いっさん小牧さんによるリライトver.
※以下の作品は、いっさん小牧さんがご自身主催の企画の中で、私のためにリライトしてくださったバージョンです。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889553581
改めて感謝の意を表すとともに、ここに公開させていただきます!
☆ ★ ☆ ★ ☆
汗が落ちる。
歓声が垂れこめた濃雲に木霊する。反響し、それは耳鳴りに近い。
Am → B♭ → Am → B♭
ドラムが、爆発する。
休むのは、全てが終わった後だ。自分に言い聞かせる。
ゆっくりと立ち上がると、雨粒にぼんやりと映りこんだ照明に気づいた。
歓声はさらに膨れ上がる。霧雨が顔面に、斜めに走る。
Fm7 → Cm7 → Gm7 ……とくれば次はたしか。
Fm → B♭ → E♭ → B♭ → C → D だ!
ここはピルトン村の近郊にある小さな丘。ベースが地響きを引き起こし、それをギターが追いかける。人々は肩を組んでのヘッドバンキング。そして、混じるは悲鳴。
喜び、怒り、悲しみ。
憎しみ、憧れ、さらには、絶望。
全ての感情が音の中に昇華されていく。
こんなもの、ほとんど狂気だ。音が、人間の心をやぶからぼうに突き刺していく。
俺は音の濁流に身を任せ、力の限り、飛んだ。
☆ ★ ☆ ★ ☆
ギターケースのチャックを閉め、立ち上がった時だった。
後ろに人の気配を感じ、俺は振り返った。黒いスーツを着た若い男だ。ただ、彼は月を背にしていたため、ほとんど影にしか見えなかった。
「いい演奏だった」
男はそう言って、スーツの内ポケットから五ポンド札を抜き出した。断る理由はない。俺はチップを受け取り、礼を述べる。
「で、いつからそこにいたんだ?」
「そりゃ、あんたが曲を弾き始めた時からさ」
「そうか。観客がいると知っていたら、もう少しまともな演奏をしたんだがね」
「謙遜することはない。じゅうぶんまともだったさ。今のは、なんていう曲なんだ?」
なんだ、ただの純粋なファンか。俺はほっとひと息をつき、ペットボトルのコーヒーを開栓する。
「『薄紅色の雨』さ」
「うす……なんだって?」
「……だから、『薄紅色の雨』だよ」
「ふうん。作詞は、誰か他の奴に頼んだ方がよさそうだな」
男は嘲るように笑った。どうせ冗談交じりなのだから腹を立てても仕方ない。俺は、コーヒをひと口ぶん喉に滑らせて微笑んだ。
「心配しなくても、俺のつくる曲に歌詞はないよ」
「そうなのか。歌わないのか?」
「歌わない」
断固として言った。自分自身に言い聞かせるように。
「なぜ?」
「俺はね、ギターが好きなんだよ」
「なるほどな」
そこで会話は終わってもよかった。早く自宅に帰り、昨日買ってきたインスタントグラタンを温めないといけない。ところがその男は、いつまでも目の前から立ち去ってくれはしないのだ。
そして、とんでもないことを言い出した。
「なあ、その曲、俺にくれないか。あんたはもう、曲をつくらないんだろ?」
俺は驚いて男の顔を見つめた。
「どうしてわかった?」
「そんなの、聞いてりゃわかるに決まってんだろ」
どう考えても、決まっているとは思えない。だけど実際のところ、俺はもう曲をつくるつもりはなかったんだ。二十年プロを夢見てきたけど、もう三十代も半ばを過ぎてしまった。そろそろ妻を探さないと、いつ今のアパートで孤独死してもおかしくない。
人間の成功と失敗は、才能が全てなんだ。才能がある奴は一曲目から事務所に目をかけられる。才能がなければ、自分ではどんな名曲だと思っていてもそれは結局のひとりよがりに過ぎない。営業の仕事でも大口案件を二個ゲットしたところだ。もう、この辺りが潮時なのだろうと思う。
「よし」
片頬をひくつかせる俺の前で、男は小気味よく手を叩いた。
「作曲家としてのあんたの最後の三分を、俺の最初の三分にさせてくれ」
「はぁん? どういう意味だ?」
「俺は今度、プロになるんだ。そこで、ファーストアルバムの一曲目に、今の曲を入れたいってわけ」
「へぇ……そうなのか」
俺はどうでもよくなった。こいつはまるで明日から旅行に行くことを知らせるかのように「プロになる」とほざく。俺が、どれだけ歩いてもたどり着けなかった場所に。軽々と。
だからやっぱり、どうでもよくなったわけで。
「欲しけりゃやるよ。一回聴いただけで覚えられたんならな」
「本当か? いや、あんな名曲、一回聴いたら忘れられないよ」
男は急にあどけなく笑い、両手を慌ただしく開閉させた。まあ、俺の曲を気に入ってくれたってのは本当みたいだ。
「じゃあ、きみの名前を教えてくれ。クレジットに入れたいからな」
「あぁ、そういうのはいらないよ」
「それは困る。誰が作曲者かわからなくなるじゃないか」
もしかしてこいつは、俺が後から著作権がどうとか言い出すとでも思っているのかもしれない。
「心配するな。グラストンベリーに出るくらい売れても、訴えたりしないから」
「そうじゃないが、インタビューで作曲の裏話を訊かれても答えられないだろ」
「それなら、マンチェスターの公園で、ギターを持った男から五ポンドで譲り受けたと言えばいい。ロックスターっぽい冗談だとみんな思うさ」
「なるほど。それは名案だな」
男は笑い、そして俺たちは握手をした。
二度と握ることのできない手だろう――、と予感しながら。
☆ ★ ☆ ★ ☆
色とりどりの旗が揺れていた。
グラストンベリーに降る霧雨は、上気した聴衆の薄紅色の頬を静かに濡らした。
そこには全てがあった。あらゆる感情が渦巻いていた。
F → C → Dm → B♭でこの世の愛を語り上げ、
F → C → F とこの世の最期をその身に宿す。
「音楽は世界を変えられる」
信じられない奴はここに来てみればいい。感じてみるといい。
世界から音楽が消えない理由を。
そして、俺たちが生きている意味を。
熱狂の片隅で、涙があふれた。
渾身のジャンプを受け止めてくれる奴は誰もおらず、俺は芝生に、肋骨から舞い落ちる。この痛みはもしかすると、骨にヒビが入ったかもしれない。
それなら、営業先で小ネタの一つにでもしてやるか。
『薄紅色の雨』をいつも聴いている、あの音楽好きの担当に。
レイン・カーネーション【KAC6】 Nico @Nicolulu
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