第一章・第五節

 粗雑な造りのパイプ椅子に座っていたトッカンは大きな大きな欠伸をした。

 欠伸と同時に腕を大きく伸ばし、体の血流改善に努める。しかし体重を後ろに掛け過ぎてしまったのか、パイプ椅子がひっくり返りそうになっていた。トッカンは慌てて体制をもとに戻す。

 ( うひょー、危ねぇ。まーた椅子壊すとこだった )


 駅の改札番といっても、基本的にやることといえば航鉱をする際の手続きと帰還時の手荷物検査くらいである。要は事務作業中心なのだ。万人が見て万人が肉体派と答える彼にとっては、業務の大半を椅子に座って行うのはとても退屈なことであり体がなまって仕方がないのだった。

「なーんか面白いこと起きねぇかな。」

 そんなことをぼやいてしまう程には暇を持て余していた。そうしてトッカンが机に頬杖をついていると、彼が見知った顔が迷鉱から出てきた。トッカンの口角がみるみる上がっていくことに彼自身気が付いているのだろうか。トッカンは待ちきれないといった様子で、未だ距離の離れている二人に大声で声をかけた。


「おうおう!お前さんたち、いいとこに帰ってきやがったな!」

 大手を振るトッカンに気が付いたのか、男の方が小さく手を振って答えた。

「んだよ、元気な奴だな。どーせまた退屈でもしてたんだろ」

 声を掛けられた方の男が軽くあしらうように相手をする。

「あれ、やっぱりわかっちゃう?わかってくれるイゾウちゃぁん!?」

「うっるせぇな!そのまま枯れてろ!」

 たった今繰り広げられている惨状を説明するとしたら、この一文が最適だろうか。


 アニマのおっさんが、ヒューマのおっさんに頬ずりをしている。


 地獄を目の当たりにした様にロヴィの顔が引きつっているが、仕方のないことだろう。結果的にはイゾウのボディーブローがトッカンに炸裂し事なきを得たようだった。

 「あんだよ・・・」

 苦笑いのロヴィにイゾウが睨みを利かす。ロヴィはいきなり矛先が自分に変わってしまったことに焦り戸惑ってしまう。

 「うぇ!?ええええと、た、ただいま、トッカンさん」

 どうやらイゾウの蛇のような視線から逃れることに成功したようだ。

 「なんだぁ?ロヴィちゃん元気ねぇじゃねぇか」

 「そ、そうかな?えへ、えへへへへ」


 トッカンは野生の勘によるものなのか(しかし、トッカンの場合ただ適当に言っている可能性も否定できないが)、ロヴィがいつもと違うことを看破する。

 しかしロヴィは決して元気が無いわけではない。ホシネズミの存在がばれてしまうことを危惧しているのだ。航鉱から帰還した探鉱夫は、必ず改札で手荷物検査を受けなければならない。主だった目的は迷鉱で発見したサインの持ち逃げを防ぐための措置(サインは発見した探鉱夫の所属する街全体の資産として扱われるため)だが、それと同時に危険な深生物の地表侵入を防ぐためでもある。


 実例を挙げよう。

 鉱歴496年、ヤマトの探鉱夫が航鉱から帰還した際、手荷物の中に「スネビル」が紛れ込んでいた。しかし、当時は改札での荷物検査は実施されておらず、当人すら気づかないまま長期間放置されてしまったのだ。スネビルは他の生物の血液を吸い、爆発的に増殖していく深生物だ。捕食されている際に痛覚を麻痺させられるため、捕食された後に気づくことがほとんどであった。故意的ではなかったとはいえ、ヤマトでは半年ほどスネビルによる被害が絶えなかったという。そういった過去の事例から、帰還時の手荷物検査が義務付けられたのだ。ホシネズミがいかに無害でおとなしい深生物だったとしても、深生物であるというだけで例外にはならないのだ。


 つまりここでトッカンにホシネズミの存在がばれてしまうと全て無駄になってしまう。それどころか最悪、探鉱夫資格の剥奪、そして責任者であるイゾウにも責任追及がなされてしまうという非常に面倒くさいことになってしまうのだ。


「はいはい、じゃぁいつもの荷物検査の方始めますよーっと」

 トッカンは面倒臭そうに二人の荷物を広げていく。ロヴィも渋々とトッカンにバッグを渡す。バッグの紐から離したロヴィの手は小刻みに震えていた。

 トッカンはロヴィのバッグの中から一つずつ荷物を取り出しチェックしていく。

 ( 頼むっ・・・今だけは! )

