魅惑のハチミツキャンディー

 蝶のように小さなフェアリーの少女・リーファと、同じくフェアリーの少年・ジョルダンに頼まれて、タケトはジャイアントキラービーの巣にハチミツを採りにいくことになってしまった。


 彼女たちに連れてこられたのは、『王宮の森』にある妖精の門を抜けて、空間を転移した後にたどり着いた深い森の中。五十メートルはありそうな針葉樹が立ち並んでいて、昼間でも薄暗くひんやりした場所だった。


 そして、タケトたちの頭上、木々のてっぺん近くに針葉樹数本を支柱にして広がる楕円形の巨大なハチの巣があった。直径が軽く十メートルはありそうなその平ぺったい巣の周りでは、離れていても分かるほど大きなハチたちがブンブンと飛び回っている。


「うわぁ……なんだ、これ」


 タケトは呆然と見上げて、うめいた。

 おそらくあのハチは、人間より大きいだろう。


(いくらジャイアントっていっても、これはでかすぎだろ……!)


 こんなでかいハチを相手にしなきゃいけないんだと知っていたら、安々と引き受けたりしなかったのに、とちょっぴり後悔の念も浮かんでくるが、今さら後に引く訳にもいかなかった。


 驚くタケトの周りをリーファとジョルダンがくるくると楽しそうに飛んで、タケトの両肩にちょこんと降り立つ。


「あれが、ジャイアントキラービーの巣なのですぅ」

「すっごく甘くて、とろけそうに美味しいハチミツが、いーっぱいとれるんだよ」


 ジョルダンはもうハチミツが手に入った気でいるのか、垂れそうになっているほっぺたを両手で押えて夢見心地だ。ついでによだれも垂れている。


 子豚みたいな魔獣のトン吉までもが、


「そんな美味しいハチミツ、食べたことないであります! 早く食べたいです」


 と、タケトの頭の上でそわそわしていた。

 タケトは笑みを返そうとしたが、つい顔が引きつってしまう。


 ジャイアントキラービーなんていう物騒な名前だけど、ジャイアントなのはフェアリーから見た場合であって、人間にとってはちょっと大きめなハチ程度なんじゃないかと高をくくっていた自分の浅はかさを呪いたくなった。


 でも、フェアリーたちにはいろいろと世話になっているので、彼らの願いとあれば聞かないわけにはいかないのも確かだ。


「また、厄介なものを引き受けましたわね」


 一緒について来てくれたブリジッタが嘆息交じりに呟くのが聞こえる。十歳くらいの少女の外見をしてゴスロリみたいな紫のドレスを着ているが、こう見えても彼女はタケトよりも遥かに年上だ。左目にはいつものように眼帯が嵌められている。


「タケトじゃ、あんな高いところまで登れませんよね?」


 淡々とした口調でいうのは、カロン。背の高くイケメンな彼だったが、黒髪の中からぴょこっと伸びた丸っこい耳が彼が獣人であることを示していた。


 二人とも、魔獣密猟取締官事務所の同僚たちだ。


「二人にも、手伝ってもらっていいかな?」


 断られたらどうしようと恐る恐る尋ねてみると、二人とも黙って微妙な笑みを浮かべるだけだった。彼らも、引き受けざるをえないことは重々承知しているのだ。フェアリーたちに世話になったのは、なにもタケトだけではない。


「ジャイアントキラービーは、巣を守る攻撃バチが狂暴なのですぅ。でも、巣にくっついてる黄色いハチたちは大人しくてかわいいんですよ?」

「黄色いハチたちはいつも巣の上で羽をブンブンさせてるから、僕たちはすぐに吹き飛ばされちゃって、なかなか巣に近寄れないんだ」

「だから、ジャイアントキラービーのハチミツは、とっても運がよくないと採れないんですぅ」


 と、リーファとジョルダンが教えてくれた。

 彼らの方が小さくて目立たないから、人間よりもずっと巣に近づくのが容易いんじゃないかと思ったが、小さい体は小さいなりに面倒なこともあるようだ。


「でも、俺ら人間は間違いなく、あの攻撃バチに見つかるよな」


 カロンから借りた望遠鏡で観察してみると、彼女たちの言う通り巣には二種類のハチがいるのが見て取れた。


 一つは巣にへばりつくようにしている、ミツバチをそのまま大きくしたような丸っこく黄色いハチ。しきりに羽を動かして巣の上で何かしている。

 もう一つは、巣の周りを偵察するようにブンブンと飛び回っているハチ。こちらはオレンジがかった色をしていて、手足が長くスズメバチみたいな外見をしている。これが攻撃バチだろう。


 数からいくと黄色いハチの方が圧倒的に多い。攻撃バチは見た感じ、二十匹前後といったところか。


「あの攻撃バチを誰かがひきつけて、その隙に別の人が巣に登ってハチミツを採ってくるしかないでしょうね」


 と、カロン。


「でも、攻撃バチをひきつけるのはいいとしてだよ? 刺されたらどうすんだよ。なるべくなら、ハチたちも傷つけたりしたくないし」

「そうですよね」


 ふと、示し合わせたようにタケトとカロンの視線が、ブリジッタに向けられる。

 二人の視線を浴びて、ブリジッタはむすっと頬をむくれさせた。


「ソチたちの考えは、わかっていますわよ。でも、そんな危ないことワラワみたいなレディに」


 ぶつくさとブリジッタの文句は続いたが、この手しか思いつかなかったので引き受けてもらうしかなかった。






「んじゃ、行くよー」


 タケトが頭上に精霊銃を向ける。

 巣の支柱になっている樹の根元で、カロンが頷くのが見えた。彼は黒豹人の姿に獣化している。ちなみにトン吉は、巣を近くで見てみたいと言ってカロンの頭に載っていた。


 タケトが精霊銃の引き金を引いた。

 銃口から、ポスっと風の精霊が放たれて、真上に高く打ち上がる。

 風の精霊は何匹かの攻撃バチにまとわりつくと、ハチたちが落ちない程度の風でその透明な羽をかき乱した。

 攻撃バチたちは、いままでに経験のない風の奔流に慌てているようだった。


「おーい! ここだよ! ここ!」


 口元に手をあてて叫ぶと、タケトはぴょんぴょんとその場で跳ねて手を大きく振る。


「お前らを攻撃したのは、俺だよー! このままだと、巣を攻撃しちゃうよー!」


 キッと攻撃バチたちがタケトを見た気がした。

 すかさず、そこに第二弾を放つ。今度は、攻撃バチたちには華麗に避けられてしまう。巣を守っていた攻撃バチたちが一斉にタケトに向かって飛んできた。巣を襲おうとする敵を総出で攻撃して確実に仕留めるつもりのようだ。


「ひえっ……!」


 わかってはいたけれど、あんな巨大なハチにロックオンされると、本気で冷や汗が噴き出してくる。

 タケトは急いで走って逃げだした。


 ちらっと巣の根元を見ると、トン吉を頭に乗せたカロンが針葉樹をするするっと登っていくところだった。

 あっちは上手くいきそうだ。

 あとは、こっちをどうにかしなければ。

 森の中を走って必死に逃げるが、ブンブンブンと凶悪な音が迫ってくる。


(あと、少し。もうちょっと!)


 攻撃バチに背中を掴まれた。とっさに、タケトは半身を翻して精霊銃を放つ。大きな風が起こって、攻撃バチたちが離れた。


(あぶねぇ、あぶねぇ)


 攻撃バチたちはタケトから少し離れた場所でブウウウンと嫌な音を立てて空中停止ホバリングしていたが、再び一斉に襲いかかってくる。


(ひええっ……)


 転がるようにタケトも逃げ出す。間近で見た攻撃バチはタケトよりも大きく、口には長く凶悪な二本の牙があって、尻についた針はタケトの腕くらいの長さと太さがあった。


(なんだよ、あれ! あれで刺されたら、毒で死ぬ前に、刺されて死ぬだろ!)


