エピローグ 雨上がり

最終話 死闘の果て

 城浜市東区、地下鉄槇寺まきでら駅で発生した衝突事故では、地下鉄四両が大破し、死者は三十四人、生存者は無しと発表された。

 死亡者は全て衝突した側の列車に乗っていた者で、爆発物と一緒に先頭車両に拘束されていたと言う。


 もちろん、これは帳尻合わせの公式発表に過ぎず、衝突時に亡くなった発症者は半数だけだ。

 他は全て、事故後に無効果剤を散布した上で、入念に処理・・された。

 科多区の封鎖は、その後も三日に亘って続く。

 槇寺駅以北の地下鉄路線に関しては、更に半月近く立ち入りが禁じられた。


 衝突事故から半時間経過した頃、矢知と岩見津は特事課に発見され、身柄を拘束される。

 二人は別々に病院へ送られて、お互いの行方を知らぬまま、監視付きの治療に専念した。

 城浜大学の付属病院に入院していた矢知は、三日後には東京某所に移され、そこで昼夜を問わない尋問が始まる。

 研究所に採用されてから行った対策班の業務、部下や他の職員の動向、事件当日の行動。尋ねられた事項は、微に入り細を穿った。


 矢知が質問したところで、何かを教えてもらえる立場ではない。

 それでも、聞かれた内容から、彼らが潤の行方を懸命に追っていることは窺えた。


 潤が作れるハッシュラインの大きさは?

 どれくらいの時間リープできる?


 どの問いも、矢知には答えようが無い。

 地下鉄から消えたリーパーの力が、尋問官にはどうにも信じられないようだった。

 十時間近くも跳び、地下坑を刻み崩すなど、想像外の能力なのだ。

 時々漏れ聞かされた事件後の様子は、退屈な矢知には良い暇潰しとなった。





 関東地方の桜が散り尽くした頃、彼は囚人のような監禁生活に移行する。

 硬いベッドと便器、小さな木製のテーブルと椅子。鉄檻の部屋に在るのは、これだけである。

 小窓からはコンクリートの高い塀と、定期巡回する歩哨が見えた。


 刑務所にしか思えないこの建物では、庭に出ることもままならず、ひたすら牢屋の中で時間を潰す。

 他の拘束者に会うことは無く、尋問時間も激減し、体が鈍らないように狭い部屋で筋力トレーニングに励んだ。

 神経を傷付けた右手は、包帯が取れても痺れが残り、強く握ると痛みを感じる。


 テレビもスマホも無いこの生活で、唯一の楽しみは新聞の閲覧であった。

 どうせ大した情報は得られないと高を括られているのか、毎日三紙が牢に届けられる。


 国際テロの猛威、史上最悪のテロ被害――四月を過ぎ、五月になっても、そんな特集記事が一面を飾った。

 戦後初の治安出動は物議を醸し、政府の対応を巡って国会は空転する。

 結論の出ない紛糾に矢知は興味を示さず、社会面の小さな記事を丹念に読み込む。


 “連続切断魔、衣料品店に続き、薬局玄関を破壊”

 “城浜県警本部の建物側面に、謎の大穴。目的、手段共に不明”

 “城浜市西区三丁目で、深夜ATMが破壊された上、現金の一部が強奪される”


