わたしの三周年をあなたと

成井露丸

わたしの三周年をあなたと

 好き。

 私は大好きだ。大好きなんだと思う。


 そんな気持ちで、テーブルの上のキーボードに指を走らせる。

 折り畳み式スタンドに立てかけられたタブレットの画面上には、指先が跳ねた数だけ、文字が踊る。最後の句点を弾いた後に、エンターキーを小指で叩いた。


 顔を上げる。液晶画面だけに狭められていた視界が、アンティークな喫茶店の景色へと広がった。

 コーヒーのマグカップが置かれたテーブルの向こう側で、クリーム色の明るい薄手のセーターを着た男性が、スマートフォンを右手の親指でスワイプしている。


「――あらたさん、どれ読んでるんですか?」

 私の声にテーブルの前に座る彼が目を上げた。

「え? ……あ、あぁ、うん?」

 休日のセーター姿。物語の世界から、ようやく現実に戻ってきたあらたさんは、頬を緩めるとコーヒーの入ったマグカップを口に運んだ。


「えっとね。今読んでいたのは、ラブコメの短編? マンションの管理組合の理事会で恋が芽生えるって話」

「あっ、それ、最近書いたやつです。WEB小説サイトの連続短編コンテスト用に」

「へ〜、そうなんだ。何ていうか、『こんなんあり得ないよっ!』って感じなんだけど、……ほのぼのしてて面白いよね」

「あっ……ありがとうございます」

 目の前で飛び出した、自作への褒め言葉に、思わず頬が熱くなった。


 今日は二週間ぶりにあらたさんと会う休日。出会ってから、一ヶ月ほどが経って、今日で会うのは三回目。二人はまだ、恋人同士とも言えない微妙な関係――なんだと思う。


 しかし、実は私、一つ問題がございまして。今日、短編コンテストの締め切りを抱えているのだ。いろいろあって、原稿はまだ書けていなかった。

 一時間早く待ち合わせのカフェにやってきた私は、待ち合わせ時間までに、なんとか書き上げようと、机の上に立てたタブレットの前で執筆集中していた。

 でも、間に合いませんでした。ばたり。


「お待たせして面目ないです」

 私は太腿の上で両手を揃えて、深々と頭を下げる。

 そんな私に、彼は可笑しそうに頬を緩めた。


「全然いいよ。なんだか、そうやって頑張ってる楓子ふうこさん見てるのも、それだけで楽しいっていうか。それに、読ませても貰ってる小説も面白いし」

 やばい。やばいです。それは照れます。


 時を遡ること一時間前。待ち合わせ場所の駅前カフェへ時間通りにやってきたあらたさんに、私は「ごめんなさい、十五分待ってください〜!」と泣きそうな顔でお願いしたのだった。あらたさんは不思議そうに首を傾げていた。


 二人で会うのだって、これで、まだ、三回目なのに、そんな年上男性をいきなり、十五分待たせるなんて常識的にも、女子力的にもあり得ない。

 でも、この物語はイメージが消える前に書ききってしまいたかった。


 私は理由をあらたさんに説明するために、つい勢いで、自分が小説を書いていること、今日、短編コンテストの締め切りがあることなんかを喋っちゃったのだ。そして、急転直下での垢バレ。前付き合っていた彼氏になんて、付き合いだしてから一年くらいは、小説書いていることは秘密にしていたのになぁ。おかしいぞ。


「一段落したの?」

「はい。とりあえず下書きは終わりました」

 結局、十五分で終わらずに、一時間近くお待たせしてすみません。土下座。


「お疲れ様。もしかして、出来たての作品を読ませて貰えたりするの?」

「わぁっ! 駄目です、駄目っ! まだ、これ下書きで、時間置いて、家に帰ってから仕上げるんです!」

 そこまで言って、彼を見ると、その顔は楽しそうに笑っていた。

 あ、これは手のひらの上で踊らされているやつだ。

 不思議と、嫌な気はしないけれど。


「でも、楓子ふうこさんが小説を書いているって知らなかったよ。いつから書いているの?」

 そう言って、あらたさんはマグカップを持ち上げた。


「えっと、大学二年生の春かなぁ。友達の影響なんですけど」

「へぇ。じゃあ、ちょうど三年って感じ?」

 そう言われて、私は首を傾げる。あまり意識していなかったけれど、そうかもしれない。


「そうですね。三年かなぁ? 大学二年生の時に中学の同窓会で集まった時の会話で、なんだか勢いでWEB小説投稿を始めることになっちゃって」

「何それ? まるで青春物語だね」

「ですよね〜。お酒も入って、ノリと勢いみたいなところはあったんですけどね。結局、ちゃんと書いて投稿したのは私だけなんですけど」

「ははは。そこは、凄い現実っぽいね」

 そう言うとあらたさんは屈託なく笑った。


 私は「そういえば」と、タブレットを手にとってカレンダーアプリを立ち上げた。三年前の同窓会。あの日の予定は今も残っているはず。「具体的には何月何日だったのかな?」 何だか、急にそれを知りたくなった。


