一は三で割り切れない

山田恭

三の次は四である

 三年目は決断の刻だと、あらかじめ決めてあった。


 スーパーへは徒歩五分、桜並木のある川の近くで景観が良い。大学へ向かうバス停にもほど近い。入口はオートロックで宅配ボックスも備え付けてある、入居当時はほぼ新築だったマンション。その三階。

 3LDKの間取りは、本来は家族向けだろう。大学生が住むには家賃が高すぎる。だが秋也しゅうやたちはこのマンションに住んでいた。ひとりならとても手が出ないようなところでも、三人だったから住めた。


 リビングは洋間であったが、中央には炬燵が置かれている。その辺にはこの部屋に入居している学生の姿があった。静華しずかと、彼女を挟むように秋也と、それに真司しんじ。この部屋で暮らしてきた三人。大学に入学し、同じ部屋に住むことになった三人。同じ施設で育った幼馴染だった三人。

しず、もう決まったか」

 と秋也は訊いた。大柄で筋肉質な秋也に対し、静華は小柄で大人しい性格だ。もちろん長年の付き合いであれば、ただ接するだけで怖がられるということはない。

 が、今日という三月の末の春休みに集まっているのは、同居三周年の記念のパーティーをしようというわけではないし、就活の苦労を分かち合っているわけでもなく、花見の予定を話し合うためでもない。三年前に取り交わした約束を果たしてもらうためであれば、どうしても威圧感が出てしまう。



 三年前、大学に合格した秋也はかねてから決めていた通り、同じ大学に合格した幼馴染の静華に告白した。もしOKなら、養父母の元を出て女ひとり暮らしとなるのも危ないから、せっかくだから一緒に暮らそう、とも言った。厭ならいいが、べつに、厭ではないなら。厭ならいいが、と四回くらい言ったと思う。

 返ってきた返答は「ど、どうしよう」だった。

 焦らすような言い方ではない。瞳を白黒させて、慌てたふためいた様子で、それがどこか可愛らしい「どうしよう」だった。

 理由を聞いて納得した。静華は同じ日、やはり幼馴染である真司にも告白されていたのだ。


「ふたりからひとりなんて、急に決められないよ……だって、しゅうくんもしんくんも、大事な幼馴染だもん」

 と三人で集まった喫茶店で、静華は泣きそうな顔で言ったものだ。昔から泣き虫で、優柔不断な女の子だった。

 涙目の静華に声をかけたのは、それまで黙っていた真司だった。

「静は」と彼はゆっくりと、子どもに言い聞かせるように言った。「決められないんだよね?」

 うん、と静華が頷いた。「だって、だって……」

「それは仕方ないことだと思う。幼馴染って言っても、ずっと一緒に暮らしていたわけじゃない。お互いを知らない。情報がない。だから選択できなくても仕方がない。だから、これから知っていったらどうかな」

「うん、だから、とりあえずお友だちとして——」

「三人で、一緒に住まないか?」 

 それが真司の提案だった。



 三年前、三人での同居生活の提案に静華が承諾したことに対して、どこかほっとしたことを秋也は覚えている。

 大柄で筋肉質で良く言えば精悍な、悪く言えば暑苦しい容姿の秋也と対照的に、真司は細面の優男だ。そのうえ頭が良く、大学へも給付型の奨学金を得て進学している。施設で育った三人の中で、彼だけは養父母の元に引き取られることなく高校卒業まで施設で育ったわけだが、職員にも子どもたちにも頼られていた。同じシャンプーで頭を洗っても、秋也の髪は硬いのに真司はふわふわしている。おまけに料理も上手い。くそ、なぜおれは恋敵を褒めているのだ。

 とにかく、相手がそんな男であれば、フラれることも覚悟しなければいけなかったし、実際にした。だが同居生活という考慮期間が与えられたことで、ひとまずその場での敗北は免れることができた。


 三人での同居の期間——すなわち、静華が決断を下すまでの猶予期間として設定されたのが、三年だった。

(最初の設定として長過ぎたよなぁ………)

 静華が「それくらいじゃないと決められないかも」と設定したのだ。彼女の優柔不断さは知っていたから、秋也も真司も最終的には同意したわけだが。

 三人が一緒に暮らすまえに取り決めたのは、大雑把にいえば、お互いに過干渉しないように、競争相手を出し抜くために強硬手段に出ないように、という条約だった。

 共同生活は、予想外にうまく進んだ。三人は学部もバイト先もサークルも違っていたせいかもしれない。食事は一緒に食事をとることが多かったが、そうではないときもあった。過干渉にならなかったから。


(楽しかったなぁ………)

 秋也は思った。静華との共同生活は当たり前だが、真司とも。幼馴染だった。タイプの違うふたりは子どもの頃から喧嘩をしていたが、施設の数少ない同年代として、いつも一緒に遊んでいた。秋也が養父母のもとに引き取られるとき、取っ組み合いの喧嘩になっても泣いたことがない真司が、初めて大粒の涙を零して泣いたことを今でも覚えている。

(こいつは良いやつだ)

 顔が良くて、頭が良くて、何より性格が良くて。くそ、涙で目の前が霞んできた。いかん。情けない。静華が「イケメンすぎて胃がもたれる」と真司をフる可能性もあるのに。いや、ないか、くそ、しかし、こいつなら、静華を任せられる。


