一人の死にまつわる嘘つきたち
九十九 千尋
準備はよろしいですか?
「まさか……そんなはずはない……」
俺のジャケットの胸ポケットから出てきたのは、丸まった小さな封書だった。
「持ち出し厳罰処分」「機密」の赤いインクが目に飛び込み、そして裏には「内閣府 No.02」の文字。つまりこれは……
「何してるんですか先輩! 国家機密じゃないですか、それ! なんで持ってるんですか!!」
「し、知らない! 俺は本当に何も……これは、これはなんだ!?」
「知らないじゃないですよ! なんで死んだ領事官の書類を先輩が持ってるんですか!!」
記者が俺を指さしてメモを取っている。
俺の元へ警官が近づいてくる。
「待て、待ってくれ! 俺じゃない!」
警官は不敵な笑みを浮かべながら俺を見て言う。
「どちらにしろ、船が岸につくまでは時間が有ります。その間だけなら……待ちましょう」
その光景に俺は違和感を覚えた。なんだ……なんなんだ、これは!
「岸までは……あと三分というところでしょうか」
「分かった。俺を一旦拘束してもらって構わない。だが……」
「だが?」
俺は一か八かの賭けに出ることにした。
「岸につくまでの間に真犯人を言い当てる。それが出来たら、俺を開放してくれ」
その時、誰かがくすくすと笑う声が聞こえた気がした。
「ええ、ええ、良いですよ」
まさか乗ってくるとは思わなかった。あるいは、犯行を必死に否定する狂言と取られたか。だが、本当に真犯人を言い当てられれば、あるいは……
考えろ。考えろ。時間がない。
「では、180秒でお答えください。
俺、
四国慰安旅行からの帰り道、俺と後輩の
そんな俺に後輩の玉木がフェリーで帰ることを提案してきたのだ。
「新井先輩、寝台列車懲りてるって言ってたんで」
「お前がついてくる必要は無いだろうが」
「ええ? そりゃほら、自分も寝台列車懲りてるってことで」
「……本音は、大方あれだな? 警部である俺と一緒なら、東京への帰りが遅くなっても咎められにくいとかだろう?」
「バレましたか。いやぁ、流石ですね、先輩」
そんな会話を経て、俺たちは船に乗り込んだ。玉木はかれこれ五年ほど面倒を見ている可愛い後輩の一人だ。
寝台列車に疲れていたことも確かだが、警察の仕事に疲れていたこともある。俺は船旅を軽い気持ちで了承した。
船に乗る際の「乗客名簿様にと写真を撮られた」のは珍しいとは思ったが。それが後々関係してくるとは思わなかった。
そして、船上で最初の事件が起きた。
俺が逮捕されるより十時間前の話、夕食時の立食パーティー会場でのことだ。
急遽パーティー会場に悲鳴が響いた。
見れば、見知らぬ警官服の男が暴れる男を組み伏せている。犯人と思しき男は必死にもがいている。
近くで、記者らしき男がカメラのシャッターを切っている。
「くそっ! 離せ! まだとどめがさせてないんだよ!」
そこから少し離れたところで、刺されて血を流し、倒れている男が居る。流血は船の甲板に広がっていく。殺人事件、いや、まだ被害者が死んでいないなら、殺人未遂だろう。
休みだというのに、俺は咄嗟に刺されたであろう男の傍に駆け寄った。だが、そんな俺を跳ね除けて別の男、眼鏡の男が刺された男へ駆け寄る。
「どいてくれ! 私は医者だ! 誰か、手を貸してくれ!」
幾人かが、その医者を名乗る男と共に、刺された被害者を近くの客室へと連れ込んでいった。
その直後だった。
犯人と思われる男が警官の拘束を振り切り、被害者が運ばれたであろう客室をめがけて走り出した。俺は咄嗟に犯人の脇腹にタックルを喰らわせて押し倒して捻り上げる。
後から警官が駆けてきたので、その警官に犯人を締め上げながら言う。
「大丈夫ですか? 警視庁の新井 利一です。今日はオフですが、何か手伝えることは?」
「警視庁の……では、さっそくながら、近場の客室に犯人を連れ込みたいので手伝っていただけますか?」
その後、その警官と共に近場の客室へ犯人を放り込んだ。
「助かりました。私は……徳島県警の
「え? いや、性分、見捨てておけなかっただけですよ」
「では、自分はこれで。事件の後処理もありますので。せっかくのお休みなのです。ゆっくりしてください。それに、この船は徳島から出た船ですので……」
管轄の問題上、あんまり変に手を出すな、ということらしい。
「……そうです? じゃあ……申し訳ないが、任せておきます」
服部は軽く敬礼し、俺とすれ違い甲板へと進んでいく。が、急遽立ち止まって振り返り、一言付け加えた。
「バーの方なら深夜までやっていますし、軽食も出るかもしれませんよ」
そういって、服部と名乗る警官は俺の前から姿を消した。
俺は勧められたバーへと脚を運ぶことにした。
バーは薄暗く、シックで落ち着いた深いブルーを基調とした空間だった。
