あと三分で死ぬとカップラーメンが食えない
ささやか
麺屋極み 魚介味噌ラーメン 熱湯5分
それはちょうどカップラーメンにお湯を注ぎ終えたときだった。
目の前に美少女が現れた。繰り返す。目の前に美少女が現れた。
意味がわからないと思うだろう?
安心してほしい。俺もわからん。いったんぜんたいどうして俺の部屋に美少女が忽然と現れるのかさっぱりパリジェンヌだ。
わかったのは彼女が普通ではないことだけだ。
彼女は鈴の音のように美しい声で言った。
「井上健太郎さんですね」
「そうだが、え、なんなん君」
「私は死神です」
「……は?」
思わず呆けた声をあげてしまう。
死神?
実に馬鹿馬鹿しい話だ。馬鹿馬鹿しい。だが、俺には彼女が本当に死神であることがわかってしまった。
会えばわかる。彼女の発している存在感は人間のそれじゃなかった。
「そ、それで死神さんとやらが俺になんの用なの? 宗教なら結構です。そういうのは横田さんで間に合ってるんで」
「ええ、ええ。今回私が来たのは新聞の勧誘でも信仰の強制でもありません。告知です。井上健太郎さん、貴方はあと三分後に死にます」
「…………は?」
え、は、まじで?
ちょっと何言っているかわからない。ドッキリか。ドッキリなのか? いや、違う。彼女は死神だ。どちゃくそ認めがたいが彼女は死神だ。死神が死にますと言う。だから死ぬ。実に筋が通っている。ということはそれは変えがたい未来なのだ。死ぬ。まじかよやべー矢部太郎なんだが。は、俺が死ぬ。死ぬのか。わけがわからない。
俺は黙って荒れ狂う動揺を鎮めることに注力した。死神も黙って俺の次のリアクションを待ってくれていた。意外といいやつである。
「それはつまり――」
心の整理を終えて口を開く。
「俺はこのカップラーメンを食べることができない、ということなのか?」
「三分でできるなら、一口くらいは食べられるんじゃないでしょうか」
「いや、五分なんだ」
「ご愁傷様でした」
「待ってくれ!」
俺は必死に、そう必死に訴える。
「このカップラーメンはただのカップラーメンじゃない。北海道の老舗メーカー北星食品が発売し、瞬く間にスマッシュヒットなった究極の一品なんだ。魚介味噌ラーメン! 北海道の海の幸をふんだんに使ったスープと十勝平野の小麦によるコシのある麺はカップラーメンでありながら、有象無象のラーメン屋を蹴散らす破壊力を持つと評判だ! そのせいでずっとこっちでは品切れが続いていたのをようやく入手して、今! そう今! 今まさに食べようとしているときなんだ! お願いだから、お願いだからこいつを食わせてくれ!」
「駄目ですね。だってアナタ三分後に死にますし」
「畜生ぉぉぉおぉぉぉおぉぉおぉぉお!」
俺は魂の底から怨嗟の叫びをあげた。なんたる悲劇。なんたる運命の横暴。もはや神はいないのか! いや目の前にいる! でも死神だよおおおおおおおおお!
「そうだ、ロスタイム、ロスタイムはないのか! 古来より人類はロスタイムという偉大なる概念によって不可能を可能にしてきた。俺の余命にもロスタイムの適用を要求する!」
「駄目ですね」
「畜生ぉぉぉおぉぉぉおぉぉおぉぉお! この死神め! お前には人心がないのか! ブライアン・フローより酷薄だな! この死神め!」
「いや、死神に人心を求められても……」
「うるさい! 横田さんは言っていたぞ! 人は神を真似て作られた存在であると。ならば神が人心よりも優れた心を持っていなければおかしいだろ!」
「そういう人間基準で是非を語られても困るんですよね。あと横田さんって誰ですか」
「横田さんは週一から週二のペースで新興宗教の勧誘に来るおばちゃんだ! たまにトイレットペーパーとか肉じゃがとかくれるから割といい人だ!」
「それ、そのうちなし崩し的に入信することになってましたよ。もう無理だけど」
「うるせえ! 横田さんはいい人なんだよ! 大目玉爆裂神を信じれば救われるんだよ!」
「見たことも聞いたこともない神様ですね」
まさかの神視点での否定だった。地味にショックだったが、そのおかげで一周回って少し冷静さを取り戻す。
そうだ、俺が今やらなければならないことはなんだろうか。カップラーメン以外で。
「なあ、俺は残された時間で何をやればいいと思う?」
「パソコンのHDDの中身でも消去すればいいじゃないんですか」
「くっそ低俗!」
投げやりな死神の返答は、驚きの低レベルだった。
しかもパソコンはちょうどプログラムの更新の最中なのでHDDの消去もできない。駄目だった。
「貴方の程度に合わせた発言をしているのです。じゃあ、もう少し高尚に辞世の句でも詠んだらどうです?」
「辞世の句か……。おもしろきこともなき世をおもしろく、とかどうだ」
「それ、高杉晋作ですよね。しかも下の句まで詠んでないし。どうせ覚えてないんでしょう? すみなすものは心なりけり、ですよ」
「うるせえ!」
普通に図星だった。
「しかもこの歌は死の前年にすでに詠まれていたと最近の研究でわかってきたので、正確には辞世の歌ですらないですよ。あ、なるほど。他人の辞世の歌を流用して、しかも本当は辞世ですらない、というところで自らの浅薄さを表現しているのですね。これは文学的です。やりますね、井上健太郎さん」
「もうやめてください……」
死神が三分経つ前に俺を殺しにかかってきた件について。
そこで俺は我に返って為すべきことを思いついた。
「ふ、もうHDDとか辞世の句とかどうでもいい。そうだ、なんで気づかなかったんだろう。アンタはめちゃくちゃ美少女じゃないか。俺が最期に為すべきはセックスだ!」
「頭大丈夫ですか? あのですね、井上健太郎さん。あと貴方が死ぬまであと一分を切りました。私が乱心してアナタに体を許したとしても、これからセックスはどう考えても無理です」
心配そうな顔で言われてしまった。というか乱心前提だった。つらい。心が折れそうになる。いや、がんばれ。がんばれ益荒男、井上健太郎! ここが人生最期の勝負の時なのだ!
「そんなことない! 出会って三秒で合体できるはずだ。ならまだ間に合う!」
「アダルトビデオの見過ぎですよ。これから服を脱いで挿入するまでにはどう急いでも三秒以上かかりますし、そもそもセックスというのはですね、合体してから本番なんです。どう考えても余命不足です」
「ごもっとも、です……」
俺は敗北した。慟哭する気力すらない完敗だった。
そして気がつくと死神はいつの間かそれっぽい大鎌を手にしていた。
「さて、もうそろそろお別れの時間です。最期に何か言いたいことはありますか」
「そうだな……そうだな、あと二分経ったらカップラーメンができる。よかったら俺の代わりに食べてくれ」
「はあ。では気が向いたら」
「よろしく頼む」
大鎌を振り上げる死神を見ながらこれまでの人生を思い返そうとするが、何を思い出せばいいか混乱してしまい、結局走馬燈など回らなかった。所詮その程度の人生か。自嘲しかない。
「それで井上健太郎さん。さような――」
「そこまでよ!」
突如として安アパートの玄関が開かれる。
現れたのはどこにでもいそうなおばちゃんだった。そして俺はその不法侵入者を知っていた。
「横田さん!」
「おぞましい邪神の気配が現れたから急いで駆けつけたの。もう大丈夫よ、井上君。大目玉爆裂神の祝福は誰にでも与えられるわ。あとはあたしに任せなさい」
「いや、あの邪魔なんですが……」
困惑する死神をよそに、横田さんは買い物袋からゴボウを取り出し、まるで刀のように構える。
「いい、井上君。教えてあげる。こういう邪神にはね、ゴボウがよく効くのよ!」
「いや、そんなわけが――ってぐあああああああぁぁぁぁ!」
死神は呆れきった顔をしていたが、いざ横田さんにゴボウで切りつけられると塗炭の苦しみを受けているかの如く絶叫した。ゴボウが、効いている……!
「こんな、こんな馬鹿なことで運命が覆されるなんてあってたまりますか!」
「去れ、邪神。運命はお前が決めるものではない。全ては大目玉爆裂神の御心のままに」
「嘘だ、嘘だああああぁぁぁぁ!」
その叫びを最後に、死神は俺の部屋から跡形もなく消え去った。信じられないがどうやら俺は助かったようだ。
心からの感謝を横田さんに伝える。
「ありがとうございます。横田さんが来てくれなかったらきっと俺死んでました」
「いいのよー、お互いさまってやつでしょ」
横田さんはゴボウを持ったまま朗らかに笑った。
こうして俺は無事にカップラーメンを食べることができた。とても美味しかった。ヘビーユーザーになった。
そしてそれからすぐ、俺は横田さんの勧誘に乗り、大目玉爆裂教に入信した。
大目玉爆裂神の御力で救われているのだ。信じないわけがない。積極的に布教に努めた俺は、その功績により爆裂人認定され、この死神から救われた体験は「三分後の奇跡」として広く信者に知られることになるのだが、それはまた別の話。
だって、そんなこと長々と話していたら三分どころか五分経ってしまう。カップラーメンの麺がのびてしまうじゃないか。
あと三分で死ぬとカップラーメンが食えない ささやか @sasayaka
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