「静、言ってくれ」

 と秋也は促す。早く言ってくれないと、涙から鼻水まで、嗚咽までもが零れ落ちてしまいそうだった。

「秋くん……ごめんなさい」

 正座の静華が、頭を下げて言った。震えていたが、はっきりとした言い方だった。

 予想できた答えだった。そうだ。でもいいんだ、これで。静華はどこか天然なところがあって、だから誰よりも信用できる男に託したかった。

 真、良かったな。そう言い残し、秋也はこの部屋を立ち去るつもりだった。とりあえず携帯電話と財布だけ持って出よう。荷物はあとで運び出そう。ちょっとかっこ悪いかもしれないけれど。


「真くんも……ごめんなさい」

 が、静華の口から次に出た言葉を聞いて、秋也は耳を疑った。

「あの、えっと、好きな人ができたの」

「は?」

 秋也と真司、ふたりの声が重なった。



 窓の外の川沿い、桜並木を眺める。

「真……おまえ、気づいてたか? あいつに好きな男がいたって……」

 静華が出て行ったあとで、秋也は呟いた。

「気づいてるわけないでしょ。いやぁ、女の子って、すごいなぁ………」と真はキッチンから返事をした。「お茶、飲む?」

「飲むよ……すごいなぁ、って、おまえ、ぜんぜん驚いているように見えねぇぞ」

「いや、びっくりし過ぎて、ついていけないだけ。正直、静の話もあんまり頭に入ってなかった」真司は湯呑みを二つ持ってきて、炬燵の上に置いた。「なんだっけ、相手、今年卒業する先輩だっけ?」

「結婚まで行くとはな。秒速すぎるだろ。いや、三年もあったのか。そりゃ、そうか。就職先も身許もしっかりしているっぽいけど、いちおう調べとかないとな。あの阿呆は、騙されやすいし……しっかし、結婚ねぇ………」

 行儀悪く炬燵の天板の上に座って、茶を啜る。真司の淹れてくれた緑茶は熱過ぎない温度で、濃さもちょうど良い。


 外を眺めていると、ふと真司がじっとこちらを眺めていることに気付いた。

「なんだよ」

「ふたりだけになったし、ぼくらも結婚するか」

「は?」

 と、秋也は思わず聞き返してしまった。

「え、なに、いや、おまえ、そういう——」

「冗談だよ」

 くっくと喉を鳴らして真司が笑った。

「ぼくのことを驚いているように見えない、って言ったけど、ぼくには秋のほうが冷静に見えるよ。フラれたことより、静の結婚相手が大丈夫かどうかなんて心配してさ」

「そりゃ、おれはもともと、たぶんフラれるだろうって思ってたからな……」

「なんでさ」

「おまえ、そりゃ、言うまでもねぇだろう、ちくしょう、てめぇのほうがモテるんだから」

「ま、それはそうだね」と真司はあっさりと認めた。「でも、ぼくは静が選ぶのは秋だと思ってたよ。秋は優しいからね」

「おまえ、人が傷心なときにキュンキュンすること言うな。コロッと来ちゃうだろ」

 秋也は立ち上がってキッチンへと向かう。

「お茶、足りなかった?」

「いや、花見行こうぜ」

 冷蔵庫から缶ビールを二本取り出し、窓の外を指し示す。


 ふたりで外に出て、缶ビールを飲みながら桜並木を歩く。三月末、平日の春休み。川縁の桜はまだ満開には届かず、花見客も多くはない。おかげで歩きやすい。

「静華、可愛かったよな」

 ぽつりと、口から溢れる。

「そうだね」

「ふわっとしててな、良い匂いだし」

「見た目も中身もふわふわしてたね」

「でも意外と肉が好きだし」

「焼肉好きだったねぇ」

「酒癖が悪くて」

「これも静の酒だよね」

「足のサイズは23cmで」

「えっ」真司が立ち止まる。「なんでそんなの知ってるの?」

「んなもん、靴見りゃわかるだろう」

「いや……そうかな。けっこう気持ち悪いと思う」

「そんなことねぇだろ。おまえのだってわかるし。27.5cm、ちょっと扁平足」

「ますます気持ち悪い」

 と真司が笑う。

 秋也も笑った。


 川縁のベンチに座って、川の流れを眺める。

「静華の部屋、どうする?」

 と秋也は訊いた。

「どうする……って?」

「空くだろ、一部屋。物置にゃ勿体ねぇよな。2LDKに移るって手もないでもないが……さすがにあと一年のために新しく部屋借りるのは面倒じゃねぇか? 敷金礼金も必要だし」

 思ったことを口にすると、なぜか真司はじっと秋也のことを見つめてきた。

「なんだよ」

「いや……」真司は被りを振り、手元の缶ビールを飲み干してから手を差し出してきた。「じゃあ、四年目もよろしく」

「あいよ」秋也も手を出した。握手。「四年目もよろしく」


 三周年。それが祝いになるにせよ、悪い話で終わるにせよ、三周年の次は四周年がある。今年が駄目でも、次は祝えるようになればいい。ゆっくり、ゆっくりと、流れる川の傍らを歩いていくように。

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一は三で割り切れない 山田恭 @burikino

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