アンドロイドはうそをつかない
枕木きのこ
アンドロイドはうそをつかない
「あと三十分で自分が死ぬとわかっていたら、お前は何をする?」
しわがれた老人の声は、アンドロイドの集音器に吸い込まれ、信号となったのち、配線をうねうねと廻り、メイン基板においてフレキシブルに解釈された。
そしてまったく、うそやジョークなどといった類を通らず、
「三十分後ですと、ご主人様にお食事を用意するお時間です」
「そういうことじゃないよ」
かさかさと笑う声は、部屋には響かないまま、すっと吸収され消えていった。
――人類は感染した。
抵抗も無駄だった。
せめてできたことが、感染時期から残りの寿命を計測するだけ。
眼前の男性は、三十分後には死ぬ——ということを、アンドロイドはもちろん、本人も、重々理解している。
「思えば。もう、十七年も一緒にいるのか」
妻に先立たれ、一人娘も先日去った。なぜ自分だけが、と男は津々と考えていたが、腕につけた計測器が残り一週間を指し示した時、ついに考えるのをやめた。
動き回るには身体は不自由で、思考をもてあそぶにはシナプスは苦痛にあふれていた。
食事はゼリー状のものしか喉を通らず、一日に三回、アンドロイドに鎮痛剤を打ってもらう日常。
それももう、終わるのか。
感慨にふけるわけでもなく、終焉を嘆くわけでもなく。
最後の晩餐も——ゼリーでさえ、なかったと。
走馬燈、ではない。
効き始めた鎮痛剤のおかげで、せめて、考えることを。
若いころは、このようなハイテクノロジーはなく、人々が汗を流して働くのが当たり前だった。不景気をまっすぐに進んでいくのは、一本の細い綱を、暗やみの中、どこにつながっているのかもわからないまま、渡っていくのと一緒だった。
大手自動車メーカーと某有名医大がアンドロイドの共同開発を発表したのは、娘が小学生に上がったころだった。それはいかにも、高すぎた。
景気が少しずつ回復していき、ようやく安価になってきたのが、四十二の時だった。娘が巣立ち、妻と二人になった寂しさを、死なない家族で補うことにしたのが、十七年前。
ミサキ――と名付けられたそのアンドロイドは、複眼を通して老人を見ている。
計測器に表示された寿命は、老人の思考などお構いなしに、刻々と減っていく。
ミサキは一方でそれをも捉えている。もうそろそろ、食事を用意しなければならない。
プログラムに従順に、場を辞そうとすると、老人がミサキの手を掴んだ。
思わぬ抵抗力にさえぎられたが、驚きもなければ痛みもない。
「食事はいいよ、もう、食べられないから」
ベッドに横たわったままの老人は、それでミサキが席に戻るのを確認すると、少しさすってから、手を離した。
——最後の三分間。
早いものだ。
悔しくも、悲しくもなかった。
むしろ、ようやく死ねるとさえ思えた。
ようやく、家族と会える——そう思ってから、
「ミサキ。おいで」
老人はミサキの頭部を胸に置かせると、そっと両手で抱きしめた。
ここにいる。ここにいる私の家族に――せめて、愛情を。
「ここまで、よく世話をしてくれた。感謝しているよ」
「命令に従うようにできていますから」
「それでも、だよ。ありがとう」
「——はい」
「ああ。死んでしまう。死ねる。ああ。お前を一人にしてしまう。どうか、どうか私たちの安寧を願って、そして――そして、どこかへ去ってくれ。勝手を言っているのはよくわかる。でも、新しい家族を見つけて、そして、そこで幸せを見出してくれ――ミサキには、難しい話かもしれないけれど。どうか、どうか――」
「私のご主人様は、カサイ様だけです」
「どうか、どうか。ミサキ、お前にも、どうか安寧が訪れるよう――」
老人の言葉は、だんだんと小さくなっていって、ついに聞こえなくなった。
計測器の表示はただの傍線となり、老人が死んだことを示している。
そしてまた、ミサキも、それを理解した。
ミサキはすっと席を立つと、その足で台所に向かった。
貯蔵庫にしまってある中で、カサイの好みであるリンゴ味のゼリーを取り出すと、滑らかな動きで寝室に戻った。
ゼリーの蓋をはずして、カサイの口元にあてがう。
「ご主人様。お食事でございます」
減らないゼリー。
動かないカサイを目の前に、ミサキは、プログラムされた笑顔を、彼に向ける。
「おいしいようで、なによりです」
アンドロイドはうそをつかない。
ただ、カサイにとっての最後の三分は——、あるいは、ミサキにとって始まりの三分間だった――かもしれない。
アンドロイドはうそをつかない 枕木きのこ @orange344
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます