かなたで逢いましょう。
榎本レン
第1話
ずぶり、ずぶりと底なし沼に墜ちるように、黒ずんだ泥水の中へ沈んでいく。
夏向は、諦めたようにすぐにもがくのをやめてしまう。
だって、これは、最近みるいつもの夢。
夏向が泥に沈むのはかれこれ五回以上。
いい加減、冷たい泥に纏わりつかれるのにも慣れてきた。
心配しなくても大抵のことは、きっと時間が解決してくれるはず。
必死になる必要などないのだから。
——そう諦めるのは、もう嫌だった。
夏向の夢には、【悪魔】が現れる。
——アイツならきっと。
アレに逢えるのなら、泥に沈む気持ち悪さも許容できるというものだ。
「また、泥の中にいたんだ」
少女あるいは少年、どちらともとれる声に目を開けると、そこは見慣れた自宅の一人部屋。
その部屋の中に、異物をみとめる。
夏向より少し背の低い仮面を付けた——悪魔が座っていた。
「やあ、奴隷クン、元気にしていたかな」
「奴隷になったつもりはない」
「つれないねぇ、逢いたいだなんて熱烈なラブコールを送ってくるものだから、てっきりボクのモノになってくれたのかと思ったよ」
「……」
仮面で悪魔の顔はみえなくとも、口の端を吊り上げて笑っているのが容易に想像できる。
悪魔の戯言は腹立たしかったが、それよりも悪魔の言葉を即座に否定できなかった事の方が、夏向には面白くない。
「誰が好き好んで悪魔なんかに……」
「はいはい、キミがそういうんならいいけど。 で――その様子だと『願い』が決まったんだろう? どういった願いかな? 憎い相手を殺したい? それとも億万長者になりたいのかな? ああ、思春期真っ盛りで恋人のいないキミらしく、意中の相手と恋仲になりたいって可能性もあるのか――」
「ほっとけ!」
「ゴメンゴメン、キミの反応は初々しくてね、つい興が乗ってしまう――あ、続きどうぞ」
「……同級生と仲直りする方法が知りたい」
「ぷっ……あはははははははははははははははははははは! あ、悪魔に、仲直りのお願いとか! あひ、おかしい、お腹よじれちゃう! キミ、お笑いの才能あるよ」
「帰る!」
「ああ! 帰らないで、もう笑わないって約束するから! 十回目にしてようやく『契約』する気になってくれたんだ――ここまできたらとことん付き合うさ」
夏向が、この悪魔と出会ったのはゴールデンウィーク初日の夢の中だった。
泥に飲み込まれたと思ったら、自分の部屋にいて目の前には見知らぬ悪魔を名乗る子供。
ああ、これは夢だなと夏向が理解するのにそう時間はかからなかった。
最初は、得体のしれない相手だと警戒していた夏向だが、契約を迫ってくる以外は特に害はないし、テレビゲームに異様な興味を示していた為、まあ夢だしと一緒にテレビゲームで遊んだ。
夏向は、悪魔の正体が夏向自身の作り出した幻影だと思っていたが、どうも違うらしい。
三日、四日と同じ夢をみたうえに、悪魔は、逢った回数、遊んだ格闘ゲームの勝敗を覚えていた。
願いを叶えるとかは、正直眉つばものだが、この悪魔は実際に存在しているのかもしれない。
そう思えるほどの偶然性だった。
悪魔曰く、何か心に強い願いを持っていないと悪魔と逢う事はできないという。
『初めてあったときもそうだが、面白いなキミは』
何度も出逢うのに、願いを言おうとしない夏向が珍しかったのか、悪魔は夏向を気に入ったらしい。
「しかし、『仲直りしたい』じゃなくて、『仲直りする方法』が知りたいとか、もう少し欲を出してもいいと思うんだけど」
「いいやこれでいい。 万が一、オマエが偽物でも方法をオマエが教えてくれれば、俺には一応得るものがある」
「あー、ボクの事、まだ信用してないんだ、ショックだなぁ……というか駆け引きを考えられるアタマはあるのに、仲直りの方法が思いつかないって……」
「……自覚してる」
「まあいいや、それで内容は?」
「ちょっとした事だったんだ。ゴールデンウィーク前に同級生の女の子に、誕生日プレゼントを渡して……そのあとに告白したんだけど」
「……うんうん」
「でも女の子は、困ったような顔をして何も言わずに走り去ってしまったんだ、今度会ったときに、一体なんて話せばいいのか」
「……なるほどね」
「きっと怖いんだ。女の子とは、告白する前からも友達だった。4月に初めて同じクラスになって趣味とか凄く気が合ってさ、ひとめ惚れだった。だから告白した。けど、俺は振られた後の事をぼんやりとしか考えていなくて、振られたらと思うと、いや違うな、振られて友達でいられなくなる事が怖いんだ――って、オマエどうしたんだ?」
悪魔は、深呼吸をしていた。
しばらくして、悪魔は口を開く。
「……ボクが仲直りする秘訣を教えてあげる」
悪魔の声の後、夏向は、身体に衝撃を受けた。
「ッ……」
カーペットに仰向けになった夏向の上に、悪魔は覆いかぶさる。
夏向は何が起きたのか理解できず、呆然としていた。
仮面のせいで、悪魔の表情は読みとれない。けれど、仮面越しから聞こえる息づかいに色っぽさを感じてしまって。
垂れた悪魔の短い黒い髪の艶やかさに、夏向は目を奪われる。
十秒ほど互いにみつめあった後、夏向は我に返った。
「オマエ、俺を食う気か……! 願いを叶えるかわりに対価が必要だっていったって、まだ願いは叶えてもらってないぞ!」
夏向は、悪魔を押しのけようともがく。
だが、暴れた拍子に夏向の上に落ちてきた何かが、夏向の抵抗する気を奪った。
「オマエ……」
「うん、だってもう、私の願いは叶ったもの それに願いの対価で、私はキミの
「……」
「ゴメンね……私もキミと同じように変わっていく関係を恐れたんだ」
悪魔は仮面に越し夏向に唇に口づけをした。
「だから
「たく、素直じゃないにもほどがあるだろ」
目を開けると、そこは当然
だって夏向の手には彼女への誕生日
「また、渡さなきゃな」
髪留めをみながら、しっかりと願いを叶えていった小悪魔に思いを馳せて、夏向は笑みが浮かべた。
かなたで逢いましょう。 榎本レン @enomotoren
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