「あっ!」

 私は三年前の予定表を開いて、思わず声を上げる。


「どうしたの?」

 少し驚いたように、目を開く剣崎けんざきあらたさん。

 私は興奮気味に口を開いた。

 だって、なんだか物語みたいだったから。


でした」

「え? 何が?」

「その、中学の友達と集まって、WEB小説サイトにユーザ登録して、小説を書き始めた日。ちょうど、三年前の今日だったんです!」

 そう言って、私はタブレットの画面を、彼の方に向ける。「ほらね! ほらね!」って。


「本当だ……。ちょうど、ぴったり三年目なんだね。すごい」

「はい!」

 私はタブレットを手元に戻し、自分自身で改めてその日付けを見つめた。

 そっかぁ、三年経ったんだ。私が小説を書き始めて三年が経ったんだ。


「――三周年おめでとう!」 

 声がして、タブレットの画面から視線を上げると、彼がコーヒーの入ったマグカップを「乾杯」と掲げていた。

 何だか、胸が熱くなった。嬉しくて、恥ずかしくて、どこか切なくて。


「ありがとうございます!」

 私はテーブルの上のほうじ茶ティーラテを引き寄せて、年上の彼の「乾杯」に応えた。


 頭の中には、これまでに書いてきた小説の登場人物たちの姿、セリフ、物語、出会いと別れ。それらが次々に浮かんでは消えていっていた。


「三年間、書き続けてきたんだね。どのくらい書いたの?」

「う〜ん。一杯です。良く分からないです」

「今日みたいに、コンテストに出す作品を書くって感じ?」

「ううん。コンテスト用に書くこともありますし、ただ、読んでもらいたくて、書きたくなって書くときもあります。アイデアが湧くと書きたくて堪らなくなる時もありますし」


 ほうじ茶ティーラテのカップに唇をつける。

 買ってから二時間以上経ったほうじ茶ティーラテは冷たかったけど、変わらずほんのり甘かった。


 ほうじ茶ティーラテも、私の作品の中の登場人物が好んで飲んでいた飲み物なのだ。私の大切な作品。

 作品を書く毎に、現実世界も、その思い出に包まれていく。私の大切な物語たちに。


「コンテストかぁ。大変そうだよね。受賞とか、凄く狭き門なんでしょ? 僕は小説の投稿はしたこと無いからわからないけど、大変そう」

 そう言って天井を見上げる彼。ついつい、私もその視線を追う。そして、コクリ。


「大変ですよ〜。大体、受賞イコール作家デビューですしね。競争率百倍以上ですし」

楓子ふうこさんは、受賞とか、したことあるの?」

 私はフルフルと首を左右に振った。


「短編だと、ちょっとした賞に引っかかったことはあるんですけど、肝心の長編はゼロです。何度か最終選考にまで進んだことはあるんですけどね~」

「最終選考って、凄いんじゃないの?」

 あらたさんは感心したようにホウと、呟く。


「でも、最終選考から受賞までが本当に大変なんです。やっぱり、受賞しないと、出版出来ないですし……」

「そっかぁ。やっぱり、厳しい世界なんだね」 

「はい。落選が決まった時は、いつも、凹んじゃいます。お布団に直行ですよ。心はお亡くなりになって、私のお顔は枕の中に沈み込んじゃいますね」 

 そう言って、誤魔化すように、ペロリと舌を出した。

 何度経験しても、落選の時の、心のショックには慣れない。


「それでも、三年間続けてこれたんだ。沢山の物語を生み出してきたんだね」

「ですね〜。受賞は全然出来てないんですけどね」

「そんな辛いことがあっても、続けられてこれたのはどうしてだろうね?」

 そう言って、あらたさんは、私のことを真っ直ぐに見つめた。

 優しい表情、飾り気の無い笑顔。


「それは、やっぱり、『好き』だったからだと思います。私は創作が好きなんです。物語を紡ぐことが好きなんです」

 冷たくなったほうじ茶ティーラテを口許に引き寄せる。


 時間が経って冷たくなった液体。でも、それが運んでくれる物語は、暖かくて。

 その味わいから思い出される、青春物語。

 すれ違った二人の運命が、また一つに重なり合う物語。

 私が紡いだ物語は、いつまでも、存在していて、それは永遠で。


 好き。

 私は大好きだ。大好きなんだと思う。


 物語を紡ぐことが大好きなんだ。

 おめでとう、私。三周年、おめでとう。

 ありがとう、私の物語の中の登場人物たち。三周年をありがとう。


「そっか。それはとても素敵なことだと思うよ。おめでとう、小説執筆、三周年。村瀬むらせ楓子ふうこさん」

 そう言って、少しだけ年上の彼は、優しい笑顔を浮かべた。


「ありがとうございます」

 私は太腿の上で両手を揃えて、深々と頭を下げる。両頬は真っ赤だったかもしれない。


「僕は三年目からの楓子ふうこさんしか知らない出遅れ気味の読者だけど。これから、僕も、楓子ふうこさんの物語を応援させてもらってもいいかな?」

 そう言って、あらたさんは、カフェのテーブルに頬杖を突いた。


 コクリコクリと何度も頷く私の目の前で、タブレットの画面が明るく光った。


 それは、WEB小説投稿サイトからの通知。

 私の物語と、私が描く物語は、三周年を超えて、まだまだ続くのだ。


 これまで私と一緒に物語を紡いでくれた、たくさんの登場人物たち。

 みんなも私のこと、これからも応援してくれるかな?


 好き!

 私は大好きだ。大好きなんだと思う!

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