丁度いい棒の庄吉

木船田ヒロマル

鑑棒

 伊勢国和歌山藩いせのくにわかやまはん松前郷まつまえごうという小さな村に庄吉しょうきちという猟師がいた。


 維新がなり、国が大きく変わろうとする只中であったが野山の兎や鹿を追って暮らす庄吉の暮らしはさして変わるべくもなかった。


 庄吉は毎朝、彼の小さな家を埋め尽くす無数の棒に囲まれて目覚める。


 それは庄吉が幼少から拾い集めた「丁度いい棒」で、彼はその一本一本を大事にし家中所狭しと並べて、その中で眠り目覚めるのだ。

 庄吉は妻もなく暮らし向きは決して裕福ではなかったが、自分の気に入りの棒に囲まれて暮らす彼は確かに幸せで満足であった。


***


 眠れぬ夜を明かし目にくまを作って街道をふらふらと歩く侍がいた。


 老中、岡野平太夫麾下おかのへいだゆうきか同心組頭どうしんくみがしらとして当時の言わば警察官のような立場にあった村上家の次男、尚経なおつねである。


 時代は変わり、彼が忠誠を捧げた紀州藩は無くなり、大殿おおとのは大殿で無くなり、彼の腰からはその名誉と威信の具現であった刀が無くなった。

 同心組も解体され、追っての沙汰さたを待てとの御達おたっしに従い待つこと既に一月を数え、尚経の不安と不満とやる方の無さは頂点に達し、酒を煽ってはまんじりともせぬ夜を過ごし、街をふらふらと彷徨さまようような毎日を過ごしていた。


 何処へともなく歩くうちに気付くと街を離れたひなびた宿場に辿り着き、あばら家同然の酒場を今宵の居所と定めて、尚経はその暖簾のれんをくぐった。


 酒場の空気はどこか棘のある雰囲気だった。

 尚経はいぶかしんだがすぐどうでも良いことと思い、焼魚と燗酒かんしゅを求めて席に収まった。


 悪い空気のよしはすぐに知れた。


 客の一人の身なりの良い、恐らく金持ちの酔っ払いが給餌きゅうじの娘に絡んで、盛んに夜伽よとぎを迫っているのだ。

 金持ちは老中水野の家と関わりのあることを匂わし金を積みこの店などどうにでもなると脅し、嫌がる娘の手を掴んで繰り返し夜伽を持ちかけている。


 始めは関わりになるまいと飲み始めた尚経だったが酒が進むに従い、その生来の正義感と同心としての気性がむくむくと頭をもたげ、ついに立ち上がってその下劣のやからを叱り付けようとした。


「その臭え口を閉じやがれこの欲ボケ達磨だるまが!」


 響き渡ったその声は、尚経のものではなかった。


***


 卓を叩いて立ち上がった男は毛皮の羽織を着て腰に棒を差した狩人で、ずかずかと金持ちに迫るとその手を捻り上げて娘から離させ、娘に奥に行くように言った。娘は小さく礼を言うと小走りに店の奥へ消えた。


「何しやがんだ田舎者の貧乏人が、私を、私を誰だと思ってる!」


 金持ちは抗議しながら、狩人の手を振りほどいた。


「テメエのことなど知ったことか! 天下の酒場でウジ虫も逃げだす汚さで女ぁ口説きやがって! よくもまああんな聞いただけで耳が吐くような腐れ口上垂れ流せるもんだ! テメエが居ると酒も肴もかびが来て蝿がたからあ! 今すぐ出てって肥桶へけえれっ!」

