している毛布の塊・・・の中に籠っているのが寝室の現在の主ロヴィだ。よくよく観察すると、毛布の塊の頭側に位置する辺りから長くてふさふさしたものが飛び出ている。最近増えたログハウスの住人(?)のものだろう。イゾウは時たまもぞもぞと蠢く毛布の塊から目を離し、とっ散らかった床に目をやった。足の踏み場が無い、という程ではないにしろ、いろいろなものが散乱している。どうやらこの部屋の主は整理整頓という言葉を知らないらしい。そしてイゾウはため息をつきながらも、いつもと同じように“床に脱ぎ散らかされているパンツとブラジャー”を拾い上げ寝室を後にした。


 イゾウはそのままピンク色の下着たちを手にしたまま玄関から外へと出る。玄関の扉を開けたイゾウの眼前には一面の銀世界が広がっていた。イゾウの吐く白い息が空気中に霧散していく。

「初雪か、うぅ・・・さっび・・・」

 イゾウは積もった雪には興味を示さない。さすがに三十路も過ぎてしまえば、雪を見ても“寒い”というマイナス思考しか浮かんでこないのだ。イゾウはもう少し厚着してくればよかったと後悔を覚えつつも、ログハウスの外に設置されている洗濯機のもとへと向かう。


二年前ほど前にノストリアの探鉱夫がサインを発見したこの洗濯機。それまでは冬でも手洗いをするしかなかった主婦たちが大歓喜し、軽いお祭りが開催されそうになる程素晴らしい発見だった。そしてイゾウもつい最近洗濯機を購入したばかりなのだが、初めて使用した時の感動は凄まじいものだった。そんな素晴らしいサインの利器、洗濯機の中にピンク色の下着を投げ込み作動させる。


いらぬ心配だったが、どうやら下着泥棒をしていた訳ではなかったようだ。




 洗濯が終わるまでには時間がかかる。


 そしてまだまだイゾウの朝は終わらない。イゾウは再びログハウスに戻り、リビングへと向かう。暖炉の薪に火をつけ窓のカーテンを開ける。陽の光がリビングを照らし、宙に舞う埃をうっすらと浮かび上がらせた。寝るときに使用していた毛布を畳み、ソファの背もたれに掛け直す。イゾウはそのまま併設されたキッチンに移動しエプロンを身に着け、食料保存庫から陶器に入った豆茶を取り出し火にかけ温める。豆茶を火にかけている間、食料保存庫から更に葉野菜とエイレイウオの切り身と卵、そしてパンを取り出し脇に並べる。卵を割りフライパンの中に入れ、水を少し足して火に掛ける。フライパンの蓋を閉めるとキッチンを離れ、リビングの暖炉の熱を利用したオーブンにパンを突っ込みダイヤルを回した。

 するとキッチンの方から豆茶の香ばしい匂いが漂ってきた。イゾウは足早に火を止めに戻る。鍋掴みをはめ、陶器から温かい豆茶をコップに注いだ。そしてこちらもいい具合になってきたのでフライパンの火を止め、用意した二つの皿に葉野菜とエイレイウオの切り身と目玉焼きを盛り付ける。それらをリビングのテーブルの上に二セット並べた後、再びオーブンを確認しに行く。パンが焼きあがるにはもう少し時間がかかりそうだ。


 ( ねぼすけを起こしに行くか )

 イゾウはそう考えるとリビングを出て再び寝室の前まで行く。すると今度は勢いよく扉を開け、毛布の塊を解体すべくベッドまで向かった。

「おい、朝だ。早く起きろ」

「んっ・・・う~、寒い無理」

「そうか寒いか、うん、寒いよな。俺もちょうど寒いと思ってたとこなんだ。だからこの毛布貰うわ」

 イゾウはグルグルにまかれた毛布を掴み奪い取りにかかる。


 はて、覚えているだろうか。

 先ほど床には何が落ちていた?


 確か、ピンク色のパンツとブラジャーが落ちてはいなかったか?


「ん~・・・!?ちょ・・・っ!イゾウ!ちょっと待て!待ってくれ!私は今とんでも無い恰好をしている!毛布を奪おうとするのはよしてくれ!!」

「ん~?あぁ知ってるぞ、さっき俺が洗濯機に持って行ったから、なっ!」

 ロヴィは必死に体を丸めて毛布が奪われるのを阻止しようとしている。が、やはりイゾウの力の方が強いのか徐々に防御力を失っていく毛布の防壁。

「んなっ!?知っているなら今すぐ辞めないか!軽い犯罪行為だぞ!?この変態おやじ!!」

「うるせぇ!ならさっさと起きてこい!つーか裸で寝んな!!」


 一言起きると言えばこの毛布争奪戦も終わるのだろうが、そこは何か譲れないものがあるのだろうかロヴィは必死に抵抗しているだけだった。しかし既に敗色濃厚で所々肌色が見え隠れしている。そしてホシネズミは二人のやり取りなど気にもしていない様子で、ベッドの端で二度寝を貪っていた。

