【KAC5】ルールなき世界のルールに関する考察

星海 航平

第1話

 俺が初めて人を殺したのは十一歳の時だった。

 手にかけたのはレアンドロという、ブローカーを生業とする男だ。

 その日、俺は朝から難民キャンプに設けられた援助物資の配布列に朝一番から並んでいた。そして、それは全くの徒労だった。どこかの国の金持ちたちが趣味で出資して集められたトウモロシ粉は行列を作った難民たちの数に対してあまりに少なかった。もう何日も食べ物を口にしていない難民が何千人も並んでいたのに、一人当たりお椀一杯と定められたトウモロコシを挽いた粉はわずか二トンしか準備されていなかったのだ。

 当然、ガリガリに痩せたチンケなガキに過ぎなかった俺は匙に一杯のトウモロコシ粉すら手にすることができなかった。トタン張りのバラック小屋で待つ病気の父親と五人の兄弟姉妹(この時点で母親と二人の姉妹が亡くなっていた)にどう言い訳しようかと悩みながら歩いていた俺は赤十字のマークを掲げたテントの陰から漏れる、げらげら笑う声を聞いた。

「まったく反政府軍の連中と来たら、シケてやがんな。六十ブッシェル(およそ一・五トン)のトウモロシ粉がたったこれっぽっちかよ」

 テントのすぐそばでタバコをぶかぶか吹かしながら、ゴロツキの仲間たちと一緒に、くたびれた米ドル札を数えていたのがレアンドロだった。スペイン語の読み書きはおろか、二桁の加減乗除すら習っていなかった無学な俺にだって、レアンドロたちが貴重な援助物資を横流しして私腹を肥やしていることは分かった。

 俺はその場で、レアンドロとその一党を殺して、その金を奪うことに決めた。難民キャンプでろくにすることもなく、たむろしていた仲間たちに声をかけることにする。

 フアニートという、大麻エル・カナビス売人ヴェンデドールをしていた男が武器を商うヤツを知っていた。残念なことに、わが故国であるヴァル・ヴェルデ共和国ではトウモロコシ粉より、中古の五六式自動歩槍(旧ソヴィエト製のアサルトライフル AK-47 の中国製コピー)や 7.62×39mm 弾の実包アモの方が価格が安いのだった。

 四丁の五六式と四百発の実包を手に入れた俺たち六人は日が暮れるのを待って、レアンドロたちが根城にしていた酒場バルを襲撃した。

 レアンドロたちは二十人近く居て、米国製の M-16A2 も装備していたが、その数はわずか二丁だけだった。残りの奴らはせいぜい拳銃とかナイフ類しか装備していなかった。奇襲だったこともあり、俺たちはレアンドロたちを一方的に圧倒した。銃腔内の旋条ライフリングがすっかりすり減り、くたびれた五六式でも交戦距離わずか五メートルの室内戦闘インドア・ファイトでは大して関係なかった。俺は全自動フルオートにした五六式で弾倉マグ一本分の弾丸をレアンドロの土手っ腹にぶち込んで、ヤツの息の根を止めた。奴の仲間たちも、すぐにその後を追った。

 そして、レアンドロたちの M16A2 と、一発も発砲されることがなかったスターの自動拳銃オートマティック十丁、多数のナイフが俺たちの装備に加わった。俺たちはソレアス難民キャンプを裏から牛耳る暴力団ギャングの一つとなった。

 ヴァル・ヴァルデでは長らく続いていたアリアス・オンティヴェロスの独裁政権が米国の介入によって倒れてから、政治的混乱が続いていた。親米のサムディオ政権がわずか三年で瓦解した後はキューバやロシア、中国の支援を受けたクリマコ・エスピノの軍事政権が国家の全権を把握したことになっていたが、その支配地域は国土のわずか三分の一だった。残りは隣国グァテマラを拠点とする反政府勢力や多くの地方軍閥が跳梁跋扈し、完全な内戦状態に陥っていた。当然、流民が吹き溜まる難民キャンプで活動する非正規暴力組織を取り締まる警察力など存在するわけもない。

 八年後、俺たちの組織【ポリア】はヴァル・ヴェルデ国内でもそれなりの勢力を有する軍閥の一つへとなり仰せていた。


「兄貴、近いうちに米軍に大きな動きがあるらしいぜ」

 弟のアウレリアノが言った。かつて八人居た兄弟姉妹のうち、今でも生きているのは俺とこのアウレリアノ、それにあと一人のわずか三人だけになっていた。

国民議会派アサンブレアの方も、グァテマラの協力勢力に支援を依頼したって話だ」

 言葉を添えたのはフアニートだった。かつてはチンケな麻薬の売人だったこいつも、今や【狼】の幹部の一人になっている。

 そこはヴァル・ヴェルデの首都エスカロンにある【狼】が所有する拠点アジトの一室だった。たっぷり十五メートル四方はある広い部屋である。八年前は隙間風ばかりの掘っ立て小屋バラック暮らしだった俺たちだが、そこは地下一階地上十五階建てになった高層建築の最上階だった。しかも、ヴァル・ヴェルデ史上希有な平和期だったサムディオ大統領時代に日系の建設会社が手がけた代物なのだから、その豪華さは推して知るべしというものである。

