決して、それを見てはいけない

弐刀堕楽

決して、それを見てはいけない

 藤木恭也ふじききょうやは金に困っていた。彼には借金があったのだ。どこかにいいもうけ話はないものか。

 そんな時、彼はあやしい求人サイトで高額報酬の仕事を見つけた。依頼人が旅行に行っている間、ペットの世話をするだけらしい。

 恭也きょうやは、友人の圭佑けいすけ飛鳥あすかを連れて、山奥にある洋館をたずねた。扉を叩くと、中から老夫婦が出迎でむかえてくれた。


「よく来たわね。さあ中へどうぞ」


 感じの良い夫婦だった。婦人にすすめられて、お茶をごちそうになった。

 さてそろそろ仕事の話でも――そう思ったとき、恭也は目の前がぐらりとらぐのを感じた。





「おい、恭也。起きろよ、起きろってば」


 気がつくと、圭佑が恭也の身体を揺すっていた。


「な、何が起きてるんだ?」

「毒を盛られたんだ。あのジジイども、俺たちに睡眠薬を飲ませやがった」

「なんだって?」


 一気に目が覚めた。周りは暗かったが、かろうじてお互いの輪郭りんかくらえることができた。


「しかし暗いな。何か明かりはないか?」

「ないね。携帯も取られた。どうにもならねえ。……いや、待てよ。恭也、お前タバコ吸うだろ。ライター持ってないか?」


 言われた通り、恭也は服を探った。あった。ジッポライターだ。

 ふたを開け、火をつけるとようやくお互いの顔が見えた。

 周りを見渡して恭也は言った。


「なんだか物置みたいな所だな」

「たぶん地下室だろう。俺たちは完全に閉じ込められたってわけだ」

「で、圭佑。これからどうするんだ?」

「俺に聞くなよ」

「ねえ、二人とも」飛鳥が言った。「それより僕の服にこんなものが入っていたんだけど」


 飛鳥の手には、小さなメモがにぎられていた。

 メモにはこう書かれている。


◆ルール1:決してそれを見てはいけない

『決してそれを見てはいけません。それは顔を見られるのをすごく嫌がります。どうしても見る必要がある場合は』


 文章はそこで途切とぎれていた。紙が破かれている。

 気味の悪いメモだった。だが、これは老夫婦のイタズラではないか、というのが圭佑の意見だった。二人もそれに賛同した。

 三人はライターの明かりを頼りに部屋を出た。ガラクタの転がる通路を進むとドアがあった。

 ドアを開くとまた部屋があって、中にはドアが二つもあった。それからいくつものドアと部屋を通り抜けて、三人はまた一番最初の部屋に戻ってきてしまった。


「まるで迷路だな」と恭也。

「ったく、どういう構造してんだよ」圭佑がイラついて、床のバケツを蹴っ飛ばした。


 ガラガラ、ガラン!

 バケツの中から三本の懐中電灯が出てきた。


「意外と親切じゃん」

「なんだか僕、お化け屋敷みたいで楽しくなってきたかも」


 圭佑と飛鳥はのん気にこう言うが、恭也だけは浮かない顔をしていた。何かが引っかかる。イタズラにしては度が過ぎている。


 ゴン、ガゴン!

 突然とつぜん辺りに大きな音がひびいた。


「今のはなんだ?」


 恭也の言葉に誰も答えなかった。だが皆、同じことを考えていた。ルール1ののことだ。


「む、向こうから聞こえたよ」


 飛鳥はビビりながら壁のひとつを指さした。壁を懐中電灯で照らすと、下の方に小さなドアが付いているのが見えた。

 ドアにはメモが貼り付けてあった。

 メモにはこう書かれている。


◆ルール2:決して音を立ててはいけない

『決してそれの近くで音を立ててはいけません。それは音に敏感びんかんです。機嫌を悪くします。できるだけ静か』


 また文章が途切れていた。

 最初のメモと重ね合わせると、二つの断面が合致がっちした。どうやらこれは同じ一枚の紙から切り取られたものらしい。


「今度は音を出すな、だって。でもって何のことだろう?」

「わからない」飛鳥の問いに答えながら恭也が言う。「だが俺たちはペットの世話をするためにここに来たんだ。ということは……」

「なあ、それよりも」と圭佑が言った。「この小さなドアをくぐんなけりゃ俺たちは一生ここから出られないぜ。さっさと行こう」


 最初は圭佑だった。次に飛鳥が通り抜け、最後は恭也がドアをくぐった。


「おい、恭也。明かりを消せ。何かいる」


 出口で待ち構えていた圭佑にうながされて、恭也は懐中電灯のスイッチを切った。

 ドアの向こうには部屋があった。ここにも物が散乱している。部屋の中央には棚の形をした大きな影シルエットが見えた。

 その裏でゴソゴソという音が聞こえた。そこに何かいるらしい。


ってやつの正体を見てやろうぜ」


 圭佑がそう言って動こうとした時、棚の横に何かが現れた。

 それはぼんやりとした人影だった。背丈せたけは大人の男くらいだが、手足が異様に長かった。

 明らかに人間の形ではない。間違いなく化け物だった。


「気づかれる前に外に出るぞ。絶対に音を立てるなよ」


 圭佑が部屋のすみにあるドアを指さして耳打ちする。

 彼の指示にしたがい、恭也と飛鳥は息を押し殺して動いた。ゆっくりと音を立てないようにしながら……。


 パリン!

