巨神よ、なぜ泣く。

亜済公

巨神よ、なぜ泣く。


 高層ビルが建ち並び、俺が動くのを邪魔している。

 一歩踏み出すごとに、轟音が鳴り響き、舗装された道路がくぼみ、ビルのガラスが一斉に割れる。

 そんな俺の姿を、人々は恨めしげな目で見ている。ここから立ち去れ、自分たちの街を壊すなと、彼らの目がそう言っている。


――俺は、正義の味方ではなかったのだろうか。


 俺は、彼らを守っているのではなかったのだろうか。




「君は今後我々防衛軍の備品となる」

 誓約書を差し出しながら、防衛軍の幹部らしい男は言った。冷淡な口調で、有無を言わさぬ迫力を伴って。

「肉体は我々で廃棄する。君の脳だけを摘出し、兵器に結合させる。君は人権を剥奪され、今後一切人としてあることを許されない。報酬は、君の『遺族』に渡される。――かまわないな?」

 俺は、黙って頷いた。

 ペンを持ち、サインする。

 筆跡はぐちゃぐちゃで、読めたものではなかった。




――システムオールグリーン。脳波正常。神経回路異常なし。


 オペレーターの声がする。うるさい。耳障り。けれど、耳を塞ぐ手も、黙ってくれと叫ぶ口も、とうの昔に灰になっている。


――破壊対象を確認。コマンドA-16。


 ゆっくりと顔を上げる。そこには、巨大な人影がある。俺とよく似た姿――対怪獣兵器「SAVE-32」の影が、そこにはある。


 走り出した。どうしようもない破壊衝動が、俺の体を突き動かしている。この衝動が防衛軍に向けられるのならば、どんなに気持ちがいいだろう。遠くでにらむ人間どもに向けられるのなら、どんなに気持ちがいいだろう。人工的な感情は、俺の脳を支配する。冷静さを失った俺は、想像を絶する激しい憎しみを、目の前の同族に向けている。


――こいつは、一体どれだけ人類を救ってきたのだろうか。


 ふと、そんな考えが浮かぶ。

 目の前のこいつは、捨てたものに見合う価値を、終わってしまったあの戦いの中に見いだすことができたのだろうか。


――暴走した「SAVE-32」のセーフシステムは健在です。一定以上の出力は理論上不可能と思われます。


 俺は、歩いて行く。

 やつは、じっと立ち尽くしている。

 背中のナイフを抜くと、ようやくやつは動き出した。

 両手を軽くあげて、構える。ナイフ相手に丸腰で戦う気だ。殺される、つもりだ。


 駆けだした。道路が陥没し、水道管からあふれ出た水が、足をぬらす。

 腹めがけて、右手に持ったナイフを突き出す。やつは外側に上体を反らすと、腕と肩をつかみ、引き倒す。俺はビルに向かって勢いよく倒れる。

 半壊するビル。無数のガラス片が、俺の体に降りかかる。

 続けて、やつは握った拳を俺の胸にたたき込んだ。アーマーにひびが入る。痛みはない。とうの昔に、麻痺させられているから。

 やつの手をつかみ、ナイフを押し当て、たたき切った。アーマーはもろく崩れ、切断された腕とともに、青い液体が飛び散る。

 俺はやつの腹を蹴って、立ち上がる。

 やつもまた、俺のことを見ている。


――損傷率10パーセント。問題ありません。


 うるさい。うるさいうるさい。

 オペレーターの冷徹な声がうるさい。こちらを見て口々に非難する人間どもの声がうるさい。目の前にいるやつの、悲しい叫び声が本当にうるさい。


 走る。ナイフを突き出す。やつは甲で刃先をそらす。腹へ繰り出される蹴りを、左手で防ぐ。アーマーが割れ、破片が飛び散り、民家の屋根を突き破った。

 膝で蹴り上げ、ナイフで突き刺す。青い液体が、俺の体に降りかかる。


 やつの目が死んでいく。液体の噴出が、少しずつ穏やかになっていく。

 人間どもが、やれやれと動き出す。


――これより作戦を終了します。視界を制限。セーフシステム起動。拘束具をロックしました。


 うるさい。うるさいうるさい。

 オペレーターの冷淡な声がうるさい。人々の、あんなものなくせばいいという声がうるさい。破壊に巻き込まれた人々の、助けを求める声がうるさい。


――残らず駆逐された怪獣達の、あざ笑う声がうるさい。


 液体の噴出がとまる。視界がブラックアウトする。

 やがて、俺の脳は昏睡状態となる。




 巨神よ、なぜ泣く。


 ただ、守るべきものがわからないから。

 ただ、殺すべきものがどこにもないから。


 ただ、自分には何も残されていなかったから。

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巨神よ、なぜ泣く。 亜済公 @hiro1205

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