「エスピノの方はどうなってるの?」

 俺の情婦アマン、ルピタが問いを発した。四年前までエスカロン市内の街頭で売春婦をやっていた彼女も、今では【狼】の上級構成員になっている。

「大統領なんて大層な肩書きを名乗っちゃいるが、ヤツがロシアの走狗なのはヴァル・ヴェルデ人なら誰でも知ってるだろう」

「今頃は大統領府の電話機にかじりついて、クレムリンに住むご主人にお伺いを立ててんじゃねえかな」

 俺の言葉を受けて、アウレリアノが嘲笑った。

「となると、例によってあたしたちのこれからはあたしたち自身で切り開くほかないわけね」

 ルピタが俺の顔色を見る。

 俺はフアニートに尋ねた。

「ニューヨークのノークスやフロリダのディーキンにつなぎはすぐ付けられるか?」

 二人とも、俺たちの金蔓となっている人物の名前である。

「西海岸のピーターズを含めて、いつでもつなぎは取れるようにしてあるが?」

 しれっとした表情で、フアニートはなかなかに切れ者っぷりだった。

「あんたらのお国の兵隊さんのせいで、Cの市場マーケットが荒れることになると伝えてくれ。連中のロビイングで米軍の動きが牽制できれば、それに越したことはない」

 ちなみに、Cとはコカインのことである。かの大麻薬王ラモン・エスペランザの時代から、コカインはアメリカに対するヴァル・ヴェルデの有力な輸出品なのだった。もちろん、わが【狼】もその市場の一翼を担っている。

「とは言え、連中が食い込んでる政治家はこのところ選挙で勝ててないわ。軍隊まで動かせるかしら」

 ルピタのもっともな意見に、苦笑を返す。

「時間が稼げるだけでもめっけ物さ。その間に、国民議会派辺りに罪をなすり付ける算段を付ける。なんなら、俺たちの畑の一部を燃やして、国民議会派の持ち物だったって証拠をでっち上げてもいい」

「国民議会派が持ってるコカ畑は俺たち【狼】の三分の一もないんだがなwww」

 アウレリアノが下卑た笑い声を上げる。

「馬鹿笑いはそのくらいにしておけ」

 愚弟をたしなめると、俺は腰を下ろしていた本革張りのソファから立ち上がった。

「この世界を支配しているルールは【弱肉強食】だ。弱者として食い物にされないように、せいぜい強者にならないとな」

 スーツの内ポケットから携帯電話を取り出し、国内各所に散らばる部下たちに指示を飛ばすことにする。

「……サントスか? 俺だ。セント・ネーヴィスの畑についてだが、このところ収量も減っていたし、処分も考えて……」

 韓国製のスマートフォンで通話しながら、部屋を出ようとした時。

 はじけるような銃声とともに突然、俺の背中から腹の方向に向けて、衝撃が走った。

 スマートフォンを耳に押し当てたまま、背後を振り返る。

 二メートルも離れていないところに、ルピタが立っていた。そして、そのたおやかな右掌に握られたベレッタ M84 の銃口から、わずかに硝煙が立ち上っているのが見えた。

 遅れて、俺の腹の底から何か大きな塊が上ってくる感覚があった。

「姐さん! いったい何のつもり……」

 慌てたアウレリアノが俺に駆け寄ろうとした。そのアウレリアノに向けて、フアニートがヴァレンティノ製スーツの内懐からグロッグ M19 を抜き出した。無造作に発砲する。

 フアニートが撃った 9mm 弾は至近距離からアウレリアノの眉間を撃ち抜いた。わが愚弟の後頭部から、ぐちゃぐちゃに攪拌された頭蓋の内容物が床へと勢いよく飛び散る。アウレリアノは一言発することすら叶わず、棒のように倒れた。

「……な、なんで……」

 俺はこみ上げてくる激しい嘔吐感に堪えきれず、喉を上ってきたモノを口から吐き出した。それは夥しい量の血液だった。腹腔を貫通した .380ACP 弾が俺の内臓を著しく傷つけたに違いなかった。

 ピエタが艶然と微笑んだ。いつも俺に見せてくれるのと同じ笑みだった。

「貴方、勘違いしているわ」

 彼女は言った。

「この世界を支配しているルールは【弱肉強食】じゃないのよ」

 俺はわずかに残った力を振り絞って尋ねた。

「それじゃ……本当のルールは何なんだ?」

 彼女が答えた。

「……それは【適者生存】よ。例え狼より弱いウサギであっても、環境に最も適合した者が生き残るの」

 そこでピエタが再び M84 のトリガーを引き絞ったので、俺は彼女が次に呟いた言葉を聞くことができなかった。

「……さよなら。ちょっとは愛してたわ」

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