自殺スイッチ
ミスターN
第1話 自殺スイッチ
病が世界を支配する。
なんてことない。過去幾度となく起きたことだ。
それを取り立てて日記にするのは、僕が今現在当事者だからで。
だから、この日記を遠い未来に誰かが拾って読んだとしても。
きっと切り取られた窓の向こうの他人事なのだろう。
例え史実だとして、風化すればフィクションとして朧げに見える。
それでも、今日起きたことを僕は記す。
これから先も忘れないように願いを込めて。
世界人口の増減が均衡してから丁度5年経った。
人類がDNAレベルで自殺するように仕組まれているという事実に世界が気付いたのは最近の事だと言えるだろう。
DNAは絶えず空気中や水中に潜む普遍的なウィルスによって調整され、世界の人口は自殺によって増え過ぎないようにプログラムされていたのだ。
何の為に?
一体何者が?
それは今でも調査中で、人為か偶然かも依然として分からないままだ。
結果として、増加傾向だった人口による懸念事項であるところの食料不足や土地不足に悩むことはなかった。
それら懸念事項が原因で起こるはずだった戦争もいくつか防げただろう。
世界は相変わらずの調子で回っている。
だが、以前と変わったこともある。
今直面している事態がその一つ。
僕たちが学校を卒業する1ヶ月前に。
『いずれ自殺をする人間』と『そうでない人間』に分かれることだ。
『自殺を止める薬』が出来たせいだ。
仕組まれた自殺をコントロールできる薬。
ただし、それを使っても自殺の総数は変わらないらしい。
死神の手は代わりを求める。
つまり。
薬を飲んで自殺を免れるという事は。
誰かを殺すに他ならない。
「えー。これから生存声明を発表してもらいます。来週には投票を始めるので、各自ベストを尽くしてください」
先生のやけに淡白な掛け声とともに、赤柳がフラフラと登壇した。
ガチガチに緊張しているが無理もない。彼は今どき珍しいくらい真面目な性格なのだ。
自分の発表一つで生き死にが決まる状況に人一倍プレッシャーを感じるのも無理はない。
僕らは卒業の1ヶ月前に選ばれる。
生きるか死ぬか極限の選択を強いられる。
だから死ぬ物狂いで自分の価値を考え、訴えるのだ。
「赤柳。別に怖いことではないんだ。最近の研究で輪廻転生が証明されただろ? 死ぬことは一つの過程でしかないんだよ」
誰もが知っている話を教師は半笑いで語る。
しかし、その話には『プロパガンダだ』という噂が影のように付きまとう。
当然赤柳はそのことを知っている。
赤柳だけではない。
このクラスのみんながそうだ。
全員が堅い面持ちで赤柳を見つめている。
「っ……」
緊張がピークに達した赤柳の顔から血の気が引くと当時に、よろめくように倒れ込んだ。
それを見越していたのか、すぐに保険の先生が呼ばれて赤柳は手際よく運ばれていった。
暫く自習だとおざなりに言われ、大人が居なくなった教室はすぐに話し声で埋め尽くされる。
「……」
僕はどうなんだろう。
あの場に立って自分の価値を訴えることができるのだろうか。
「ねえ、緊張してるの?」
後ろから投げやりな声が聞こえる。
「それなりにね。そっちは?」
無理に平常を保った声で聞き返すとすぐに返事が来た。
「全然。だって私、自殺してもいいって思ってるから」
意外な返事に思わず振り返ると、彼女は窓の外を眺めていた。
まるで教室の中で起きていることに興味が無いように。
「どうして?」
この数年で価値観は大きく変動した。
特に命の価値は急騰し、自殺をしないために自分の命以外のすべてをなげうった人も少なくない。
生きているという事それ自体がありえないほど貴重なのだ。
それなのに彼女は死んでも良いという。
「生きても自分にとっての意味なんてないから」
僕の目を見据えながらどこか遠くを見ている彼女に、僕は反射的に答えた。
「意味なんて有るに決まって……」
言葉に詰まった。
僕は自分がどのように社会に役立つのか。そればかりを考え生きてきた。
しかし、生きる意味そのものは考えたことが無かったのだ。
生きることはなんとなく尊くて、社会に貢献することがそれとなく正解という気がして。
そんな心を見透かしたのか、彼女は『つまらない』と言わんばかりにまた窓の外へ視線を向けた。
自分の社会に対する重要性を訴えて、それが他人に認められても。
それは自分にとっての生きる意味にならない。
僕は用意していた生存声明の原稿は途端に空虚に見えた。
「はーい、静かにー。赤柳は体調不良で後日生存声明を発表することになったので、次の青葉。前に出てー」
後ろから椅子を引きずる音がして、彼女は教卓の近くに立った。
「私は今後生きようとは思っていません。私の分の薬は他の誰かが使えばいい」
いきなりの発言にクラスはまず面喰い、次にざわざわと騒がしくなった。
たぶん、僕もその言葉を初めて聞いていたなら同じ反応をしただろう。
「その代わりと言っては何ですが、私は聞きたい。どうして貴方達が生きようとするのかを。誰かの為ではなく。どうして自分は生きたいのかを。生きるために薬を飲むことは、他の誰かに自殺をさせることと同じです。誰かを見殺しにしてまで生きることを、他人の為だと濁して生きていくつもりですか? 私は嫌です。だから、生きる意味を持たない私に投票するくらいなら別の誰かに投票することを願います」
呆気にとられた先生の前を通り、クラスの衆目を浴びながら。
青葉は元の席に戻ってきた。
「……」
皆黙り込んでしまった。
無意識の内に考えないようにしていたのだろう。
誰かの為に生きるという大義名分を掲げることで、自分が他の誰かを犠牲にしていることを胡麻化していた。
僕もその一人だ。
「青葉。さっきので本当にいいのか? 今ならやり直しても――」
「結構です」
先生の助け舟は言葉途中で拒絶された。
「えっと……。じゃあ次ー、黄土」
「はい」
僕はどうしたいのだろう。
他人を死に追いやってまで、どうして生きたいのだろう。
自分の順番が迫る中、そんな考えが衛星のようにぐるぐる回る。
そして、不意に見つけた。
思い出したと言う方が正解だろう。
忘れていたんだ。自分が生きる意味を。
皆の前に立つ。
彼女の前に立つ。
「僕は――」
さて、投票はつつがなく終了した。
薬がクラスの全員に配られる。
自暴自棄になって問題を起こさないように、偽薬も配るのだ。
本物と偽物の数は決まっていて、誰かが誰かの代わりに
答えが分かるのは概ね20代から30代の間だ。
僕は自分の生きる意味を話した。誰かの為ではなく自分の為の
不思議と不安は無かった。
きっと偽物の薬だったとしてもかまわない。
自分の命をかけても良い意味を見つけたのだから。
「僕は人の命を救いたかった。それを教えてくれたのは君なんだ」
「……」
ビルの屋上から飛び降りた彼女は答えない。
一命を取り留めて目覚めたのは今朝の事だった。
「医師になった後から知ったよ。僕に投票したのは君だったんだね。他の誰もが自分の利点を叫ぶ中、僕は馬鹿みたいに自分の夢を語った。君はそれを楽しそうに聴いてくれた」
「どうして私を生かしたの……。死にたかったのに……。生きる意味なんて無かったのに……」
彼女はあの時と同じように窓の外を眺めながら呟くようにそう言った。
「意味なんて関係ない。これは僕のエゴだ」
あの時の答えが返せた気がして、僕は自然と笑っていた。
これから先、いつか二人で笑えるように願いを込めて。
自殺スイッチ ミスターN @Mister_N
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