 泥棒は褒められた行為ではないとは言え、捕まりもせず上手くやっていると、矢知はほくそ笑んだ。

 六月末、小さな四角で切り取られた梅雨空を眺めつつ、若いリーパーの消息を想像する。

 彼に関係しそうな報道は途絶え、テロの話題もようやく他の事件へ一面を譲り始めた。


 ジョルトや発症という単語は、最後まで新聞に登場していない。

 城浜事件の全部が爆弾と神経ガスで説明され、目撃談は幻覚で片付けられる。

 どうも誰かが制作した偽動画が、ネットに出回ったらしい。

 ジョルト現象を再現した動画は稚拙な作りで、以降、能力に関する言説は類似のデマとして受け取られた。


 七月が近付いても矢知の生活は春と同じ、唯一の変化と言えば、建物の内外を巡回する警備が増えたことくらいだ。

 雨上がりの蒸した外庭を、二人組の武装員が歩く。

 庭が無人になることは少なく、彼らが何事かを警戒しているのが窺えた。


 不味い昼飯が供される十分前、新聞を読んでいた矢知は、地響きを聞いて小窓に駆け寄る。

 高さ五メートルはあろうかというコンクリの塀が、ケーキを切り分けるように綺麗に縦に裂け、一部が庭へと倒れていた。

 轟音は二度、三度と続き、その騒ぎの中、開けた入り口から一人の青年が走り込む。

 彼が明後日の方向を目指しているのを見て、矢知は大声で叫んだ。


「こっちだ! 巻月!」


 歩哨をリープで無力化しつつ、声に気付いた潤が矢知のいる独房へと針路を変更する。

 窓のすぐ側まで来た彼に、矢知が文句を垂れた。


「お前はいつも遅せえんだよ」

「こんな辺鄙へんぴな場所、分かるかよ。病院から県警、特事情報局って何カ所回らされたことやら。リアルスゴロクだ」

「高木の端末、役に立っただろ?」

「まあね。すぐに遮断されちまったけどさ」


 潤に警告されて、檻の端まで矢知は下がる。

 その直後、外壁がハッシュで切り刻まれた。

 視界の開けた矢知は予想以上の惨状に唖然とし、助けに来た青年に問い質す。


「これ、全部お前がやったのか?」

「向こうの監視塔とかは、有岐だよ」

「ユキ……間島か。恨みが篭ってるな、この派手さは」


 荻坂に痛めつけられた彼女の神経系は、今も完調したとは言い難い。滑らかに喋ることもつらく、常に頭痛薬が手放せなかった。

 潤から経緯を説明された有岐は、能力の発動方法を教えてほしいと彼へ頼む。

 ジョルトに関しては、もう潤と同等の使い手になりつつあった。


 潤と矢知は庭を走り、崩れた塀から外に停まるセダンへ向かう。

 二人が後部席に乗り込むと、待ちかねていた運転手がアクセルを踏み、車は急発進した。

 運転担当は、一週間前、やはり潤に救出された岩見津である。


「飛ばします、追跡車を見張ってください」

「ちょっと痩せたか?」

「お互い様ですよ」

 助手席に乗っていた有岐が振り返り、矢知にペコリと頭を下げた。

「タスケテ、もらって、アリがとう、ござ――」

「逆だろ。お前を助けたのは巻月だ。俺が礼を言う立場だよ」

「いいえ、聞いて、マス」


 一体何を吹き込んだと潤に問う矢知の様子に、彼女はクスクスと笑ってみせる。

 ともかくも、駐車車両を刻みまくったおかげで、追っ手が来る様子は無い。

 久しぶりに外へ出た矢知へ、潤が希望を尋ねた。


「行きたいとこはある?」

「……メシだな。美味いヤツを」

「じゃあ、カツ丼にしよう」


 彼ら四人は、公安が躍起になって探す重要ターゲットとなる。

 潤も一度、実家に電話を掛けたが、母の声を聞いて直ぐに切った。

 心配されているのは承知していても、今はまだ何も話せない。家族と離れ、定住も出来ない逃亡生活だ。

 その割に、どの顔も悲壮感とは無縁なのは、自分たちの選択に自信があるからだろうか。


「食後の予定は?」

「無いよ、オッチャンが目的だったからな。あ、でも……」

 潤が有岐を見遣ると、彼女は人差し指を立てて「トクジカ」と一言発した。

「特事課の本部に行きたいらしいよ、有岐は」

「本丸じゃねえか。何の用だ」

「いやあ、アイツらしつこいからさ。資料とか消せないかなあって」

「そりゃいい、ボコボコにしてやれ」


 うんうん、と、有岐も大きく頷いて同意する。「ボコボコ」が気に入ったらしく、しばらく何度も小声で繰り返していた。

 潤も有岐も、望んで力を手に入れたわけではない。

 安易に人を傷つけかねない忌まわしき力だ、消し去れるというなら、二人は即座に手放すだろう。

 それでも、これが今の自分に役立つうちは、存分に使ってやるのだと潤は不敵に笑ってみせた。


「刃物や銃と同じ、だろ?」

「ふん、言うようになったな」


 軽く笑い合う彼らを乗せて、車は一路街を目指す。

 悪巧みの相談はランチを食べながらということで、皆の意見が一致した。


 梅雨にしては珍しく、晴れ上がった陽射しが目に眩しい。

 アスファルトの窪みに溜まった泥水が、勢いよく撥ね上げられていく。

 暑い夏が、彼らのすぐそこに迫っていた。






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リーパーは弧に斬り裂く 高羽慧 @takabakei

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