 そんなロヴィの願いも虚しく、ついにトッカンの手がグルグル巻きにされた毛布に触れる。そして、トッカンは持ち上げようとした瞬間、表情を曇らせた。

「おー・・・っと?」

 トッカンは改めてロヴィの荷物からグルグルにまかれた毛布を取り出す。折りたたまれるでもない、ただ無造作に、不自然に巻かれた毛布。

「っ!」

 ロヴィは黙って見ていることしかできない。手を出してしまえば、それは何かを隠しているという決定的な証拠になってしまうからだ。


「あー・・・あー、なるほどな」

 トッカンは手に持った巻かれた毛布をしばらく観察するとそんなことを言った。そしてトッカンは何かを察したかのようにロヴィの方を一瞥する。

 その視線は何を意図したものだったのだろうか。

 ロヴィは咄嗟に反応してしまった。

「トッカンさん!そ、それはですね・・・」

 ロヴィは必死に取り繕おうとあたふたして見せる。イゾウはそんな彼女を後ろから見て、腕を組みやれやれといった表情を見せていた。恒例であれば、何らかの深生物見つかった時点で殺処分されるか、街の研究機関に回されることになる。

 しかし、


 トッカンは手に持っていた巻かれた毛布を優


 「えーっと、異常なしっと」


 何事もなかったかのように、トッカンはイゾウのバッグへと作業を移した。

「トッカンさん・・・」

 ロヴィはトッカンを見つめる。と同時に張っていた気が緩み腰が抜けてしまいそうになった。

「なんでぇロヴィちゃん!俺に惚れちまったか?」

 ロヴィの視線に気づいたトッカンは手を止め、意地悪そうな笑みを浮かべてそういい放つ。

 いつもと何一つ変わらない笑顔だというのに、なんだか涙が出てきそうになるのは気のせいだろうか。ロヴィはそう感じた。

「えええと、それは違くて!なんでもないですっ」

「なんでぇ!違うのかよ!?おじさんショックだぞぉ・・・」

 ロヴィは困りつつも安堵した表情を見せた。そんなロヴィを横目にイゾウは小声でトッカンに問いかける。

「お、おい。いいのか?」

「何の話だ?俺はなーんにも見てないぞ?」

 トッカンは吹けもしない口笛をすかしながら明後日の方を見ていた。ピフピフと気の抜けた音が口元から発せられる。


 その後もトッカンの荷物検査はしばらく続いた。荷物を一つ一つ取り出し不審物が紛れていないか、逆に紛失物が無いかを確認していく。

 更に航鉱についての報告を済ませる。イゾウは具体的にどこまで潜ったか、新しい発見は無かったか、逆に不審な出来事はなかったかを詳細に報告し、トッカンはそれを書類にまとめていく。

 しばらく二人の事務的なやり取りが行われ、

「そんじゃ、これで手続きは終いな!二人ともお疲れさん!」

 ようやく終わったようだ、トッカンが書類をまとめ片付け始めた。


「ったく、全然動けねぇから体がさび付いてしょうがねぇ・・・」

「そうか、油でも刺してやろうか?」

 イゾウはバッグの中から火おこしようの植物油を取り出す。

「うるせぇってんだ!そんなことで解決すんなら毎日オイルまみれで座ってるわ!」

 トッカンはやはり粗雑な造りのパイプ椅子へと乱暴に腰かけなおす。彼の体重に耐えきれていないのか、パイプ椅子からミシミシと不穏な効果音が聞こえてきた。

「そんじゃ、ロヴィちゃんもまたな!」

「え!あ、あの、ありがとうございましたっ!」

 ロヴィは体をくの時に折り曲げてお辞儀をした。赤茶の髪がつられて宙をなびく。

 そんなロヴィを横目に、イゾウはトッカンに小耳を打った。


「今度酒でもおごる・・・」

「おっ、まじで?」


 ロヴィの知らないところでしっかりとイゾウがとばっちりを受けているのであった。




 そんなこんなでログハウスまで戻ってきた。ロヴィはログハウスに着いた途端ブーツを脱ぎ散らかし、寝室まで走る。早くホシネズミをグルグル毛布から解放してやりたいのだろう。イゾウはバッグを下ろし、乱雑に転がっているロヴィのブーツを並べなおした。

「とにかく寝かせとけ。あんまりジロジロ見てるとそいつも落ち着かんだろう。」

 イゾウは寝室に入り、ホシネズミのことを穴が開くほど見つめているロヴィにそう投げかけた。

「そ、そうか・・・そうだなっ。」

 ロヴィは机の上に毛布を敷き、その上にホシネズミを寝かす。ホシネズミの容体は安定しているのか、小さな寝息がすぅすぅと聞こえてくる。やはりホシネズミのことが気になってその場を動けずにいたロヴィだったが、イゾウに首根っこをつかまれズルズルと寝室から引きずり出されてしまった。

 イゾウはロヴィを引きずったままリビングに移動する。牽引されているお荷物少女は逃れようとじたばたしているが、無駄な努力に終わってしまったようだ。


「おい、ちょっとそこに座れ。」

 イゾウはリビングの床を指してそう言った。

「え?わ、わかった。」

 ロヴィは固い床の上にちょこんと座る。

「待て、正座だ馬鹿野郎。」

 イゾウは体育座りをしていたロヴィの頭を軽く小突く。

「っつー・・・何するんだよ!?」

 と憤慨しつつもロヴィは足を組み替え正座をする。


 ソファに腰かけたイゾウは床に正座しているロヴィを見下ろし話し始めた。

「うちの食いぶちが増えたわけだ」


 そう、いわゆる家族会議的なものだ。


「へ、へい大将・・・」

 被告人ロヴィは両の手を膝の上に合わせお行儀よく話を聞いている。

「まずだ、お前ちゃんと世話するつもりなんだよな?」

「もっ、もちろん!」

 そう、大前提としてホシネズミは飼われることとなる。ならば飼い主、世話をする者がいる必要がある。そして生き物を買うということは想像しているよりもずっと大変なことなのだ。

「んじゃぁ、まずこいつが何喰うか言ってみろ」

「・・・・・・肉かっ?」

 イゾウは想像通りの返答に思わず天を仰いでしまう。どうやら目の前のポンコツ少女はホシネズミのことを何一つ知らないらしい。


「肉ばっか喰ってる暴食野獣はお前さんのことだろうが」

「んな!人のことを野獣とか言うな!」

「そりゃ悪かったな猛獣さん」

「ううううるさい!ゴホン・・・それで、この子は何を食べるんだ?」

 ロヴィは頬を膨らませながらもイゾウに質問する。例えホシネズミが元気になったとしてもそこから食べられる食料が無ければ本末転倒だ。


「はぁ、そいつの主食は果実類だ、肉なんか喰わん。そうだな、よく食べてるのは“イザの実”、“ベラの実”、“水晶果実”辺りだ。全て迷鉱内に植生してる。水晶果実はイグナス鉱路初槽、つまり今日通ったあそこに多く生えてるな」

 どうやら餌を調達するために長時間魚を釣ったり命がけで狩りに出かけたりする必要は無さそうだ。

「ほうほうなるほど。んで、売っているのかそれ?」


「売ってねぇよ。」

「へ?」

 ロヴィは目を点にした。

「俺達にあれらは喰うことができん。それ故に市場には出回らん。」

 ロヴィは唖然としている。当座の心配であった餌の入手が想像以上に絶望的な状況であるという事実が浮き彫りにされていく。


「そ、それってどうしたらいいんだ?」

「あー、水晶果実ならバザールに置いてあるかもな。」

 どうやら絶望的な問題は解決しそうだ。

「ほ、ほんとかっ!それはよかった!」

「あぁ。ただ、一つ1000クルスくらいだったか。」

「1000クルス!?はあぁ!?」

 前言撤回、そうやら状況は何も変わっていないらしい。

 1000クルス、一般的に半季分の食費と同等。下手すれば小さい家が買えてしまう。一つだけでそれと同等の価値を有するというのだ。ホシネズミはそれを食べて生活しているらしい。

 ( な、なんてブルジョワな生き物なんだ・・・ )

 そんなことを考えてしまうロヴィ。思わず頭を抱えてしまう。


「イゾウ、今私はぐうの音も出ないという言葉の意味が今ようやく分かった気がする・・・」

「おー、お前さんにしては難しい言葉を知っているじゃないか。」

「いや、待ってくれイゾウ、それは褒めているのか貶しているのかどちらなんだ!?そしてそれどころじゃない!この子のご飯どうしたらいいんだ!?私の貯金全部使っても一つ買うのが限界だぞ・・・」

