これは俺が求めた『めざめ』じゃない。
紺野咲良
ねむい、だるい
「……ねむ」
この日も快眠とは程遠い。
「……だる」
眠い、だるいの三拍子が揃ってしまった――と思ったが一つ足りていない。数も数えられないぐらい頭が働いていない。
本日は金曜日だ。一週間が終わろうとも、
「味わってみてえなぁ……最高の目覚め、ってやつ……」
ぽつり、こぼれ出た独り言。
周囲には誰もいなかった。いたとしても、聞こえるほどの声量ではなかった……はずなのに。
「お任せください!」
と、応じてくる声があった。
「は?」
「あなたの望み、叶えてしんぜましょう!」
いつのまにやら、隣には見知らぬ少女がいた。
風になびく長い黒髪は大人びた印象を受けるが、それを
「いや、ありがたい話なんだが」
「はい?」
「なに平然と並走してんの?」
俺は現在、自転車をこいでいた。なのに生身でぴったりとくっついてくる少女。
加えて言えば、正しくは並走ではない。並歩だ。つまり競歩。物凄い身体能力だと感心したいところだが、ただただ気色悪い。
俺の疑問に答える代わりに、少女はにっこり微笑むと、
「はい、どうぞ! 当店のチラシです! 地図も記載されていますので、本日のお勤めが終わりましたら、ぜひぜひっ!」
そこまで一気にまくしたて、少女はあっさりと俺を追い越していった。念を押すが、こちらは自転車だ。
「……なんだったんだよ」
今、真っ先に成すべきこと、それは。
「ゴミ箱、どっかにねぇかな」
「……やっぱ疲れてんのかな」
終業後。
ふと気が付けば、チラシに記された場所へとたどり着いていた。夢遊病だろうか。そろそろ病院に行こうか。
「ってか、なんなんだよ……この建物」
言い表すこと自体は
こんな場所が店であるはずもなく、店だとしても絶対ヤバい。
「うん」
帰るか――そう思った時。
「あっ、お兄さん! ようこそおいでなさいました!」
遅かったらしく、悪霊に見つかってしまった。今朝は何とも思わなかったが、夜の廃墟の長い黒髪の女。取り合わせは完全にホラーだ。
「いやはや喜ばしい限りです、出血大サービスしちゃいますよ!」
出血するのが俺じゃないことを祈る。
いや、祈ってる場合じゃない。帰ろう。
「あぁすまん、急に用事を――」
「ささっ、中へどーぞどーぞ!」
「いや、だから用事が……って、おい!?」
妙な浮遊感を感じるなと思ったら、両足が浮いている。あろうことか、この少女は片手で俺の体を持ち上げているようだ。
「おまっ……一体何を食ったらそんな馬鹿力になるんだよ!?」
こうして俺は、
外観の印象を裏切ることなく、中も怪しい雰囲気を
修繕が
「一名様、ご案内でーす」
その声に応じ、ぬうっと何者かが姿を現した。
金髪の西洋系と
悟った。俺、もう家には帰れない。
「ど、どちらさんで?」
「……」
大男は無反応だった。日本語ではダメか。
「彼はここのオーナーシェフです」
「シェフ? ってこたぁ、ここはレストランなのか?」
完全に予想外ではあったが、少し胸を撫で下ろす。
「何を寝ぼけたことを。どこからどう見てもレストランでしょう?」
「どっからどう見ても廃墟にしか見えねえな」
「お客様の目は節穴ですか。こんなにも素敵空間ですのに」
「なら、お前の目はワームホールか? ここのどこをどう切り取ればレストランと結び付けられるんだよ」
断言する、ここをレストランと見破れる人類は存在しない。
「でしたら、シェフをご覧になれば一目瞭然でしょう」
「あん?」
大男の姿をじっと睨んでみる。
一目と言わずいくら観察しようとも、浮かび上がる思いはただ一つ。なぜあんなにもマッチョなのかということだけだ。
正直シェフなのかも疑わしい。この少女といい、料理に
「アイツが? どうしたって?」
「見るからに神々しいオーラを放っているではありませんか」
「お前の目はマジでどうなってんだ」
「彼の料理を食せば、天にも昇る心地を味わえると、もっぱら評判なのですからね」
「ハイになってラリっちまうようなもんでも食わされてんじゃねえのか」
「正にその通りなのです!」
「否定ぐらいしろよ」
すっげえいい笑顔で頷かれた。不安が
「ご所望は『最高のめざめ』でしたよね? 見事、ご期待に沿えるものをご用意致しますから!」
「ほんとかね」
「お任せください。きっと病みつきになりますよ、それ無しでは生きられない体にして差し上げますよ!」
「やっぱヤベえもん使ってんだろ」
