結婚記念日は喧嘩と涙の日

静嶺 伊寿実

3回目の結婚記念日

 正継まさつぐはパンフレットを仕事かばんしのばせて、スキップしながら帰宅していた。喜んでくれるかな、驚いてくれるかな。

 今日は三回目の結婚記念日。一回目はちょっとお洒落な雰囲気のある居酒屋で乾杯し、二回目はお金が無かったから小さなホールケーキで写真を撮った。三回目は今までのお礼を兼ねて妻の友恵ともえを驚かせてやろうと、奮発してみた。


「ただいまー! 今日はプレゼントがあるよ」

 正継まさつぐは急いで靴を脱いで友恵ともえの顔を確認する。友恵ともえはベッドで横になっていた。ありゃ、調子悪いのか。

 友恵ともえは精神的な病気を羅患らかんしていた。最近は出来ることも増えたものの、体調や気分の起伏があり、友恵ともえ自身も体調が先読みできないため、正継まさつぐ友恵ともえ自身も友恵ともえの体調に振り回されることがままある。

「おかえり……。私もケーキ買ってきたんだよ」

 冷蔵庫を見ると小さな箱がぽつんと収まっていた。友恵ともえは外出が何よりも苦手なのに、無理して買って来たらしい。記念日だからって、そこまでしなくていいのに。

「最近マサが節約志向だから、出費を抑えてピースケーキにしたよ。もう三回目だしね、来月にはマサの誕生日もあるし、あんまり派手じゃない方がいいかなって」

 また気をつかってる。そうやって気ばっかりつかってると良くならないのに。仕方のないヤツだ。

「わざわざ買って来てくれたんだね。ありがとうね。見て見て!」

 正継まさつぐかばんからパンフレットを出して、ホテルを指差す。

「トモちゃんが前から行きたがってた小笠原諸島、予約してきたよ! しかもこのホテル。すごいでしょ。ホテルからダイビングエリアまで徒歩で行けるよ」

「へえー、ありがとう」

 ん? 反応が薄い。

「いろいろホテル調べたんだけどね、やっぱりここが一番良くて、景色も内装もすごく良いんだって!」

「そうなんだ。すごいね」

 やっぱり反応が薄い。なんだよ、人がせっかく時間をかけて調べに調べまくって決めたのに。調子が悪いせいかな。

「とりあえずテーブルの上に置いておくから、見ておいてね」

 まあいいや。正継まさつぐはとりあえずスーツを脱ぐことにした。その間も友恵ともえはパンフレットに一瞥いちべつもくれず、テレビをぼーっと見ている。正継まさつぐの中でふつふつと溜まっていた不満が沸いて来た。


 もっと喜んでくれてもいいのに。あんなに行きたがってたのに。これはただの旅行じゃないのに。最高の思い出になるはずの旅行なのに。普段の俺が悪いのか? 普段は友恵ともえが出来ない分の家事までやって、皿洗ったり料理したりお弁当作ったりしてるのに、俺に文句があるのか?

「ねえ、俺に文句があるならちゃんと言って」

 思った以上に無機質な声になった正継まさつぐの言葉に、友恵ともえはびくっと身体を硬直させた。友恵ともえはなんとか話題を逸らせようと黙っていたが、目力めぢからの強い正継まさつぐの迫力に負けて、おどおどと小声で話し出す。

「最近……仕事終わったよ、って連絡くれてから三十分で帰って来れるところを、一時間以上してから帰ってくるし、もしかして私のこと嫌いになったのかなって……私、家事もろくにできないし、体調こんなんだし、旅行楽しめるか自信ないし……」

「楽しめるかどうかなんて心配するな。楽しもう、と思えばいいんだ」

「うん……」

 友恵ともえにはあまり響いてないらしい。

「それに今月の生活費もそんなに残らないから、なんか申し訳なくて……」

 友恵ともえはぽろぽろ泣き出してしまった。


 友恵ともえの病院代や産婦人科代は確かに痛い。無駄遣いはしない妻だったが、人へのお祝いを惜しまず、特に祖父母への記念行事は米寿とか卒寿とか金婚式とかで頭がいっぱいになるくらい用意していた。もう祖父母が他界している正継まさつぐも協力していたが、もう少し自分のことも考えてほしい。

「トモちゃん。お金は心配しなくて大丈夫。俺が貯金してるから」

「え?」

「俺が最近お弁当頑張って作ったりしてたの、なんのためだと思ってたの。旅行先で目一杯楽しむためだよ」

「そうだったの……?」

 前から行こうね、って言ってたじゃん。伝わってなかったのか。

「それに今回は誰とも会わない、二人だけの旅行だよ」

「だって東京を経由するから絶対また誰かと会うのかと思って……」

「違うよ。これは新婚旅行なんだから」

「え……」

「今まで小旅行ばかりで、安いホテル泊まったり、一泊二日だったりしたけど、今回は三泊もするんだよ。見たがってたクジラのクルージングも予約したんだよ」

「そうなの? じゃ帰り遅かったのってもしかして旅行の予約のため……?」

「そうだよ。もしかして浮気してると思ったの? そんな訳ないじゃん。俺はトモちゃんのことしか考えてないよ。いつもいつも俺のために頑張ってくれてたじゃん。俺が仕事でうまく行かない時も話を聞いてくれたり、転職の時もアドバイスしてくれたり、俺がトモちゃんの親戚とうまく行ってるのも、全部トモちゃんのおかげなんだよ。しかも病気も少しずつ良くなってきたのも、トモちゃんが頑張ったからなんだよ。だから、これは少し遅い俺からの新婚旅行のプレゼント。みんなみたいに海外とかは連れて行けないけど、一緒に楽しもう」

 すると友恵ともえは、高い小鳥のような子供のような声で大泣きし始めた。ぴーぴー泣いて、顔はくしゃくしゃだ。友恵ともえの顔は真っ赤になって、涙が止まらない。

「だって、だって、新婚旅行は安いホテルに泊まって親戚回りしたあの時だと思って、それに、私そんな良い思いする権利ないもん……そんなに幸せになっちゃだめだもん……」

 なんでそんなこと言うんだよ。正継まさつぐも思わず涙ぐんだ。

「いいんだよ、幸せになっても。最高の思い出にしようね」

 こくり、と友恵ともえはうなずいた。

「せっかくの結婚記念日なのに泣かせてごめんね」

 友恵ともえはむんずとパンフレットを取ると、まだ涙の枯れていない目でパンフレットを見て、「ここも、ここも行けるの!?」と喜びながら、また泣いた。素直じゃないな、最初からそうやって喜んでくれればいいのに。

 また明日からお弁当作り頑張らなきゃ、と正継まさつぐは思った。


******


 三十年後。定年の祝いとして会社から二週間の休暇をもらった。もうすぐ三十三回目の結婚記念日だ。この記念にまた友恵ともえを小笠原諸島に連れて行ってやろう、と白髪になった正継まさつぐはツアー会社のカウンターへ向かった。

 結婚三周年のあの旅行、本当によかったからな。そこから三十年頑張ったご褒美だよ、友恵ともえ

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結婚記念日は喧嘩と涙の日 静嶺 伊寿実 @shizumine_izumi

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