見れば、カウンター席に先ほどの事件の際にカメラを向けていた記者が居る。隣に老紳士が座っており、そのまた隣に金髪の美女が座っている。
と、記者は何を思ったのか、俺を見るなり手招きしていた。
なぜ俺なんだ、と思いながらも俺は記者の隣の席に座った。流石に美女の隣に座るのは気恥ずかしい。
「フィックマー領事官、こちらの人ですよ。さっき犯人にタックルを喰らわせた人」
そういって、記者と思われる男は俺を老紳士へと紹介した。
老紳士の顔の造形と名前からして、そして領事官と呼ばれていることもあり、外国の、しかもある程度地位のある人なのだと知り俺は正直恐縮した。
簡単な自己紹介をしたが、フィックマー領事官は気さくな老人だと俺は感じた。
ある程度一言二言を交わした後、フィックマー領事官はせき込み、早々にバーを後にしてしまったのは残念だったが。
領事官が去った後、俺は記者と美女と酒を飲みかわしながら少し話をした。
そんな時、ふと、俺は甘酸っぱい香りを感じた。酒の匂いではなく、もっと、独特の……どこかで嗅いだ匂いだ。
何の匂いだったか思い出そうとするより先に、俺の後ろから美女が抱き着いて来た。この女の香水の匂いの様だ。
「なかなか近くで見ると良い男ね」
「そうかい? ありがとうよ。飲み過ぎないようにな」
俺は照れ隠しも兼ねて、あえてそっけなく対応した。
記者が女性に言う。
「
「良いのよ。おじいちゃんの相手しすぎて疲れたから」
「ほらやっぱりベロンベロンじゃないですか」
「えぇー、
驫木と呼ばれた記者は、花菜と呼ばれた美女に肩を貸しながら俺から引き離した。
「駄目ですって。領事官にバレたらヤバいですし……」
と、驫木は俺を見る。
俺はため息をつきながら視線を自身の酒に移した。
「今夜は俺も酔ってるらしい。なにを見聞きしたか覚えてないな」
驫木と花菜の二人はバーを後にした。
バーで軽食を食べれるやもと聞いたが、軽食らしい軽食もないようで、俺は酒で腹を満たして自分の客室へと移動し、その日はそのまま寝てしまった。
そして、翌朝。早朝。
客室のドアを後輩の玉木が強く叩いていた。
俺は嫌な予感がした。
「もう一件、殺人事件が起きたんです!」
被害者は、フィックマー領事官。件の老紳士だ。
「どうやら、毒殺ですね。口から泡を吹いて死んでいます。詳しい死因は丘に上がってからですね」
俺は玉木と共に現場に駆け付けたが、既に服部が部屋を封鎖していた。
「ただ、一つ問題がありまして……彼の荷物があら捜しされたようです」
「領事官の荷物をか!? 国際問題になるんじゃないか?」
「そこで、オフなのにあなた方にも来てもらうことになりました。そして、おそらく国際問題は不可避です」
そういって、服部はあることを俺に告げた。
「彼が、内閣府の書類を持ち出していたスパイであることが発覚しました。しかも、彼を殺した犯人はその国家機密書類を持ち出している可能性が高いようです。書類のNo.2だけが無いのです」
俺は少し考えてから発言した。
「分かった。乗客を全員一か所に集めてくれ。犯人を逃がすわけにいかないし、書類を処理されても困る。それから犯人を捜そう。念のため、乗客名簿も貸してほしい」
「……ええ、良いですよ。この船の乗客名簿は写真付きですからね」
そして、話は冒頭へ戻る。一か所に集まった乗客の前で、俺のジャケットの胸ポケットから出てきた。「国家機密」……もちろん、俺は犯人じゃない。誰かに嵌められたのだ。
誰だ。誰が、真犯人だ。
「女がいたはずだ。金髪の……花菜という名前の……」
乗客を見渡すが、日本で金髪の女などそうそう居ない。
ふと、あの時香った香水の香りを感じて振り返るが、そこに女は居ない。どこかで見た気がする男が居るだけだ。
まだ俺は酔っているのか?
「記者、驫木は……驫木という記者に、花菜はどこにいるか聞いてくれ!」
即座に驫木が呼ばれるが、驫木は俺に言った。
「花菜? 女性? 居ましたか?」
「お前……! 冗談を言って良い状況じゃないんだぞ! この船の乗客名簿には写真もあるんだ。見ればすぐに……解る、嘘を……どういうことだ!?」
しかし、乗客名簿にも花菜という女性は居ない。それどころか……
俺の口は咄嗟に一つの疑問を発していた。
「死体はどこに置いてある? 昨日の刺殺体は今どこに? あいつは誰だ!」
服部が俺の言葉を遮るように言う。
「さて、もうじき陸地です。犯人を教えてくれますか?」
考えられる結論は一つだけだ。
「そうか……そういうことか! くそっ! ハメられた!! 分かったぞ、真犯人たちが!!」
では、お答えください……
一人の死にまつわる嘘つきたち 九十九 千尋 @tsukuhi
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