「仕方がないだろ!下着をつけて寝てもいつの間にか無くなっているんだ!!」

「んじゃぁまず服を着ろ!」

 このままいくと毛布は確実にイゾウの手に渡り、ロヴィは朝っぱらからあられもない姿を晒すことになってしまう。


「わわわわかった!起きるから!起きるから今すぐこの犯罪行為をやめてくれ!!」

 ついにロヴィが観念して負けを認める。するとその言葉を聞いたイゾウは瞬時に毛布を掴んでいた手を離し、寝室から出ていった。ロヴィは必死に掴んでいた毛布が突然抵抗力を失ったことにより、後ろに倒れ壁に頭をぶつけてしまう。

「っ・・・つ~!」


 そうしてロヴィが痛みに悶えていると、もう一度寝室の扉が開きイゾウが顔を覗かせた。

「朝飯できてるからはやくし・・・・・・はぁ」

 イゾウはなぜだか口を止めため息をついた。ロヴィは疑問に思ったがイゾウの視線に気づき、自分の格好を客観的に観察してみる。後ろに倒れたことで大きく開いてしまった足、辛うじて危険な部分は隠れているが大部分が露出してしまっている自分の肌。


 これではまるで痴女みたいではないかっ。


「~~!!わかったから早く出てけ!!」

 ロヴィは顔を赤くし涙目になりながらベッドに置いてある枕を全力で扉に投げつけるが、標的にぶつかる前に扉はパタンと閉められてしまった。扉に直撃した枕が力なくズルズルと落下していく。

 ロヴィはがくりと肩を落とし、同時にどっと疲労を感じてしまう。このまま二度寝してやろうかと思ったが、それをしてしまうと再びイゾウがやって来かねない。もう一度あんな醜態を晒すくらいなら、と仕方なくもぞもぞと活動を始めるのであった。


 タンスから下着と服を引っ張り出し早々に着替えを済ます。服といっても探鉱夫がいつも着る灰や茶を基調とした地味なものではなく、年頃の女の子が着るようなかわいらしいもの・・・でもなく割りと部屋着感満載のものだ。灰色の長ズボンと薄桃色を基調にしたトレーナー、それに暖かそうなスリッパを装備してリビングへと向かう。勿論ホシネズミも一緒だ。ロヴィの肩を己のポジションと確定したのか、ログハウスでも外でもロヴィの肩に乗っているところをよく見かける。


 ロヴィが欠伸をしながらリビングの扉を開けると、焼き立てパンの美味しそうな匂いが漂ってきた。イゾウはオーブンからパンを取り出しつつロヴィに話しかける。

「お前さんはそいつの飯を準備してやりな」

 ロヴィの肩でホシネズミが呼応するようにキュキュッと鳴き声を上げる。

「わかったぁ・・・」

 ロヴィは眠そうにしながらも暖炉の横の棚から保存袋に入った水晶果実を取り出し小皿に乗せる。すると肩に乗っていたホシネズミが机に飛び移りカリカリと音を立てて食べ始めた。

「おいおい~、一人で食べ始めるなよ~」

 ロヴィはそう言いながらホシネズミの頭を撫でようとした、が

「キュッ!」

 ホシネズミが小さな手を使ってロヴィの指を遠ざける。どうやら餌をとられてしまうと勘違いしたらしい。野生の生き物の食べ物への執着心は凄まじいのだ!餌泥棒と勘違いされてしまったロヴィは少し残念そうな顔をしながらソファへと座る。


「何だ、振られたのか?」

「ううううるさいっ、それよりも早くしてくれ!早く私も食べたいぞ!」

机の上には食欲をそそる香りを放つ焼き立てのパンと野菜や魚や卵が乗ったサラダプレートが置かれている。目の前の素晴らしい光景に思わずロヴィの腹が叫びをあげる。


 ( 朝は嫌いだけど、これだけは素晴らしいんだよなぁ )


「この野郎・・・」

 悪態をつきながらも、朝食の準備をすべて終えたイゾウもエプロンを外しソファへと座る。

「それじゃぁ、私たちも食べよう!いただきますっ!」

「へいへい、いただきます」

 リビングには食器がぶつかる音や葉野菜のパリパリとした音、暖炉の火の粉がはじける音などが響く。豆茶の香ばしい匂いやパンの食欲をそそる匂いが鼻腔を刺激する。窓の外ではちらちらと雪が舞い、小鳥が空を飛んでいた。冬の寒風が窓を叩く音に洗濯機が終了を告げるアラームの音が混じっていた。


 イグナスのはずれ、ログハウスの朝はこうして始まる。



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