KAC7: 水仙はサイレンの夢をみるか?

鍋島小骨

水仙はサイレンの夢をみるか?

 お疲れのあなたに最高の夢と目覚めを。


 布団みたいな売り文句だが、本当にこんなガバガバのコピーが効いて、最近のリラクゼーション業界では人工夢セラピーが伸びてきている。今や「夢をみる」といえばそうした店で入眠し購入した夢を観ることを指しており、有史以来長らく人間が経験してきた夢のほうは生夢ロードリームなどという再命名語レトロニムで呼ばれる始末だ。

 最短九十分で、あらかじめ選んだ幾つかのシーンを体験できる。例えば、美しい風景の中でリラックスする夢。大事な人と焚火を眺める夢。

 そうして気分よくスッキリ目覚めてまた現実を頑張りましょう! という、栄養ドリンクか自分へのご褒美スイーツみたいな夢が、中途半端にお手頃な三千円台から売られるようになった。


 やがてプログラムの再現性やリアリティが飛躍的に向上し、別の需要が起こった。

 現実では法的に禁じられている行為を、夢の中で疑似体験する。例えば、学校や会社を爆破したい。国宝の寺に思いっ切り落書きしたい。高所から人を突き落としたい。頭が砕けるまで人を殴りたい。首を吊りたい。人混みで銃を撃ちたい。猛獣に生きながら食われたい。エトセトラ、エトセトラ。

 夢セラピーはさながら違法行為体験システムになり始めた。創作の自由と喰い合って、法の規制が間に合っていないためだ。




「で、ヤバいプログラムほど高く売りやすいんで、違法体験がウリの夢屋は滅茶苦茶やる。夢が滅茶苦茶はまあいいとして」


「いいんすか」


「法的にはまだね。それより入眠管理が乱暴で、客に健康被害が出る。脳にストレスが掛かるから何も夢になってない。そういう被害を聞き取って店を摘発、指導するのがここの仕事」


 はい今日の案件、と渡された書類を見ると、被害者の訴えは「拘束美少年の大規模ハーレムを注文したのに水仙の鉢が無数に並ぶ広大な温室で永遠に水やりをする夢だった。騙された」というもので、これは強めの意思疎通不全、もしくは解釈違いが想定される。


「こんなもん、『注文時にビジュアル含めよく確認し合ってください』で終了なんでは?」


「お前は俺の話聞いてたの? 続きを読んで。入眠管理が乱暴で客に健康被害が出てるっつったろ。すげえ疲れる夢で目が覚めてもぐったりで、次の日出勤途中に階段で転倒、失神、搬送、一両日意識不明でその間また水仙棚の夢ずっと観てて泥のように疲れて目が覚めた、っつー訴えだよ」


「うわ、しんどい」


「だろ?」


 車は先輩の運転で問題の店に向かっている。本当は後輩の私が運転するべきなんだろうけど、先輩は先に運転席に座ってしまい、土地勘ないだろうからいいよ、と言ってくれた。

 私はまだ新人で、今日が初めての現場。有能な捜査官であるこの先輩の相棒に抜擢された。期待され認められている感じは心地いいし、先輩は結構かっこいいので諸々ラッキーだ。

 夜色の車窓を猥雑な街の灯りが流星の束のように飛び去っていく。地方出身の私にとっては、びっくりするくらい広い繁華街だ。都会はサイズ感が違う。


「もう着くぞ。相手が大人しければ見てるだけでいいけど、何かあったらすぐ撃てよ」


 は、現場判断で殺していいことになっている。特殊な職業であり、特別な権限を与えられている。

 小雨の降る繁華街の外れに車を停めて、素早く雑居ビルに入る。たくさんの小さな看板には多国籍の言語が踊っている。間口の狭い古いビルの中を進み、裏口に近い位置の一店舗のドアを先輩がゆっくり開ける。

 暗い店内、深い青紫色の照明。甘く懐かしいような香りと、せせらぎやハイトーンヴォイスの合唱クワイアを取り入れた環境音楽。その奥から、マオカラーの黒いジャケットを身につけたサングラスの男が進み出てくる。


「いらっしゃいませ。何分コースになさいますか? 夢はセットからカスタマイズまで幅広くお選びいただけます。新技術の同調シンクロプログラムもお楽しみいただけますよ。カップル用のメニューもご用意ございます」


「残念ながら客じゃない」


 先輩はスーツの内ポケットから身分証明バッジを出してサングラス男に見せた。私も慌てて同じようにする。


「ここの客から被害の訴えが出てる。調べさせてもらうぞ」


「手入れか!」


 サングラス男はさっと後ろに飛び退くと、壁の黒いカーテンの後ろに手を差し込む。何かスイッチでもあったか、途端に周囲から人の気配が殺到してきた。


「機器の検査と聴取が出来りゃいいんだけど、受ける気はないってことでいいの?」


 先輩はだるそうに言って、上着に隠れたホルスターから銃を抜いた。

 なるほど、大人しい相手じゃなさそうだから、私も見てるだけでは済まないか。私は腰の後ろに差していた銃を利き手で触れた。

 訓練では撃ったことがある。現場ではまだだ。

 人形は撃ったことがある。人間はまだだ。

 怒号が聞こえてくる。足音。撃鉄。おや、刃物を抜く音まで。


「後輩、抜かるなよ」


 ちらりとこちらに視線だけくれて先輩は、薄笑いでそう言い。

 次の瞬間、暗く狭い部屋で銃撃戦が始まった。

 と言っても状況は始めからあまりにも非対称だ。先輩の初弾でサングラス男ごと奥の壁が大きくぶち抜かれ、蜂の巣のような小部屋が斜め円筒状にえぐられれきが飛ぶ。先輩の二丁の銃のうち最初に抜いた方は、やや大振りの拳銃ハンドガンサイズでありながら実態は対物破壊兵器だ。

 あらゆる小部屋からの悲鳴。配線類が断続的に火花を放つ。怒号。轟音。私は銃を両手で確実に構え連射する。発砲のたびに反動が心地よく肩から後頭部に響く。環境音楽はポップで感情的なエモコアっぽい曲に変わって明るく鳴り響いている。

 建物の奥、或いは空いた天井から武器を手にした男たちがわらわらと湧いてくる。手当たり次第に撃ってくるそいつらを、私は順に仕留める。

 そのようにして、先輩が半分廃墟にした建物の中を掃討しながら進む。私たちは全部殺していい。特別な権限と特別な武器がある。歯向かうものは皆殺しだ。

 支配する神のように撃った。視界の中で人間がやわらかく弾けて飛ぶ。血飛沫を上げて次々ただの死体モノになる。私は続けざまに撃つ。轟音と共に死体を造る。いくらでも。いくらでも。気持ちがいい。私は撃ち損じない。意志より先に身体は獲物に銃口を向ける、正確に。先輩が笑っている。ああ、ほんとに私の好みだな。

 ぶち破られて吹き抜けになった天井の大穴から雨が降る。真っ黒な夜空を広告まみれの飛行船が横切っていく。寿司屋。オリオン。強力れかもと。

 先輩の死角から飛び出した男を咄嗟の片手撃ちで仕留めた。先輩はそれをふいと見てから私の方を向き、どしゃめしゃの廃墟と雨とネオンサインを背負って両手の銃を掲げて見せる。


「終了だ。お疲れさん」


 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。


 ああ、なんて美しい。







 柔らかな白い光の強まりがまぶたの裏に感じ取れた。

 私は目を覚ます。

 暖かいベッドの中で、ほぐれた身体をもぞもぞ動かす。目を開けるのがもったいない。気分がいい。身体の中の疲れが根こそぎ洗い流されたかのようだ。こんな清々しい目覚めはどのくらい振りだろうか。

 薄目を開けて伸びをしていると、ベッドサイドの機械から滑らかな男の声がした。


《おはようございます。今日の夢はいかがでしたか? カスタマイズ百二十分コースは正常に終了いたしました。お忘れもののないよう……》


 その時、部屋の外でばたばたと人の走る音が聞こえ、やがてどずん、と腹に響くような重低音が鳴り響いた。悲鳴。怒号。私はベッドを降りてスリッパを履き、施術着の襟元を掻き合わせながらドアの側に立って外の様子を伺おうと顔を近付けた。

 瞬間、ドアごと壁が消え私は空気にぶん殴られて後ろ向きに飛ばされ叩きつけられる。背中を打って急に息ができなくなる。照明が瞬いて消える。銃声。

 銃声?

 痛む身体を何とか動かして起き上がると、抉り取られてひどく見通しのよくなった空間の先には大振りの銃を構えたの姿がある。


「店長さん、立ち入り検査を拒否したのはあんただぞ。こうなるのは分かってたことだろ?」


 ……え?

 悪質な夢セラピー屋の摘発捜査官の夢を見ていた私が本当は悪質な夢セラピー屋の客?


 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。







 柔らかな白い光が瞼に当たっている。

 私は目を覚ます。

 暖かいベッドの中で伸びをしていると、天井から滑らかな女の声がした。


《おはようございます。お好みの夢をお楽しみいただけましたか? 百二十分フリーコースのご利用ありがとうございました。お帰りの際は……》


 その時、部屋の外でばたばたと人の走る音が聞こえ、振り向くと壁もドアも廊下もない。

 ぽっかり空いた四角い穴から広告だらけの飛行船が横切るのが見える。寿司屋。オリオン。強力れかもと。サングラスをかけた男が落下していく。


 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。







 柔らかな白い光が瞼の裏をくすぐる。

 目を開けると、水仙の鉢が無数に並ぶ広大な温室。


 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。









  * * *






プログラムのループだね。雑なシステムで脳に入るからこうなる」


 医師はそう言ってモニタを指差した。映し出されているのは、無免許の夢セラピー屋から搬送された患者が観ている夢のログ。


「……夢に出てくる幾つかの音が保定ポイントに使えそうだから、すぐオペだ。どうでもいいけどこの夢の先輩、あんたに似てるね」


「似てるか? 大体、俺はこんな物騒なもん持ってねえ」


 寝不足の顔をした刑事はだるそうにモニタを見て、こんな簡単に皆殺しできりゃ苦労はねえんだよ、とぼやく。

 あははと笑って医者は立ち上がり、窓ガラスの向こうの患者を見やった。


「さあ、夢から逃がしてやるか。ループじゃない本当の覚醒だ。真の目覚めこそ最高の目覚め」


 医者はプログラムオペ室に入る。

 窓ガラス越しに刑事の姿が見える。

 その後ろを広告で満艦飾になった飛行船が横切る。寿司屋。オリオン。強力れかもと。


 そして、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。






〈了〉

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