 ましてやホシネズミは一度の食事でどれほどの果実を必要とするのだろう。推測すればするほど眩暈がしてくる。


「言っておくが俺はわざわざ採りに行ったりはしてやらんぞ。」


 そしてとどめの一撃が放たれてしまった。

「は、薄情なやつだな!」

「当たり前だ。飼うなら責任を持て責任を。」

 万事休すといったところだろうか。

 なぜなら、ロヴィはまだ新人探鉱夫という扱いなので一人で迷鉱に潜ることは許可されていない。つまりロヴィだけで迷鉱に餌を採りに潜ることはまだできないのだ。イグナス鉱路初槽辺りまでなら一人でも行ける実力は有しているのだが、決まりは決まりである。ロヴィが新人期間を終える半季後まで、果たしてどう餌を確保すればいいのか。


「今日はもう寝ろ。航鉱の後は休むに限る。」

「けど・・・」

「あいつが目を覚ましてからまた考えろ」

「む、むぅ・・・わかった。」

 ロヴィは明らかにしょげている様子だった。

 考えてみれば迷鉱内でホシネズミを拾ったときは何も考えていなかった。目の前の命を助けることにしか目が向かず、後に起こるであろう問題を全く考慮していなかった。そんな浅はかな自分の行動に憤りすらを覚えてしまう。ロヴィはそんな自分の未熟さを責めつつも、自分の身を案じてくれたイゾウの言う通りに床に就いた。




 なんだろう、顔が重たい。とても寝苦しくて息がしづらい。何かに押しつぶされているみたいだ。やけにふわふわしていてくすぐったい、これは毛布だろうか。

 ( んん・・・なんだ?イゾウのいたずらか何かか? )

 ロヴィは鬱陶しそうにまだうつろな意識を無理やりに覚醒させる。


 「キュキュッ!」


 自分の顔の上で毛むくじゃらな物体が飛び跳ねていた。

「んごもっ!」

 ロヴィが体を起こすと、毛むくじゃらな物体は布団の上に転がり落ちる。それは薄灰色の体毛に覆われ、長い尻尾を左右に揺らしていた。それは小さな耳をピコピコと動かし、布団のにおいを嗅いでいた。それはつぶらな瞳でロヴィのことを見つめていた。

 愛くるしい姿のそれは、ロヴィのよく知るものだった。


「お、お前動けるようになったのか!」

 ロヴィは寝起きとは思えないテンションでホシネズミを抱きかかえた。ホシネズミは嬉しそうに鼻をヒクヒクとさせている。

 一人と一匹がじゃれついていると、エプロン姿のイゾウが寝室に入ってきた。

「おう、起きたか」

「イゾウ!こいつもう元気になったぞ!ほら、モフモフだぞ!」

 ロヴィは満面の笑みを浮かべながらホシネズミをを抱えて両手を前に突き出す。ホシネズミは小首をかしげていた。

「あぁ、そりゃよかったな。しっかし止血液が有能なのもそうだが、やはり深生物の回復力は凄まじいな。飯食って寝ただけで快復するとは驚いた」

「そうだな!・・・ん?飯?」


 イゾウは今確かに“飯”と言った。ロヴィは疑問に思う。ホシネズミの餌は一つ1000クルスの超高級品、と彼は言っていたではないか。ましてや昨日の今日で槽まで水晶果実を採りに行くなど不可能なことだ。それなのに目の前のエプロンをした仏頂面の男は“餌をあげた”と言ったのだ。

「なんで餌なんてあるんだ?」

 ロヴィはイゾウに問いかける。


「はぁ、俺を考え無しで行動しちまうどっかの誰かさんと一緒にしてくれるな。そいつを拾ったときにいくらか集めておいたんだよ。そいつがお前さん並みの大食らいでなけりゃ半季くらいはもつだろう。そのあとは自分で採りに行けよ」

 イゾウはそっぽを向きながらそう答えた。


 ロヴィはイゾウを見つめてぽかんとしていた。イゾウはロヴィの視線に気づいたのか足早に部屋を立ち去る。ロヴィは乱暴に閉められた扉から手元のホシネズミへと目を合わせる。相も変わらず鼻をヒクヒクとさせ、こちらを見つめてくる毛むくじゃらなホシネズミを見つめながら、ロヴィはふと思った。

 思ってしまったのだ。


( もしかして、イゾウって・・・ツンデレなのか? )


 ロヴィの考えに呼応するかのようにホシネズミがキュキュッと鳴き声を上げた。




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