終、新たな旅立ち
ぱたりと本を閉じる紫苑色した髪の男の膝に、少女が取りすがって続きをせがんだ。
「ねぇ、続きは? この人どうなるの?」
彼はふっと微笑んで少女の髪を優しく撫でた。
「そうですね。彼は、今は違う世界で違う人生を歩いていますよ」
「もうミキさんのことは忘れちゃったの?」
彼はいいえと首を振った。
「彼は彼女をまだ覚えていますよ。けれど、その思いを胸に抱いたまま自分の人生を歩んでいこうと決めたんです」
「決めたの?」
「ええ。それは迷いなど露ほども感じられないほどの強い思いでした。その強い決意に記憶の門が開かれた。めったにありませんがね」
記憶の門。それは館に記憶を残し、妄執を断ち切ったものだけに開かれる冥府へ行く唯一の扉だ。通常、館に記憶を残さないものに開かれることはないが、時には例外が起こる。強い意志を持って記憶と共に生きていこうと決意したものには開かれることがあるのだ。
「それだけ、彼の決意が固かったんでしょうね。彼女への思いと共に生きていきたいという思いが」
「ふうん」
「今の君にはまだ難しいかもしれませんね」
最後にふわりと少女の頭を撫でると、彼はそっと立ち上がり書棚に向かいその本をしまった。
「ですが、そのうち分かると思いますよ」
「そうなの?」
少女が不思議そうに首を傾けると、肩で切りそろえた髪がさらりと揺れ首筋をちらりとのぞかせる。そこには蝶のような形の痣がくっきりと見えた。
「ええ、君ならきっとね」
「ふうん」
少女はそう言うと、こどもらしくすぐにこの話に興味を失った。そして部屋の中をうろうろとし始め、あるものを見つけた。
「これ……、なぁに?」
少女が指差したものは小さな箱に入ったきらきら輝くものだった。
「あぁ、それはね……」
彼が近づきながら答える。
「彼の割れた鏡の破片ですよ」
手に取ろうとする少女を軽くたしなめ、その箱を取り上げた。
「もっともこれにはもう意味はありませんがね。自ら妄執と共存していくと決めた彼にとって、これはもうただの鏡の破片。彼女の代わりではなくなってしまいました」
「それっていいこと?」
「さぁ、どうでしょう。いいとも悪いともどちらともとれますね。その判断は、彼自身にしかできません」
少女はよくわからないと言った顔つきになった。彼はふっと笑い館の扉の前に行く。
「さぁ、君ももうそろそろ行かなければなりませんよ? 次の旅が始まります」
「えー、もう?」
ぷっと頬を膨らませる彼女をにこやかに門の前へと連れていく。
「さぁ、行っておいでなさい」
「はーい……」
少女は門を超えまばゆい光の中に溶けて行った。
門をぱたりと閉じ、彼はふぅと息を吐く。
「ミキ……。君は、今度は彼よりも早く死ぬことはないでしょうね。彼のひ孫として生まれ変わるんですから。これで止まっていた彼らの運命も再び回りだすでしょう。未来永劫の時間の果てにまた恋人として生まれ変わることができるか……、それは分かりませんが」
彼はゆっくり館に入り扉を閉じた。
と、館の輪郭が崩れていき現れた時と同じように突如その質量がなくなっていく。
そしてかき消すようにその存在がなくなり、辺りは再び闇に包まれた。
そしてどのくらいの時間が流れたのだろう。
再び、闇の中でどこからか小さくむせび泣く声が聞こえてくる。
また時間の渦に巻き込まれたものがここに辿り着いたのだろうか……。
だが、いつかまたその人の前にも記憶の館が現れ、そして選択をするのだろう。
未来永劫続く時間の果てが見えるその時まで……。
了
万華境 くれない れん @kurenai-ren
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