エピローグ 雨上がり
最終話 死闘の果て
城浜市東区、地下鉄
死亡者は全て衝突した側の列車に乗っていた者で、爆発物と一緒に先頭車両に拘束されていたと言う。
もちろん、これは帳尻合わせの公式発表に過ぎず、衝突時に亡くなった発症者は半数だけだ。
他は全て、事故後に無効果剤を散布した上で、入念に
科多区の封鎖は、その後も三日に亘って続く。
槇寺駅以北の地下鉄路線に関しては、更に半月近く立ち入りが禁じられた。
衝突事故から半時間経過した頃、矢知と岩見津は特事課に発見され、身柄を拘束される。
二人は別々に病院へ送られて、お互いの行方を知らぬまま、監視付きの治療に専念した。
城浜大学の付属病院に入院していた矢知は、三日後には東京某所に移され、そこで昼夜を問わない尋問が始まる。
研究所に採用されてから行った対策班の業務、部下や他の職員の動向、事件当日の行動。尋ねられた事項は、微に入り細を穿った。
矢知が質問したところで、何かを教えてもらえる立場ではない。
それでも、聞かれた内容から、彼らが潤の行方を懸命に追っていることは窺えた。
潤が作れるハッシュラインの大きさは?
どれくらいの時間リープできる?
どの問いも、矢知には答えようが無い。
地下鉄から消えたリーパーの力が、尋問官にはどうにも信じられないようだった。
十時間近くも跳び、地下坑を刻み崩すなど、想像外の能力なのだ。
時々漏れ聞かされた事件後の様子は、退屈な矢知には良い暇潰しとなった。
◇
関東地方の桜が散り尽くした頃、彼は囚人のような監禁生活に移行する。
硬いベッドと便器、小さな木製のテーブルと椅子。鉄檻の部屋に在るのは、これだけである。
小窓からはコンクリートの高い塀と、定期巡回する歩哨が見えた。
刑務所にしか思えないこの建物では、庭に出ることもままならず、ひたすら牢屋の中で時間を潰す。
他の拘束者に会うことは無く、尋問時間も激減し、体が鈍らないように狭い部屋で筋力トレーニングに励んだ。
神経を傷付けた右手は、包帯が取れても痺れが残り、強く握ると痛みを感じる。
テレビもスマホも無いこの生活で、唯一の楽しみは新聞の閲覧であった。
どうせ大した情報は得られないと高を括られているのか、毎日三紙が牢に届けられる。
国際テロの猛威、史上最悪のテロ被害――四月を過ぎ、五月になっても、そんな特集記事が一面を飾った。
戦後初の治安出動は物議を醸し、政府の対応を巡って国会は空転する。
結論の出ない紛糾に矢知は興味を示さず、社会面の小さな記事を丹念に読み込む。
“連続切断魔、衣料品店に続き、薬局玄関を破壊”
“城浜県警本部の建物側面に、謎の大穴。目的、手段共に不明”
“城浜市西区三丁目で、深夜ATMが破壊された上、現金の一部が強奪される”
泥棒は褒められた行為ではないとは言え、捕まりもせず上手くやっていると、矢知はほくそ笑んだ。
六月末、小さな四角で切り取られた梅雨空を眺めつつ、若いリーパーの消息を想像する。
彼に関係しそうな報道は途絶え、テロの話題もようやく他の事件へ一面を譲り始めた。
ジョルトや発症という単語は、最後まで新聞に登場していない。
城浜事件の全部が爆弾と神経ガスで説明され、目撃談は幻覚で片付けられる。
どうも誰かが制作した偽動画が、ネットに出回ったらしい。
ジョルト現象を再現した動画は稚拙な作りで、以降、能力に関する言説は類似のデマとして受け取られた。
七月が近付いても矢知の生活は春と同じ、唯一の変化と言えば、建物の内外を巡回する警備が増えたことくらいだ。
雨上がりの蒸した外庭を、二人組の武装員が歩く。
庭が無人になることは少なく、彼らが何事かを警戒しているのが窺えた。
不味い昼飯が供される十分前、新聞を読んでいた矢知は、地響きを聞いて小窓に駆け寄る。