「なっ、何を、狩人風情が私に無礼を働いてどうなるか……」

「どうなるってんだ?」


 狩人は腰から棒を抜いて、金持ちの青眼にびしり、と突き付けた。金持ちは息を飲んで黙った。


「俺ぁ松前郷の庄吉だ。今夜の事で文句があるならいつでも相手になってやるぜ」


 尚経は席を立つと狩人の側に立って一緒に金持ちを睨みつけた。

 がたりがたりと腰掛けが鳴って一人また一人と客が立ち上がる。

 金持ちはその様子に縮み上がると払いの小銭を投げ出し、尻尾を巻いて店から飛び出していった。


「せいせいしたぜ」


 狩人がそう言うと客たちはワッとなって狩人を讃え、酒を酌み交わし始めた。


***


 狩人の振る舞いに胸のすく思いだった尚経は奢る旨を伝えて同席した。

 庄吉という名の狩人は照れたように礼を言うと真っ先に立ち上がった尚経の協力に謝辞を述べた。

 二人は意気投合し、愉しい酒を交わしながら様々に身の上の事を話し合って、話題は庄吉の持っていた棒に及んだ。


「流石は同心の旦那だ、お目が高え」


 庄吉は嬉しそうに腰の棒を尚経に預けた。


 尚経は唸った。

 長さ。重さ。手触り。優美な曲線を描く絶妙な曲がり具合。丁度良い、全てが丁度良い棒だった。


「これは……良い棒だな」

「だろ? 俺ぁ沢山の棒を持ってるが、そいつは格別でね」


 尚経は何気なく

「庄吉、この棒を拙者に譲ってくれぬか」

 と、言ってみた。

「駄目だね」

「只とは言わん。金は払おう」

「金の問題じゃねえよ」

 尚経はどうしてもその棒が欲しくなり、了承しない庄吉を腹立たしく思った。

「良いではないか、たかが棒切れ。お主はこの他にも沢山の棒を持っておるのだろう」

「たかが棒切れだと‼︎」


 それまで機嫌良く呑んでいた庄吉は激昂し尚経は驚いて目を丸くした。


「こいつはな、雪の中獲物を追ってる時、雪に紛れて俺の足に絡んだ棒だ。俺は転んで獲物はその先に逃げた。だがそこは雪棚の崖で獲物は谷底に真っ逆様よ。この棒が無けりゃ俺は死んでた! こいつぁ俺の命の恩棒だ! それ以来俺ぁこいつを相棒と頼んで大事にしてる! 金を積まれても譲れねえし代わりになる棒なんて無え!」

「す、済まなかった」

 尚経はその剣幕に驚きながら素直に謝って、しゅんとなって酒をちびちびと煽り始めた。今度はその様に庄吉が居心地悪くなった。

「大声出して悪かったな、お侍さん」

「村上だ。村上尚経」

「村上様。さっき言った通りこの棒は大事な棒だ。けどな。あんたになら譲ってもいい」

「しかし……」

「村上様は同心として藩を護ってくれてた立派な御仁だ。今日も俺なんかの横に立ってくれた。聞いたぜ。お侍さんが魂と頼る刀を持ち歩けなくなったんだろう? 四六時中棒と暮らす俺はその頼り無さや淋しさが分かるつもりだ」

「庄吉……」

「金は要らねえ。ただ一つ。こいつを終生大事にするって約束してくだせえ」

 庄吉は泣いていた。

「約束しよう。村上の家名に賭けて」

 尚経も泣いていた。

 尚経は庄吉の差し出した救命の棒をしっかと受け取った。


***


「村上よ。何故、床の間に棒など飾っているのだ」


 元筆頭与力もとひっとうよりき正木為隆まさきためたかは旧来の親友に問うた。


「言葉に気を付けろ正木。あれは棒だが只の棒ではない。銘は雪中救命せっちゅうぐめい。ある男との友情の証だ」


 尚経は友人に事の次第を語って聞かせた。

 為隆はいたく感心し、


「持ってみても良いか?」


 と尋ねると尚経の返事を待たずに手に取った。友人の食い付きに気を良くした尚経は


「大事に扱えよ」


 とだけ言った。


 それは丁度良い棒だった。

 長さ。重さ。手触り。優美な曲線を描く絶妙な曲がり具合。丁度良い、全てが丁度良い棒だった。軽く振ると棒は素直に従って良い音で風を切った。為隆は雪中救命という名のその棒の虜になった。


