第44話 現実逃避

 人攫いという言葉のイメージからはかけ離れた小奇麗な恰好をした男は、無警戒にドララへと近づく。薄ら笑いを浮かべ、舌なめずりをしながら。下卑た視線を浴びたドララはうっすらと笑みを浮かべる。


 アカツキとドララの居る場所は、ドララの急降下によりクレーターが出来上がっている。その中心にいるのだから、それを引き起こしたのは二人に決まっている。なのに、まったく無警戒に近づいてくる小金持ちそうな男。アカツキはその男の行動を訝しく思った。そして、隣にいる女性に聞いてみる。少なくともアカツキは何もしていないし、そもそもがトリッキーなことはできないのだから。


「……なんかした?」

「何もしとらんぞ」

「いや、だって……」

「どうやら人間にとって妾は宝の山らしいからの。鱗から角から牙から爪から。太古の昔は、同胞がそれらを目的に次から次に狩られておったわ」


 あっけらかんと言うドララに、アカツキはため息一つ。何かを言いたそうに右手が持ち上がったり下りたりしていたが、結局それが仕事をすることはなかった。


「んじゃ何か? アイツはそれを目的に近寄って来てるって?」

「ではないか? あれほど派手に乱入して、それが頭に入っていないということはあるまいて」


 愉快そうにそう言うが、今のドララは人間形態であり、どこにもドラゴンの要素はない。強いて言うなら凄い美人だと言うだけ……という所でアカツキは気付いた。


(もう慣れたけど、ドララってすごい美人なんだよな)


 初めて見たときは、目も合わせられないほど緊張したものだが、今では軽口を平気で叩ける関係だ。相手が人さらいだということと合わせると、素材目当てと言うことではないが、金儲け目的なのかもしれないとアカツキは推測した。


(ついでに味見という所か……)


 金と色香に目がくらむという所がらしいっちゃらしいが、生きていてこそのものだ。もはや生きる伝説と化した、古龍三体のうちの一体に向かって、そんな目を向けてこちらに近づいてくる男に対して、アカツキの瞳に宿っている感情は―――


『憐憫』


 であった。






「おう、姉ちゃん。いい女だなぁ。ちょっと一緒に来てくれよ。なに、悪いようにはしないさ」


 下手すぎるナンパなセリフをのたまう男。この後の展開を思い浮かべているのか、ご尊顔が実にだらしない。そんな顔をした男のそんなセリフに騙される女は、このご時世まずいないだろう。このというかどんなご時世でもだろうが。


「ほう、悪いようとはどんなのだ?」


 面白そうだと思ったのか、会話のやり取りが奇跡的に成り立っている。ただし、一方的に破棄が可能な実力差が二人の間には横たわっているが、男のほうにそれに気づいた様子はない。本当にこんな危機管理能力でよくやってこれたものだと、アカツキはあきれていた。ちなみに隣に立っているアカツキは完全無視である。眼中にないらしい。


「あんなトリックで俺らをだませると思うか? 甘いぜ、姉ちゃん。俺らも修羅場を幾らもくぐってるのよ。あんな子供だましでビビったりしねぇよ。なぁ!?」


 そう言って、周りに同意を求めた。徐々に緊張感が緩和していってるのか、人攫いたちは体がほぐれてきたようだ。男の言うとおりだと同調するものがほとんどで、違和感を感じている者は極わずか。そしてそのマイノリティーの中にリーダーは入っていた。


(本当に……本当にそうか? 何か見逃しているんじゃないか?)


 信じたくないのだろう。先ほどのアレは目の錯覚で、実は魔方陣で幻影を見せられていた、と言われた方が納得できる、というよりそれで納得したいのが本音だ。部下の男は、完全にあれは何かの仕込だと思い込んでいる。


 有名なランクS冒険者の一人、『霧幻』レディ・ファントム。幻で脳をだまし、外傷も何もないのに死に至らしめると噂されるほどの人物だ。そのような人物がいるのだから、先ほどのような映像を見せて、ショック死を誘発することもできないことはないだろう。しかし、だ。


(あのクレーター……)


 どう考えても幻術で説明がつかない、あの大きなくぼみをどう説明するのか。思考が堂々巡りの袋小路に入り込んだことを自覚しながらも、一手間違えれば全滅と言うこの状況。


 目の前で起きていることは現実か、それとも虚構か。


 そんな考えがグルグルとリーダーの頭の中を支配していた。


 ただ、リーダーが思い違いをしていたとすれば―――






 一手もくそもないという状況に、すでに置かれていたということだ。






 取り立てて抵抗する気配を感じなかったのか、部下の男はドララの豊満すぎる胸を、いきなりわしづかみにした。男の中ではすでにドララは商品であり、味見する権利があると勝手に思い込んでいたからである。


 掌の中で自在に形を変えるドララの胸部。掌に収まるなんて言葉が、霞むどころか存在しないとばかりの奇跡の脂肪を楽しむ男。


「ん~~……弾力、形、最高だな。これなら他のところも……」


 男は間違いなく勇者であった。力も与えられていないのに、行動で示したのだ。勇者とは、他の人間が絶対にやらないような危ないことを平気で行う人物のことを言う。生まれながらの勇者などいないのだ。ルシードなどとは格が違う。


 しかし、だ。


 基本、勇者という称号は嘲りと共に与えられるものである。許可も得ていない女性の胸を揉みしだくなんて行動、普通の男はやらない。


「お前、勇者(笑)だな。すげぇよ、ホント」


 誰が見てもその類例に当てはまる行動をとった男。なれば、次に起こることは予想がつく。


 す……と、胸を揉まれながらドララは右手を男の顔の真正面に向けた。「フォン」と軽い音を立て、空中に方陣が浮かび上がる。


 目をつぶって感触を楽しんでいた男は、その初動を見逃した。目を開けていれば距離を取るなどの行動をとっていただろう。その程度には荒事に慣れていた。


「おい」

「は?」


 わずかな言葉のやり取り。声を掛けられたことにより、男は目を開く。その瞳に映るのは、宙に浮かぶ方陣とその端々から漏れる炎。


 手をかざしたまま、ドララは男に告げる。


「喜べ。貴公は妾がアカツキ以外には触れさせんと誓った体に触れることが出来た。許しを得ずに行った蛮行。万死に値する」


 口元は笑みを浮かべているものの、目は全く笑っていない。気配など感じる力などないにも拘らず、不穏な空気を感じた男はそろりと胸から手を離し、後じさりながら、両手で降参をアピールする。


「ちょ、冗談だよ、冗談。君、アレ? 冗談通じないクチ? いけないなぁ。いい女はもっと余裕を持た」


 言い訳は最後まで言わせてもらえなかった。「ゴバァッ!」と方陣から吐き出された炎は、一瞬で男のほとんどを消し炭に変えた。


 残っているのは、体がまだあるかのように不自然に立つ膝から下の足の部分と、支える胴体がなくなり、ぽとりと大地に落ちる肘から先の部分が一つ。残りは現世からすでに消え去った。


「「「……」」」


 音を立てることが罪だと言わんばかりに、この場を静寂が支配する。ノリの軽い人攫い一人が、置き土産を残しあの世へと旅立ったわけだが、これが蹂躙への合図となった。


 ――――――――――――――――――――


 さらば、名もなき男。お前のことは……それほど覚えてはいられないだろう。


 蹂躙まで行けんかった……スマン……

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(未完)くすりやアカツキ奮闘記 ~婚約者の帰りを一途に待つ男の話~ お前、平田だろう! @cosign

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