高さ五メートルはあろうかというコンクリの塀が、ケーキを切り分けるように綺麗に縦に裂け、一部が庭へと倒れていた。
轟音は二度、三度と続き、その騒ぎの中、開けた入り口から一人の青年が走り込む。
彼が明後日の方向を目指しているのを見て、矢知は大声で叫んだ。
「こっちだ! 巻月!」
歩哨をリープで無力化しつつ、声に気付いた潤が矢知のいる独房へと針路を変更する。
窓のすぐ側まで来た彼に、矢知が文句を垂れた。
「お前はいつも遅せえんだよ」
「こんな
「高木の端末、役に立っただろ?」
「まあね。すぐに遮断されちまったけどさ」
潤に警告されて、檻の端まで矢知は下がる。
その直後、外壁がハッシュで切り刻まれた。
視界の開けた矢知は予想以上の惨状に唖然とし、助けに来た青年に問い質す。
「これ、全部お前がやったのか?」
「向こうの監視塔とかは、有岐だよ」
「ユキ……間島か。恨みが篭ってるな、この派手さは」
荻坂に痛めつけられた彼女の神経系は、今も完調したとは言い難い。滑らかに喋ることもつらく、常に頭痛薬が手放せなかった。
潤から経緯を説明された有岐は、能力の発動方法を教えてほしいと彼へ頼む。
ジョルトに関しては、もう潤と同等の使い手になりつつあった。
潤と矢知は庭を走り、崩れた塀から外に停まるセダンへ向かう。
二人が後部席に乗り込むと、待ちかねていた運転手がアクセルを踏み、車は急発進した。
運転担当は、一週間前、やはり潤に救出された岩見津である。
「飛ばします、追跡車を見張ってください」
「ちょっと痩せたか?」
「お互い様ですよ」
助手席に乗っていた有岐が振り返り、矢知にペコリと頭を下げた。
「タスケテ、もらって、アリがとう、ござ――」
「逆だろ。お前を助けたのは巻月だ。俺が礼を言う立場だよ」
「いいえ、聞いて、マス」
一体何を吹き込んだと潤に問う矢知の様子に、彼女はクスクスと笑ってみせる。
ともかくも、駐車車両を刻みまくったおかげで、追っ手が来る様子は無い。
久しぶりに外へ出た矢知へ、潤が希望を尋ねた。
「行きたいとこはある?」
「……メシだな。美味いヤツを」
「じゃあ、カツ丼にしよう」
彼ら四人は、公安が躍起になって探す重要ターゲットとなる。
潤も一度、実家に電話を掛けたが、母の声を聞いて直ぐに切った。
心配されているのは承知していても、今はまだ何も話せない。家族と離れ、定住も出来ない逃亡生活だ。
その割に、どの顔も悲壮感とは無縁なのは、自分たちの選択に自信があるからだろうか。
「食後の予定は?」
「無いよ、オッチャンが目的だったからな。あ、でも……」
潤が有岐を見遣ると、彼女は人差し指を立てて「トクジカ」と一言発した。
「特事課の本部に行きたいらしいよ、有岐は」
「本丸じゃねえか。何の用だ」
「いやあ、アイツらしつこいからさ。資料とか消せないかなあって」
「そりゃいい、ボコボコにしてやれ」
うんうん、と、有岐も大きく頷いて同意する。「ボコボコ」が気に入ったらしく、しばらく何度も小声で繰り返していた。
潤も有岐も、望んで力を手に入れたわけではない。
安易に人を傷つけかねない忌まわしき力だ、消し去れるというなら、二人は即座に手放すだろう。
それでも、これが今の自分に役立つうちは、存分に使ってやるのだと潤は不敵に笑ってみせた。
「刃物や銃と同じ、だろ?」
「ふん、言うようになったな」
軽く笑い合う彼らを乗せて、車は一路街を目指す。
悪巧みの相談はランチを食べながらということで、皆の意見が一致した。
梅雨にしては珍しく、晴れ上がった陽射しが目に眩しい。
アスファルトの窪みに溜まった泥水が、勢いよく撥ね上げられていく。
暑い夏が、彼らのすぐそこに迫っていた。
了
リーパーは弧に斬り裂く 高羽慧 @takabakei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます