無足規律の会

須々波 啓太

第1話

 ジリリリリリリリ……。

 手をあちこちに伸ばし、けたたましく鳴り響く目覚まし時計を探り当てて、ようやく止める。目を開けて視界に入った天井は、全く馴染みのないものだった。

「そうだ、昨日に越してきたんだ……」

 春から通う大学の寮。そこに入寮して初めての朝だ。なかなか動き出す気になれず、そのまましばらくぼんやりとしていたが、何とか布団から這いずり出る。何となく冷蔵庫を開けて見るが、中は空。そういえば、ほとんど身一つでやってきたんだった。

 時刻はもう昼過ぎ。とにかくまずは遅めの朝食を調達しようと、着替えて部屋を出る。

「改めて見ると、やっぱりあんまり上等とは言えないな……」

 古びた木造の寮を見ながら、思わず呟いた。見た目もさることながら、耐震性が心配になってくる。

「大丈夫なのかな、これ……ん?」

 幾つかの部屋の前を通り過ぎたところで、昨日の夜には気付かなかったものが目に入った。一つの部屋の扉に、何か書かれた紙が貼ってある。

「無足規律の会……?」

 また、それとは別に名札が入る部分には「洞渕(ウロフチ)」と書かれたプレートが入っていた。サークルが寮の一部屋を部室代わりに使っているということだろうか。しかし、「無足規律の会」というものがどういうものなのか、全く想像がつかないが……。

 ぎぃっ。

 首を傾げていると音を立てて扉が開き、中から快活な印象の男が顔を出した。

「何か用かな?」

「あっ、いえ、何でも……」慌てて離れようとすると、ちょっと待ってと呼び止められる。

「新入生かい?」

「あっ、はい、すいません。ちょっと張り紙が気になったもので……」変に勘繰られても困るので、正直に言った。

「これ?」彼は扉に貼られたものを指差す。

「ええ、まぁ……」

 すると部屋の方に手招きされた。何処の誰かも知らない相手と関わることにいささか不安を感じはしたが、彼がここの寮生なら折り合いを悪くしたくない。仕方なく、従って中へ入ることにした。

 部屋の中はやはり部室というよりも個人の部屋のようだ。間取りも自分の部屋と変わらず、テレビや冷蔵庫といった備品も同一の物らしい。

 そしてそこには先ほどの男と、黒縁メガネで短髪、頑固そうな顔付きの男、そして茶髪でセミロングの女の3人がいた。

(なんだ、この取り合わせ……)

 とてもじゃないが活動を共にするようなメンツには見えない。メガネの方は手にしたゲーム機の画面に視線を注ぎ、こちらに一瞥もしない。逆に女の方は「よぉ」と気さくに手を振るので、取りあえず会釈だけしておいた。

「ここは会の寄り合い所、兼、私の自室なんだよ」ということは彼が「ウロフチさん」ということのようだ。

「『無足規律の会』はサークルとして認められてはない。というか、別にサークルを主張する気もないけどね。まぁ、ただのコミュニティみたいなもんさ」

「は、はぁ……」

「で、無足規律ってのがどういうことかって話だけど……もっと簡単に言えば『無駄なルール』ってとこかな」

 無駄なルール? 説明されたところでやはり意味は分からない。

「この会には色々と決められたことがあってね。例えば、

 『靴は左右を逆に履くこと』

 『腕時計は利き腕に嵌めること』

 『ゲームは一日一時間』

 『決して歩いたりしない』」

「へ? 何ですかソレ?」余りに奇妙なことを言うので思わず間抜けな声をあげてしまった。

「そんなことしても何の意味も……」

「そう。だからムダ。『無足』ってわけ」

「っていうか最後の『歩かない』なんて守れるわけないじゃないですか」

「うん。だから守ってない」

 はぁ?

「守れない、或いは守っても仕方のないルールを作って、それを実際に守らないのがこの会の目的なんだ」

 どうも、とんでもない人に関わったらしい。張り紙なんて気にしないで、さっさと食事に行くべきだった。いや、今からでもそうするべきか。

「あの、わざわざ説明頂いてナンなんですけど、ちょっと僕には難しくて分かりそうにないんで、このへんで……」

「ああ、うん。ごめんね、時間取らせちゃったかな」

 洞渕は少し残念そうな顔をしたが、引き留めはしなかった。


「よっ」

 足早に寮を出て、とにかく食事を摂ろうと店を探していると、後ろから声を掛けられた。

「あっ」

 『無足規律の会』に居た女だ。どうやら後を追いかけてきたらしい。

「あれ、もしかして変な人だと思われてる?」こちらの表情を見て、女は笑ってそう言った。

「別に変な宗教やってるわけでも、そこに勧誘したいわけでもないって。ただ、ちょっと困らせちゃったっぽいから、お詫びしたいと思ってさ」

「いえ、別に大丈夫なんで……」断って逃げようとすると、肩をバシバシ叩かれた。

「遠慮しないで! まだこの辺のことはあんまり知らないでしょ? オゴったげるからさ」

 そう言って半ば強引に引っ張って行かれたのは、なんてことのないチェーンのレストランだった。


 「屋島さんは、どうしてあの会にいるんですか?」

 屋島涼子と名乗った女に、こちらから『無足規律の会』の話を振ってみた。食事中もずっと取り止めのない世間話をする彼女と、洞渕がした会の説明がどうしてもミスマッチに思えて、単純に不思議だったからだ。

「洞渕が言ってること、よく分かんなかったでしょ?」

「ええ、まぁ……」

「あたしも自分でどこまで分かってるか自信はないんだけど、あいつが言うには規則からの解放ってのが目的なんだって」

「解放?」

「世の中って守らなきゃいけないことが色々あるじゃない? 法律とか、ガッコーなら校則とかもそうだけどさ。でも、そういうのに息苦しさを感じても、そのルールを破るわけにはいかない。だから、わざとどうでもいいルールを作ってそれを破ることで、ギジ的な解放感を得るとか、そういうことを言ってたかな」

「屋島さんはそういう苦しさを感じてたってことですか?」

「ううん、全然」あっけらかんと言い放つ。

「まぁ何となくは面白い考えだと思うんだけど、あたしはどっちかって言うと別のことに興味があって」そう言っていたずらっぽい笑みを浮かべる。

「あそこにもう一人居たでしょ? メガネの男」

「ああ、はい。何か真面目そうな感じの……」

「違和感とか、感じなかった?」

 違和感? まぁそう言われてみると……。

「知らないのに見た目だけで勝手なことを言うのもあれですけど、ゲームに夢中になるってタイプには見えなかったので、そこはちょっと意外な感じが」

「何でか分かる?」フルーツパフェを突きながら、聞いてくる。

「何でって言われても、好きだからやってるんじゃ……」

「ゲームは一日一時間」

「え?」

「洞渕が言ってたでしょ。会のルールの一つにそれがあるって」

 確かにそんなことを言っていたようだ。

「アイツはね……そのルールを守ってんのよ」

「――どういう意味ですか?」

 混乱してきた。さっきまで「守らないためのルール」と聞いていたのに、今度はそれを守っているとはどういうことなのか。

「『無足規律の会』にはさっきいなかったメンバーも含めて10人ぐらい居るんだけど、その中で唯一、アイツだけが会へのスタンスが違うの。大真面目にルールを守ろうとすんのよ」

「どうしてそんなこと……」

「わかんない」クリームをぺろりと舐めて言う。

「会の目的を理解してない、ってわけじゃないと思うんだけどね。面白がってやってるのか、規則を守らないと気が済まないサガなのか」

「理由を聞いてみたりとか……」

「話しかけられそうな雰囲気じゃないもの」それは確かに。

「洞渕さんとか、注意したりはしないんですか?」

「ルールを守るな、っていう制約もしたくはないから、黙ってるみたいね」

「で、屋島さんはあの人を観察して面白がってると……」

「そんな言い方されると、なーんかあたしがヤな奴みたいじゃない。別に見てるだけなんだし?」

「あ、すいません……」頬を膨らませる彼女を見て、思わず頭を下げてしまった。


 2人とも食事を終えると、最後にちょっとだけお願いがあるんだけど、と彼女は言ってきた。

「出来たら、新しい会のルールを考えてくんない? 別にテキトーでいいから」

「自分たちで作るんじゃないんですか?」

「自分たちが破るためのルールを自分たちで作るってのはヘンだから、会の外の人に作って貰うことになってるの。それだけがちゃんとした『無足規律の会』のルールって感じね。何か思いついたら洞渕に持ってってやって」

 分かりました、と答えると「期待してるから」と言いつつ彼女は伝票を取り上げた。

「あ、ところでちょっと気になったんですけど」

「何?」

「歩いちゃいけない、ってルールもあの人は守ってるんですか?」

「もちろん」

「どうやって……」

「いっつも走ってんのよ。靴を左右逆に履いてね」


 「よっ」

 翌日、大学の構内をぶらぶらしていると、屋島涼子に肩を叩かれた。

「あっ、どうも」

「早速新しいのを考えてくれたんだって?」

 前日の気まずさを解消したいのもあって、昼前に洞渕のところへ行って伝えてきたのだった。屋島さんに頼まれて、と言って前以て紙に書いておいた規則を渡すと、洞渕は少し嬉しそうに笑っていた。

「昨日はあたしが他人を見て面白がってる悪趣味みたいに言ってたけど、何だかんだ言って君もあたしと同じみたいね」

「どういう意味ですか?」

「だって、『無闇に走り回らないこと』ってのはそういうことでしょ?」

 彼女はそう言ってクスクスと笑った。

「さっきアイツがスキップしてるのを見た時は、さすがに声出して笑っちゃった」

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