料理研究家ー血への目覚めー

奥森 蛍

第1話 料理研究家ー血への目覚めー

 暗がりの寝室にそっと浮かび上がるパソコンの画面、浮かび上がる顔は青白く能面のように気色がない。料理研究家中島弓子は立ったまま無心で包丁を握りしめトマトの薄皮を剥いていた。左手が小刻みに震える。次第にわななきは激しくなりグシャグシャにつぶれたトマトから豊かな汁がしたたり落ちた。弓子はつぶれたトマトを包丁にスーッと突き刺すとそのまま包丁を壁に投げつけた。ダンッと突き刺さる音、ちぎれ飛ぶトマト、その後再び訪れる静寂。


 弓子はパソコンの前に座り再び没頭する。見ているのは『おばちゃん料理研究家4』という掲示板だ。


――今日の弓子最悪だったわ~

――アイライン書くの下手過ぎ

――レシピは美味かった、でもあの顔はいただけんな

――生足とか誰誘惑するつもりなんだよ。ストッキング位吐けよ。


 弓子はそっと書き込む。


――私は弓子先生好きだな。レシピも美味しかったよ、作ってみて。


 パソコンの電源を落とすと寝室を出た。リビングでは夫が弓子の作った食事で晩酌をしていた。


「随分熱心に仕事してたな」

「毎日レシピ更新しないと。みんな楽しみにしているから」


 弓子は自分のPRも兼ねて毎日ブログでレシピを公開している。夫もそれをしていたのだと勘違いしている。弓子の中で目覚め始めた狂気を知らない。


「みそ汁お代わりある?」

「はい、今入れますね」


 弓子は笑顔で夫の手から椀を受け取るとコンロの前に立った。本当はみそ汁は再加熱するとみその風味が落ちるから作り直してあげたい。でも残っているし勿体ないと思って沸かし直す。待っている間、弓子はぼーっと昼の出来事を思い出し始めた。



――水曜日の講師は中島弓子先生です。先生どうぞー。


 聴衆は拍手で弓子を迎え入れた。特設キッチンには弓子の指定した具材が準備され、差し替えする鍋等も完璧に準備されている。作るのは鶏の辛子炒め、弓子の十八番の中華料理だ。鶏のから揚げとピーマンを炒め、醤油とみりんと唐辛子で味付した料理だが、ポイントはローストしたカシューナッツを入れること。これを入れなければ味は引き立たない。


――普段はどんな時にお作りになるんですか?


 アシスタントの高城なつみアナウンサーが質問をしてくる。局きっての人気アナでこの料理コーナーが高視聴率を獲得できている一因だと言っても過言ではない。


――よくお誕生日とかに作ります。主人も大好物で。

――じゃあ、お孫さんにもお作りになるんですか?

――ええ、もちろんです。


 断っておくが私に孫はいない。私は45歳だ。そんな歳じゃない。


 一瞬思考回路が停止しそうになったが体裁を繕い笑顔で応じた。無事番組は終了し収録を終えたところで憤怒した。


「あなた、何様のつもり!」

「えっ?」


 高城なつみが目を丸くして首を傾げる。


「私に孫がいるって誰がいつ言ったのよ!」


 高城なつみは憎らしくも可愛らしい顔で「アッ」という顔をすると「ごめんなさいっ! てっきり60代だからいらっしゃるかと思って……」と述べた。何度も言おう、私は45歳だ。


「アシスタント変えてちょうだい!」


 慌ててプロデューサーが走ってくる。


「先生、大変申し訳ございません。高城には重々言い聞かせますので、どうか穏便に……」

「彼女がいるのであれば私が降板します」


 そうは言ったもののこれは唯一のレギュラー番組、当然降りるわけにはいかず拳を収めた。楽屋へ戻る途中泣き声が聞こえてきた。高城なつみだった。プロデューサーも困って「なつみちゃんも悪いんだよ、微妙な年ごろなんだから気を付けて貰わないと……」と頭を掻いている。