もうどうにでもなれ。
待つこと、数分。少女が料理を運んできた。
透明なコップ状の器に盛られている、乳白色の液体。どうやらスープのようだ。
「こちら、当店自慢のビシソワーズです!」
「ビ……なんて?」
「びしそわあず。です」
「知らねえな」
「え、ご存じない感じですか? まじですか? そんな
「……」
ぶん殴りたい衝動に駆られるが、ぐっと
「ビシソワーズ、ねぇ」
名前からして薬臭い。しかし、薬膳料理という可能性もある。
それにもとより、これを食す以外の選択肢はない。この少女たちから逃れられるビジョンが全く見えないのだから。
心の中で十字を切り、『南無三』と唱える。腹を
「うっ……!?」
咄嗟に口を覆い、呻く。
「なっ……んだ、こりゃあ!?」
「ふっふん。いかがですか、お客様」
「美味い! 美味すぎる! こんな美味いスープは初めてだ!」
蓄積された疲労が吹っ飛ぶようだった。体中の毒素やら何やらが残らず浄化していくようだった。
そして確信めいた思いが芽生える。明日の朝は、必ずや『最高の目覚め』を味わえると。
先の少女の台詞も決して大げさなものではなかったと、完全に思い知らされた。
「お気に召していただけましたか」
「すまん、
「そうでしょう、そうでしょう」
「お陰で明日は味わえる気がするよ。『最高の目覚め』ってやつをな」
少女がきょとんとして、首を
「……何を仰います? もう味わったではありませんか」
「は?」
「綺麗に召し上がられましたよ。ほら」
少女が空になった器を示す。
「コイツが? 『最高の目覚め』だって?」
「はい。『最高のめざめ』です。――こちらが」
そう言って何かを手渡してきた。
「……ジャガイモ?」
「ええ。ビシソワーズというのは、ジャガイモのポタージュのことなのです。で、そちらが『インカのめざめ』という品種でして。その中でも最高級の物が――」
少女の説明は、ろくに耳に入ってこなかった。
人生で初めて、最高の『目覚め』を味わえると思ったのに。
それが……インカの『めざめ』という、ジャガイモのことだったなんて。
俺の手から、芋が転がり落ちた。ぐしゃ、という鈍い音を響かせて。
「あーーー!?」
少女の悲痛な叫びが、俺を現実へと引き戻した。
「あ、ああ……悪い。買い取って、ちゃんと俺が食うから」
勘違いだったとはいえ、美味かったのは確かだ。食べ物を粗末にするのも忍びない。
「最高級とは言っても芋だろ? いくらだ? 千円ぐらいか?」
「……足りません」
「は?」
「足りません。――ゼロが、三つほど」
千円。そこに、ゼロを三つプラス。
つまり……百万円ということ。
「ば、バカ言え! こんなちっぽけな芋が、んなクソたけえわけあるか!」
「最高級だと申し上げたはずです! インカのめざめを専門に栽培している農家の方が、人生を何週すれば巡り合えるかってレベルの珠玉の逸品だったんです!」
「いやいや……それらしいこと言って、ふっかけようったって……」
涙目で、きっと睨み付けられる。さすがに良心が痛んだ。
「……嘘だろ?」
ふるふる。首を振られる。
「……マジ?」
こくこく。頷かれる。
恐る恐る財布の中身を確認する。無論そんな大金は常備していない。
不意に背後にただならぬ気配を感じ、ばっと振り向く。そこには大男がいた。
「致し方なし。払え、体で」
「お前喋れたのか!? って違う! お前まさか、ソッチの趣味が……!?」
大男が、恐ろしい形相で迫ってくる。飢えた獣のような眼光を放ち、迫ってくる。
「や、やめっ――」
俺は、この後。
徹夜でDIYをさせられた。
「……しぬ」
眠い、だるい、死ぬ。三拍子の最後の一つがめでたく出揃ってくれた。クソったれ。
いつにも増して最悪な目覚めだった。今日が休日で良かったと心から思う。徹夜は体に毒だと、身をもって学んだ。
そして同時に、こうも思う。それは裏を返せば、こういうことも言えるのではなかろうか。
――快眠とは言えずとも、疲労が抜けずとも。普通に夜に寝て、普通に朝に目覚めることができる。それがきっと、『最高の目覚め』なのだということに――
「……なるか、バカヤロウ」
今度こそ、最高の目覚めを味わえることを願って。
俺は再び、眠りに就いた。
これは俺が求めた『めざめ』じゃない。 紺野咲良 @sakura_lily
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