「なあ、村上。この棒だが」

「駄目だ」

「けち臭いことを言うな」

「断る」

「俺とお前の仲ではないか」

「こればかりは駄目だ」

「金は払う。幾らだ」

「金の問題ではない」

 

 暫くそうした押し問答が続いたがついに尚経が立腹して


「俺は村上の家名に賭けて終生この棒を大切にすると誓ったのだ。約束を違える訳にはいかぬ。松前郷の庄吉は同じような棒を幾つも持っていると言っておった。貴公も侍なら泥棒の真似事はやめて己の棒は己で求めるがいい!」


 と怒鳴って為隆を追い出した。



 その日の夜、為隆は無理を言って庄吉から譲り受け、「恵雨落雷」と名付けた自分の棒を眺め、にやにやとしながら酒を煽っていた。


***


 暫くして和歌山藩の士族の間に奇妙な流行が起こった。

 皆様々な棒を腰に差して街を闊歩し、互いの棒を見せ合っては触ったり振ったりし、また互いに褒め合うのだ。

 煌びやかに装飾する者もいたし、朴訥ぼくとつとした拾ったままの野趣溢れる風情を良しとする者もいた。刀の様な拵えを設ける者も、錦の袋に納めて持ち歩く者もいた。


 庄吉の元には毎日のように噂を聞き付けた侍や商人が訪れ、庄吉が大事に貯めてきた丁度良い棒を求めては大金を置いて行った。大店おおだなで番頭をしていた弟の勝造がその金を元手に店を出そうと言い出し、城下の空き商店を改装して「鑑棒庄吉屋かんぼうしょうきちや」の看板を出した。


 勝造は商才のある男で、庄吉印の由来書兼鑑定書を拵えて桐の箱に納めて拾った棒を売り、兄弟は瞬く間に大きな財を成した。


 庄吉の成功の噂を聞いた尚経は喜んで、挨拶でもしようと自慢の雪中救命を帯び、酒を持参して鑑棒庄吉屋を尋ねた。


 だが店は弟の勝造が忙しそうに切り盛りしているだけで庄吉の姿はなく、聞けば松前郷の小屋に戻ったとのことで、尚経は不思議に思いながらも足を伸ばして山村の庄吉を尋ねた。


***


「眠れねえんでさ」


 目に隈を作り、すっかり痩せた庄吉は開口一番そう言った。


「金は唸るようにある。だがね、旦那。俺の大事な棒は、みんな人様のものになっちまった。俺はだだっ広い畳の上で横になるが眠れねえんでさ。目覚めても棒はねえ。それがなんとも……腹わたに穴が開いたようで」

「だから、戻って来たのか」

「ええ。店は弟にやりやした。あっしの性分じゃねえや。まあここに戻ったところで、棒はねえんですがね」


 やつれた庄吉は、力なく笑った。


「行こう。庄吉」

「どこへです?」

「山へだ。お前との約束があるゆえ、拙者の雪中救命をお前に返すことはできぬ。だが、共に新しい棒を拾うことはできる。支度をしろ。暗くなる前に、一緒に良い棒を探しに行くのだ」


 庄吉の目に輝きが戻った。

 二人は日が暮れるまでああでもないこうでもないと話しながら山を歩き回って良い棒を探し、ついに最高の一本に行き当たった。


「これは……見事だ。棒でありながら磨き上げた玉のような。咲き乱れる蘭のような」

「ああ村上様……こりゃあ、俺が今まで集めたどの棒よりも丁度いい、夢に見るような棒でさ。棒の神様がいるなら、正にこの棒がそれだ」


 二人はその棒を「神棒玉蘭」と名付け、変わらぬ友情を固く誓ってその日は別れた。


***


 庄吉はもう、棒に囲まれて眠ってはいない。

 目覚めて、枕元の一本の棒を確かめた庄吉はそれを愛おしそうに撫でた。

 庄吉は妻もなく暮らし向きは決して裕福ではなかったが、自分のお気に入りの棒と共に暮らす彼は確かに幸せで満足であった。

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丁度いい棒の庄吉 木船田ヒロマル @hiromaru712

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