 必死に走って、ようやくブリジッタのところまでたどり着いた。

 彼女に走り寄ると咄嗟に彼女の小さな背中に隠れる。同時にブリジッタが左目に嵌めている眼帯をとった。


 メデューサとのハーフである彼女の右目は普通の目だが、普段眼帯で隠している左目はメデューサの血が濃く受け継がれた異形の目。

 その目に見られたものは、人も動物も石化してしまう。


 攻撃バチたちも例外ではなかった。

 いまにもタケトたちに掴みかかろうと迫っていた攻撃バチたちは、ブリジッタの異形の目に睨まれたとたん、次々に石となって地面に落ちた。


 すべての攻撃バチが石化したのを確認して、タケトはようやくその場にへたりこむ。


「ふわぁああ、死ぬかと思った……」


 まだ肩で荒く息をしているタケト。その隣で眼帯を嵌めながらブリジッタは、


「上手くいきましたわね。さすがにアレだけの数が迫ってくると、恐怖を感じますわ」


 ふうぅと、安堵の息を漏らしている。


「あとは、カロンが美味しいハチミツいっぱい採ってきてくれるの、期待しようぜ」

「そうですわね」






 そのころ、カロンは針葉樹を登りきり、ジャイアントキラービーの巣に達していた。


「落ちないように気を付けてくださいね」


 頭に載っているトン吉をつんつんとつつきながら忠告すると、うなずいたのが気配でわかる。


 巣は数本の針葉樹を支柱にして、それらに跨るようにほぼ垂直に作られていた。カロンのように鋭い爪がなければ落ちてしまうだろう。

 巣には黄色いハチが沢山張り付いて、しきりに羽をブンブンさせていた。そうやって巣に風を送り、巣の中を快適な温度に保っているようだ。


「ちょっとごめんなさい。場所、あけてもらっていいですか」


 カロンが指でつつくと、のそのそと場所をあける。フェアリーたちが言っていたように黄色いハチは温厚な性格のようだ。


 ハチの巣はサイズこそ巨大だが、構造は普通のミツバチのものと大差はなく、正六角形の小部屋がたくさんくっついてできていた。巣の上部の蜜蝋で固められたあたりまでよじ登ってくると、胸ポケットに入れていたバタフライナイフを取り出して蜜蝋の蓋を切って開けた。中から、とろっとした黄金色のハチミツが垂れてくる。

 それを腰に下げていた革袋で受け止める。すぐに革袋は黄金色した液体でいっぱいになった。


 トン吉はカロンの腕を伝って巣に近寄るとハチミツをぺろっと舐めてみた。途端、電流が走ったように体を震わせる。


「すっごく甘いであります!」


 カロンも試しに手についたものを舐めてみると、濃厚だが癖のない甘みが口内に広がった。砂糖とも普通のハチミツとも違う、芳醇な甘みだ。


「これは。確かに美味しいですね」


 採れたてのハチミツの味は、ここまで来ないと手に入れることのできない極上の味だった。






「わぁ! ありがとうですぅ!」

「これで、ハチミツキャンディーつくれるね!」


 カロンが地上に降りてくると、腰に下げた革袋からフェアリーたちが持ってきたガラス瓶にハチミツを移す。透明な瓶の中で、ハチミツは溶けた琥珀のようにとろっと輝いていた。


「こんな大きな瓶、持って帰れるのか?」


 タケトが心配していると、


「大丈夫だよ。キツネさんに頼んだから」


 ジョルダンが指さす草むらから、一匹のキツネが出てきた。タケトは瓶にしっかり栓をすると、キツネの背に草のツルで括り付けてやる。


 攻撃バチたちにはブリジッタがいつももっている薬草水をかけて石化を解いてやった。ハチたちは、タケトを追いかけていたことなど忘れたように巣へと帰って行った。

 そして、再びフェアリーの門を通って王宮の森へと戻ってくると、


「ありがとうー! またねー」


 フェアリーたちは元気よく飛び回りながら、キツネとともに森の中へと消えていった。

 残ったハチミツは、三人で均等に分けて持ち帰ることにする。


 タケトが帰宅すると、台所ではシャンテがカマドの火を起こして待ってくれていた。シャンテはタケトからハチミツを受け取ると、平鍋に移してカマドの火にかける。そのあとは焦げ付かないようにかきまぜながら、ことこと煮詰めた。


 水分を飛ばしたら、今度は井戸水を溜めたタライに鍋ごと浸して、ハチミツをゆっくりと冷やす。

 ヘラで混ぜながらちょうどいい硬さになるまで練った後、まな板に移して細く長く形成し包丁で一口サイズに切ると、ハチミツキャンディーのできあがりだ。


「はい、できたよ。この前、リーファちゃんに教えてもらったとおりに作ったら、上手くできたみたい」


 材料はジャイアントキラービーのハチミツのみ!

 できあがったばかりのハチミツキャンディーは、琥珀のように透き通った黄金色をしていた。


「美味しいね、トンちゃん」

「あい! 幸せの味がするです!」


 そう、シャンテの膝の上で嬉しそうにトン吉は言う。

 その小さな頭を撫でてやると、タケトもキャンディーを一つ口に頬った。上品で豊かな甘さに包まれるようだった。いままで食べたことがないほど美味しい。

 でも、あんな危険な目にあわなきゃならないなら、もう二度と採りにいくのは遠慮したかった。

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【書籍化記念SS】魔獣密猟取締官になったんだけど、保護した魔獣に喰われそうです。 飛野猶/DRAGON NOVELS @dragon-novels

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