理性の目覚め

長廻 勉

理性の目覚め

ふわふわと綿のように浮いている?

それにしては、辺りは暗く、周りは何やら湿っぽい。


それともどろどろとした底なしの沼に沈んでいる?

それにしては、辺りは暖かく、周りはほんのりと心地よい。


何時までもここに留まっていたい気持ちが気だるい壁のように立ち塞がり、私は後半歩だけ踏み出せない。

おそらくここは私のために用意された部屋なのだろう。

だからこんなにも居心地が良いのだ。


しかし、部屋の外にいる人達が最近ここから立ち退くように迫ってくる。

おかしな話も合ったものである。

何せ、私がこの部屋にやって来た時、人々はそのことを大いに喜んでいたではないか。


それが今になって、「いつ出てくる?」などと言うのは少々白状ではないか?


私が外に出て、貴女達のいったい何がどうなるのだ?

私と言う存在に何を期待しているのだ?


それにここを出て行った先、私に何が待ち受けている数々の障害について考えると、壁は一層緊張を帯びるのだ。

ここにいれば安心、それは私が想像できる範囲での絶対的な確信である。

だから、私の踏ん切りがつくまでもう少し時間をくれないか?


私は部屋の外にいる人にそう告げようとするが、思う様に声が出ない。

だから、部屋の壁を蹴って意思表示をする。

必死になって出まいと抵抗する。



しかし、部屋はどんどん狭くなっていくのだ。

外にいる人が悲痛な叫びとともに実力手段に打って出てきた。


それほどまでに私を外に出したいのか?

私が外に出ることで、貴女達にだって数々の難題や障害が立ちふさがるのかもしれないのに。


既に私の身体を満たしていた暖かさは部屋に無い。


私の都合も気持ちもお構いなしで、私は部屋から出ることは既に決定事項となった。

どうやら、次が待っているらしいのだ。


そうであれば……仕方がない。


私はゆっくりと、一歩ずつ這うように外へ出ようとする。

誰かは分からないが、それを必死に手助けしてくれているような気がするのだ。

その証拠に、周りの壁はどんどんと私の身体を外へと押し上げる。


冷たい大気が私の身体を悪戯に突く。

痛いくらいのまぶしさが弾丸の様に瞳に突き刺さった。

次に周りから驚きと喜びが入りまじった大声が次々に聞こえてくる。


「お母さん!出てきましたよ!」


「お疲れです!」


世界が一瞬して引っくり返ったような衝撃に私は思わず大声を上げてしまった。

見えてくる光を、聞こえてくる声を、私に備わっている感覚を刺激する全てを掻き消したかったのだ。


しかし、私が大声を上げれば上げるほど、聞こえてくる声はどんどんと大きくなり、光はどんどんと強くなる。


不意に体が浮き上がる感覚を覚えた。

部屋の中にいた時の様な暖かさはなかったが、何処か安心する優しさと心地よさに身体が揺れた。


「お母さん、声が聞こえますか?元気な女の子ですよ。」


オンナノコ?

それは、ひょっとして私の事だろうか?


今はそれがなんなのか分からない。

しかし、その正体についていずれ私にも分かる日がやってくる気がした。

おそらく今みたいな場面で。


しばらくすると、私は大声を上げる事をやめていた。

このまま叫んでいてもつかれるだけで、もうあの部屋には戻れないことをいい加減に察した。

もう外の世界で生きていくしかない、私はそう思って諦めた。


私の身体から、ひんやりと優しい感触が無くなる。

別のどこかに寝かされたらしい。

心地よさが突然いなくなったことに不安を覚え辺りを見渡すと、ぼんやりとした輪郭が目に入った。

それは、最初に見た光よりもまぶしく、私を揺らしていた感触よりも暖かだった。

その輪郭を見ているだけで、今までいた部屋のことなどすっかり忘れてしまっていた。


「おはよう。」


輪郭が私が出て来た際に聞いたどの声よりも喜びに溢れた優しい声で、私に話しかける。


私は、今日この時、この世界で目覚めたのだった。

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