眠れる獅子
丹風 雅
眠れる獅子
森を白く染める雨が、体温を容赦なく奪っていく。彼の足は折れて激痛を生んでいる。すぐ近くにある倒木のうろの中へ這って入るのがやっとであった。滝を間近に聞くような音の中で、微かな希望を探して耳を研ぎ澄ましていた。あるいは絶望か。仲間とは離れているが、呼びかけるわけにはいかない。先に敵が聞きつけるだろう。
豪雨で崖が崩れたのだ。よく命があったものだと、彼は土砂の山を見ていた。彼は祈る神を持たなかった。祈るより自分で道を切り開くという性分だったから、神の奇跡を借りることは叶わない。手元の魔導通信機は半分に割れて、無残ながらくたになっていた。脆い技術に頼るより身一つで祈るほうが幾分ましかもしれないと、暗く笑った。
雷鳴が響きだした。自然ではない。彼はまだ希望を捨てずにいた。手元にあるのは矢の尽きた弓、トラップツール、ナイフ、医療キットなど。正面を切って戦う手段はなかった。彼は胸元のペンダントを見た。無骨な太いチェーンに繋がれた水晶である。灰褐色に濁った水晶は鉄線の殻で守られていた。彼は複雑な目でペンダントを睨み付けた。
閃光が青く走って、彼の木が爆ぜた。雷が直撃したのだ。衝撃に吹き飛ばされた身体を起こして、絶望を見た。銃口に青い稲妻を纏うリボルバーを右手に、白衣の男は距離を詰める。赤く充血した眼と鋭い八重歯が怪しく光っていた。
「便利なものだな。
男は愉悦の笑みを浮かべてリボルバーを向ける。雷鳴の分だけ弾倉は空になっていた。彼自身に魔術は使えない。しかし彼は魔術師だった。雷の魔術の込められた弾を撃ち出す特殊な銃を、彼は好んで使う。特殊な鍛錬などせずとも引金ひとつで魔術を使うのは、まさに魔法だった。
「死ぬ前にいくつか聞くことがあるぞ、レオン」
「いいのかよ。オレを殺したら探し物が無くなるかもしれんぜ」
「構わん。死体から盗るほうがずっと簡単だからな。もっともお前は隠す気などないようだが」
男はレオンの首に掛けられたペンダントを見た。レオンはチェーンを外して、眺めるように自分の顔の前にぶら下げた。殻の内にある水晶は曇っていた。
「これが欲しいんだろ。アンタ、アクセサリーの趣味悪いなぁ」
「遺跡で何があった」
「……ギルバード商会」
その一言で男は眉を吊り上げる。すぐにでも撃鉄を鳴らそうとして、やめた。
ギルバード商会は魔導機の研究と流通によって多大な利益を上げる最大手のギルドである。冒険者を雇って遺跡探索を依頼し、そこで見つかった魔導機を高額で買い取っている。――表向きには。
「は、やっぱりな。アンタらの後ろ盾はギルバード商会か。だったらこれは魔導機だろ。血眼になって探すほどのな」
「遺跡であった事を話せ!」
「断る!」
瞬時、持っていたペンダントを大きく振った。先端は固い岩肌に叩きつけられ、欠片が飛散する。男の瞳孔は広がり、血走って真赤な眼になった。
「アンタに渡すぐらいなら、こうだ」
「貴様――」
引金に指を掛ける。撃鉄が持ち上がろうとした瞬間、ペンダントが閃光を放った。目が眩み、銃口はあらぬ方向へと向く。雷鳴は天を衝いた。
光は水晶から出た。鉄線の殻は割れて吹き飛んでいたが、水晶は無傷だった。封印は解かれたのだ。灰褐色の霧が水晶から流れ出す。レオンの身体をすっかり包み込んで、灰色の殻となった。殻の中でレオンは無機質な声を聞いた。
「適合確認――
男は視力を取り戻し、再び引金を引いた。青い雷は殻の表面を滑り、消えた。後にはもう何もない。弾切れだった。半狂乱になって撃ち続けようとしたが、撃鉄の音が空しく響くのみだった。
レオンは冷静に遺跡でのやり取りを思い出していた。危機を救う、祈りに似た言葉。その言葉を、神にではなく、己に叫んだ。
「――
その叫びで、灰の殻は爆ぜるように霧散した。レオンはその中心で堂々と立っていた。胸元には太陽に似た金の光を閉じ込めた水晶があった。強い力が折れた骨の代わりに足となって彼を支えている。力は金色の鎧となって彼を覆った。心は勇になった。ペンダントから溢れ出す力が、金の霧となって身を包んでいるようだった。
鎧は陽で煌いた。彼の周囲だけ切り取ったように雨雲が除かれたのだ。雲間から差す太陽は柱となってレオンを照らした。
獅子のごとき威風に、男は言葉もなかった。魔導機の研究を長く続けていたからこそ理解したのだ。自分が作った
「遺跡で起きたこと、知りたがってたな」
右の拳を向ける。男にはそれが大砲に見えた。砲身は陽光を受けて光る金。
砲弾は――
「眠れる獅子が目覚めたのさ」
金色の稲妻が男の身体を貫いた。
眠れる獅子 丹風 雅 @tomosige
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