獏を狩る

安良巻祐介

○○○

 ひどくおかしな夢であった。

 目の痛くなるほどの黄色の地へ、でらでらした赤い踊り文字で「出現・予覚・注意」の描かれた大看板が、鬱蒼とした森の入り口辺りに掛けられている。

 異様に年輪の多い、脳髄を思わす古切り株の上に腰かけて、その看板の文字をぼんやりと眺めながら、夢の中の私は、自らの不眠症を思っていた。

 何日寝ていないのだろうか。それすらもわからなくなっている。頭がずきずきと痛く、ひどく重たい。

 あまりに眠れなくて、もはや悪夢を見るのでも良いからと、獣の形をした夢魔を家の者に仕入れさせてきて、薬にと食ってもみたのだけれども、一向に眠れない。

 その時、家に来ていた猟師から、どうせこのような荒療治をやるのなら、夢魔よりも獏を食った方がいいと言われて、その人の伝手で獏猟をやる連中を紹介してもらった。

 何でも、獏は人の夢を食ってしまう獣であるから、胃袋の肉には沢山人の眠りが詰まっていて、触れるだけで指先が眠ってしまうほどだという。

 毒の一種として、常ならば気を付けて処分してしまう部位であるから、吝嗇の多い猟師の界隈でも、気前良く分けてくれるであろう。但し、獏は死ぬとすぐに腐って溶けてしまうから、仕留めたその場で食わないと駄目だとの話であって、それで、自らやってきたのである。

 ここへ来る途中、家は幾つも見かけたが、人には一人も会わなかった。

 しかしそれにしても、まるで世界が終わってしまったかのような静けさだ。

 その静寂の中、捩った草笛を吹くのに似た、 乾いたか細い音ばかりが、森から微かに響いてくる。飛禽の声であろうか、何だか気が変になりそうな調子だ。

 どのくらいそうしていたろうか。

 人っ子一人いなかった西からの道の上に、いくつかの人影が現れた。

 最初は、みんな角が生えているのかと思った。

 その次には、背中から管のようなものを突き出していると思った。

 しかし、白けた陽の下に、七人の男たちの姿がくっきりと見えるようになると、ようやくそれが、銃を背負っているのだとわかった。

 黒筒がピカリピカリと光って、担いだ男たちの陽気な赤ら顔が西洋の版画様に並んでいる。

 みな、ニッケルじみた禿頭に、目玉が綺麗な蜻蛉玉。そこに紅色の線が幾つも走って、口々に何か喋りたてる。

「南無。歪み真珠がもう上がつてゐる。すつかりアルコポンに酔うてゐるぞ」

「其れは貴様の顔ぢやてな。俺はシヤルムが足らぬやうに思うぞ。十四ならともかく七とは」

「さこそ僥倖、狩日和。シヤルムは己で成れば良い。七枚あらば真鍮偶とて食欲覚えやうもの」

「何でもよい。インキ薫る幻獣をソテにしてこそ、この博物展擬きの道行きも浮かばれるといふものだ」

「皆の衆、陰気の青馬車は先に出たぞ。出立、出立」

「ヤレ、青馬車! 降霊会はもう沢山だ」

 こういう特殊な動物を狩る界隈というのは、全く謎かけのような独特の符丁が多いとは聞いていたが、それにしても何を言っているのだか、ひとつも理解できない。

 一応、帽子を脱いでお辞儀をすると、万事承知といった体で、猟師たちは顔を見合わせ、力強くうなずいたので、兎に角ついてゆくことにした。

 七人の猟師と共に、森の中へと入ってゆく。

 七つの手の掲げた黒筒のそれぞれから、どづむ、どづむと威勢のよい火が出て、森の奥から、何かが、ぶるぶる、ずのずの…と震え、吼える音が聞こえた。

 何も武器を持ってこなかったことを今さら思い出し、急に心細くなる私をよそに、男たちは赤ら顔の笑みを崩さぬまま進軍し、そうして、森の一番突き当りにある、渦を巻いたような不思議な形の樹のところまで来た。

 その樹の根元に、ひどく大きい、小山のような獣がうずくまっていた。

 それは、真っ黒い雲に似た体毛の深い層の下に、毛の全くない、肉の剥き出しの体があって、頭と呼べるものが無くて、腹のあたりにぎょろぎょろとした目玉が二つくっついて、下から見上げている。

 動物図鑑に載っている獏とは似ても似つかない姿に、私は心臓が縮み上がるような思いでいたが、猟師たちはさすがに慣れたもので、笑い顔を崩さぬまま、手に手に携えた黒い筒をそれへと向けた。

 そして、容赦も何もなく、全員でいきなりぶっぱなしたのである。

 全ての銃声が重なって、雷鳴のような轟音。

 奇妙な獣の全身に、ぼつんぼつんと円い穴がちょうど七つ出来て、かれはずのののの…と厳かに吼えた後、静かになった。

 ――狩り、というよりも、それは、言うなれば、王の処刑のようであった。

 戦慄と同時に、どこか神妙な気持ちになって、放心していた私は、猟師たちが火をおこし、仕留めた獏をばらばらに切り分け始めたところで、我に返った。

「胃を…胃袋を…」

 駆け寄ると、猟師の一人が、半笑いで何かの塊を放ってくれたので、慌てて受け止める。

 手の中を見ると、そこには、体を丸くして、ぐうぐうと寝ている、小さな私自身の姿があった。

 あっと声を上げ、火の方を見ると、ばらばらにされていく獏も、眼を閉じた巨大な私の顔の、上半分なのであった。

 私はそのまま、湧き上がった衝動に任せ、手の中の小さな私――憎らしい顔で、幸せそうに寝ていやがるそいつを、口の中へと放り込んで、思い切り噛みしめた。…

 づどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどん

 頭の内も外も、激しい爆裂に満たされて……そして、私は、何日かぶりに、さっぱりした気持ちで、目が覚めたのである。

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獏を狩る 安良巻祐介 @aramaki88

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