「だって~、そんな風にしか見えないじゃないですか。ずっと60代だと思ってたんですよ?」

「僕らも思ってたけどね。でも、怒らせたんだから一応謝ってもらわないと」


 弓子はゾッとした。皆が皆そういうふうに思ってたのか。ショックのあまりその場を立ち去って楽屋へと戻った。頭を抱え込んでいるとノックする音がして「どうぞ」と言うと高城なつみが入ってきた。


「先ほどは大変申し訳ありませんでした!」

「ああ、いいのよいいの」


 視線を合わせず、手を振る。


「私はただ、先生のこと幸せな家庭がある方と思って……」

「いいって言ってるでしょっ!!!」


 シーンと静まり返る。


「無かったことにするわ、気にしないで」

「でも……」

「出てって!」

「……」

「出てって頂戴、出てってて言ってるでしょ!」


 ヒステリックに叫ぶと、高城なつみは礼をして出ていった。



 そして帰宅して今に至る。弓子はムシャクシャした時トマトに当たるということをよくやっていた。ギュッと握ると気持ちよくつぶれてどうにでもなる。スーパーで特売の時買い溜めして野菜室の奥に隠してある。夫も知らない小さな私の秘密。

弓子は食事をする夫の前に座ると小さくため息を吐いた。


「若い子ってやーね」

「何かあった?」

「ちょっとね」

「元気ないね」

「あなた、私番組辞めてやろうと思ってるの」

「どうしてまた?」

「ちょっとトラブルがあって」

「ただ、辞めるだけじゃ癪だから歴史に残る放送回にしてやろうと思ってるの」

「それはまた大きく出た」

「何かいいアイデアないかしら? 皆あっと驚くような」

「アイデアかあ、人んち行って残り物で料理作るとかは?」

「そうね! それも面白そう。でももっとインパクトのある物ないかしら?」

「マグロの解体ショーとかどう?」


 夫が肉じゃがを口に放り込みながら口にする。


「解体ショー……」


 弓子は何かを閃いたように黙り込む。


「ありがとうあなた、参考になったわ」



 翌週水曜日――


「本日の講師は中島弓子先生です。先生。今日は作る物は秘密、とのことでしたが何をお作りになるんでしょう?」


 高城なつみが作り笑顔で笑う。それを疎ましく思うが、まあいい笑っていられるのも今のうちだと冷笑する。


「地鶏鍋を作ります」

「地鶏、私も大好きです」


 その時、こけっここっこっこと声がした。何も知らぬ鶏が歩いてくる。首を前後に揺らしながらここはどこだろうと見分しているような様子で。


 弓子はしゃがみ込むと鶏の首を鷲掴みにしてそのままへし折った。バキッと音がした後、鶏は動かなくなった。スタジオの時が止まる。鶏は雰囲気を出すためと説明されていたスタッフ一同は猛スピードでこれからすべきことを考えていた。そして放送を中止させようとするより早く、弓子が無心で鶏の羽をむしり始めた。猛スピードで丸裸にしていく。裸の鶏をまな板に乗せると首を一刀両断した。先ほどまで生きていた鶏の首から鮮血が流れでる。


「きゃああああああああ」


 高城なつみの声がスタジオ中に響く。


「もうちょっとで捌けますからね~」


 弓子は笑顔でカメラに向くとすかさず肉を分断していく。


「あら、肉が足りませんね」


 そう言うと二匹目の鶏の首を鷲掴みにして……(以下略)



 テレビではその頃ひまわり畑の映像が流れていた。

――らんらんららららんらんらん~


 しばらくの映像差し替えの後、真面目な顔をしたアナウンサーが出てきた。


「お見苦しいところをお見せしました。謹んでお詫び申し上げます」


 その日、BTB放送局にはクレームが殺到したという。そして、これは弓子の目的通り歴史に残る放送回となった。番組からは降板させられ、でも狙い通り番組も打ち切りになった。そして、今は晴れてYouTuber。


――こんにちは、弓子の解体ショーです。今日解体するのはハマグリ。じっくり痛ぶっていきましょう。まず包丁を……


(了)

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料理研究家ー血への目覚めー 奥森 蛍 @whiterabbits

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