敬具、こういう経緯で世界が滅び始めました。
黒づくめの精悍な顔立ちの青年は、何事も無かったかのように話を戻し始める。
「それで、先生の好物のレシピ、だったな? 作るのは魔術でも可能だろうか?」
手を振るだけで周囲の建築物、ビルが宙を舞い、巨大な炎の狼を殴り飛ばしたように見えた。あれが、この男の、契約主と悪魔の三姉妹に言われる男の実力ということなのだろうか?
魔術というと、俺は先生が使う魔術ぐらいしか知らない。確かに物を浮かせたりはしていたが、だからって高層ビルを武器に使うようなのは流石に見たことがない。……いや、俺が知ってる魔術が少ないだけ、なのか?
「おい、聞いているのか?」
「え? あ、ごめん。考え事してた」
「考え事? 両脇をその気になれば腕を引きちぎることができる悪魔に羽交い絞めにされながらか?」
そういえばそんな状態だった。なんだか、すっかり……思ったより契約主が、思ってたのと違う感がして気が抜けてた。
契約主はおかしな奴を見る様な目で俺を見ている。
「危機感がないのか、肝が据わっているのか、単に阿呆なのか」
なんか今アホって言った? ……否定はできない気がするのがなんとも歯がゆいけど。
などと思っていると、炎の狼が吹き飛ばされた先で、何やら瓦礫が崩れる音と唸り声のような物が聞こえる。押さえつけられた獣が暴れる様な……
更に、天まで届くような火柱が渦を巻いて立ち上がる。
「それで、いい加減に先生の今の好物を教えてもらおう」
「え? いや、それ以前に、さっきの狼、倒したんじゃないの? なんか、倒しきってないんじゃない?」
契約主の眉間に皺が寄る。
「当たり前だろう。殺したわけではないし、殺せる物でもない。一時的に退けて、押さえつけているに過ぎない。むしろすぐに押さえつけている建造物を焼き払って、殴られた恨みを晴らしに来るだろう。最悪、親が来る。辺り一帯は焦土になるだろう」
ちょっと?
俺は思わず声を荒げた。
「待った! じゃあ、今吹っ飛ばしたのはあんまり意味が無い、むしろ恨みを買ったってことか? しかも殺せる相手じゃないって……もしかしなくてもまずい状態なんじゃ!?」
契約主は少し黙った後、いけしゃあしゃあと言う。
「それが? 何か問題か?」
「問題でしょうが!! あんな炎の塊が突っ込んで来たら、普通は接近されるだけで焼き殺されるじゃないか! 挙句、下手すると辺りが焦土になるって、それじゃ人が住めなくなる! しかも相手が不死身って……いや、待って」
確か、この契約主は「先生の研究成果を継いで使徒になった」んだったか……そうだ。使徒なら『使徒の弾丸』がある。不死を殺すための武器があるはずだ。
「そうだ! 『使徒の弾丸』! 『使徒の弾丸』を使えば、不死でも殺せるんじゃないか? 確か、あんたは先生の研究成果を継いで、使徒にも成ったって……」
だが、契約主は俺を冷めた目で見て言う。
「殺すのは面倒だ。わざわざやらなくても良いだろう」
は?
「殺すのに苦労する獣を狩っても一理も無い。放っておくのが一番いい。それに、ボクは使徒なのだから……殺されることも無い」
色々な言葉が喉元まで上がっては戻り、戻っては喉元に引っかかる。
「あたり一帯は放っておいても焦土と化すだろう。だが、この世界の人間がどうなろうと……ボクにとっては、どうでもいい」
どうでも……いい?
「この世界の人間なんて、勝手に焼け死ねばいい」
両脇で俺を羽交い絞めにしているミーファ姉妹の腕に力が入る。俺が抵抗しようとしたのを感じ取ったらしい。
ミーファが諭すように言う。
「何をしようとしても、我々はあなたを離さないように言われています。あなたの腕がもげるのは、契約主としても本意ではないでしょう。冷静になってください」
俺はミーファの方を見ずに言う。契約主の冷めきった鉄面皮を穴が空くほど睨みながら言う。
「だからって、だからって! 力があるのに他の人を見捨てる様な事を平然と言うなんて、どう考えてもこいつはおかしいだろ!! 自分が無事ならそれで良いか!!」
契約主はそっと俺の顔を覗き込みながら、憐みの籠った目で俺を見て言う。
「そうか。キミは、自分が何もできないのに、自分に何の能力も力もないのに……他人に自分の正義に従えと言う……意気がるだけの最低な奴か。自分でやれよ」
そんなの……出来るならとうにやってんだよ!!
ミーファとフィラが俺を地面に組み伏せる。胸や顎を強く打ち付けるが、その痛みより、体の中でのたうち回る熱の塊が、目の前の男につかみかかり、殴りかかることを命じてくる。
喉が枯れるほど、声にならない音を叫んで、耳が遠くなり視界が白くなるほど……怒りを覚えた。
その時、俺が怒るよりも暑く、世界に熱を帯びた物が、天を裂いて現れた。
それは巨大な、球体のように思えた。真っ赤な、空一面を覆いつくすほど大きな赤い球体。それが炎の塊だと気づくのに、時間は要らなかった。
感情の炎より、より明確に体を物理的に焼く熱が降り注ぎ、体を貫く。辺り一面が赤く染まり、あらゆるものが発火し始める。
だが、直後、熱は大幅にその勢いを弱める。
見れば、ストスの持つ黒い円形の盾が、俺たちから半径数メートル範囲の赤い光を吸収していっている。どうやら、そのおかげで、即座に焼き殺されることは避けれている、ということらしい。
だが、それ以外の場所は、もうだめだ……完全に炎に包まれている。逃げ遅れた人々の怨嗟の声が聞こえる気がする。
契約主が冷静に言う。
「ミーファ、フィラ、もう抑え込まなくていい。ストスの踏ん張りが無くなれば、茶島 シュンが蒸発する。ストスを支えてやれ」
その声に合わせて、二人が俺から離れる。肩の痛みが急に襲ってくる。
「やはり、親が来たか。この分だと、
俺は痛みと熱と、そしてこの契約主が居なければ、彼が引き連れている三姉妹が居なければ自分が骨も残らない事実が、俺に理性を呼び戻させていた。怒りは感じるが、今は仕方がない。……仕方がない。
それよりも……
「彼女? 彼女って? いや、契約主、あんたは何を知ってるんだ? あれも、悪魔なのか?」
契約主は少し黙って俺を見た後、ため息交じりに言う。
「悪魔と融合した人の成れの果て、じゃないかと推測する。元は人間の女性らしい」
俺は空に存在する赤い球体を見つめる。
その球体の表面に、何か、人のような物が付いている。球体に対してとても小さいそれは、球体に逆さまにぶら下がっている。
気のせいでなければ、その誰かと目が合った気がした。
直後、炎の狼たちの親から、女性の悲鳴に似た音が発せられる。辺り一帯に響く、その甲高い黒板に爪を立てたかのような音に合わせるように、熱が苛烈さを増していく。
契約主は他人事のように言う。
「なるほど。彼女はよほど人類が嫌いらしい。全ての人類を、殺意を持って焼却し、魂を消却している」
かくて、世界は滅びるそうです……
先生と俺の異世界時間旅行 ~ 錬金術師とロボと高校生とその他大勢のバタフライエフェクトを作り出す旅路 ~ 九十九 千尋 @tsukuhi
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