 小さなガラス片を踏む音がした。

 飛鳥だ。彼は、恭也の服のすそをぎゅっとつかんだまま、わなわなと震えていた。


 次の瞬間――が鳴いた。

 耳をつんざく怪音だった。

 

「走れ!」


 圭佑の合図で全員、部屋の外に飛び出した。だが、あわてていたのか飛鳥だけは違う方向に逃げてしまった。

 部屋から出てきたは、まっすぐに飛鳥を追いかけていく。


「やめろ! そっちじゃない!」


 圭佑が叫んだ。彼は懐中電灯の明かりをに向けて、足を踏み鳴らした。おとりになるつもりらしい。

 だが、は見向きもせずに飛鳥が逃げた方へ駆けていった。


「マズい! 飛鳥を助けなきゃ!」


 圭佑と恭也は走り出した。

 だが……。


「う、うわあああーーっ!!」


 飛鳥の悲鳴。

 圭佑に続いて、恭也が曲がり角を曲がると、そこに飛鳥の姿はなかった。

 彼は忽然こつぜんと姿を消していた。


「飛鳥は?」


 圭佑は答えない。彼は黙ったまま懐中電灯で足元を照らしている。そこは血溜まりだった。圭佑は血の海の上に立っていた。

 血の海から何かを引きずったようなあとが、壁の方に伸びていた。それは壁をい登り、壁の中央に空いた穴の中へと続いている。

 どうやら飛鳥はそこへ引きずり込まれたらしい。


「どうして……」圭佑は涙を流していた。「俺のほうがでかい音出してたじゃねえか……なのに、なんであいつが……」

「たぶんこれのせいだ」恭也は穴の入り口付近を照らして言った。「これのせいで、飛鳥は狙われたんだ」


 壁の穴の上には一枚のメモが貼り付けてあった。

 メモにはこう書かれている。


◆ルール3:決してそれを怖がってはいけない

『決してそれを恐れないでください。それはあなたの恐怖心をするどく感じ取ります。これは二番目に危険な』


「圭佑。もう行こう」

「だけど飛鳥が……」

「今ここで俺たちまでやられたらダメだ。それより出口を探して警察を呼ぼう。急げば飛鳥も助かるかもしれない」

「あ、ああ。そうだな……」


 そうは言ったものの、恭也は飛鳥がまだ生きているとは到底とうてい信じられなかった。

 それからどのくらいの間、地下を彷徨さまよっていただろうか。

 ついに彼らは見つけた。


「明かりだ。圭佑、明かりだ」


 遠くに丸い形をした明かりが見えた。

 急ぎたい気持ちを抑え、二人は静かに進んだ。物音を立てぬよう慎重しんちょうに歩いた。


 だが、彼らの背後で――

 再びの鳴く声が聞こえた。


 振り返ると、すぐ近くにがいた。圭佑は床に転がっていた鉄パイプを拾って叫んだ。


「逃げろ、恭也! 俺がここで食い止める!」

「だけど……」

「いいから行け! 外へ出て助けを連れてこい! 早く!」


 圭佑がの方へと走り出す。

 止めることはできなかった。


 恭也は無我夢中で走った。そして出口のドアまで辿たどり着いた。

 ドアには丸窓が付いていた。窓の向こうには短い通路と、その奥には上に続く階段が見えた。

 だが、ドアノブが見つからない。懐中電灯で照らすと、ドアノブは切断されていた。すっぱりと切られた断面だけがそこにあった。


「そんな……」


 その時、窓の外で何かが動いた。

 急に扉の横からヌッと人影が現れたのだ。それはガスマスクをかぶった老人だった。最初に出会った老夫婦の男だ。

 恭也はドアを叩いて泣きついた。


「頼む、出してくれ。ここで起きたことは誰にも言わない。だから……」


 分厚い窓ガラスの向こうで、老人は首を横に振っている。

 答えは「ノー」だ。


「頼む……頼むよ……」


 老人はやおらポケットに手を伸ばすと何かを取り出し、それを窓に押し付けた。

 それは一枚のメモだった。

 メモにはこう書かれている。


◆ルール4:決してそれから逃げてはいけない

『決してそれから逃げないでください。見つかった時は隠れてやり過ごしてください。もし走って逃げ出せば、あなたは助かりません。これは一番危険な行為です。注意』


 首筋に生暖かい吐息を感じた。

 血とドブが混ざりあったような臭いがした。


 恭也は恐る恐る、後ろを振り返った。

 そして彼は最期に見た。この世のものとは思えない醜貌しゅうぼうが、自分の顔の肉をみちぎる所を……。





 ここはとある豪邸ごうていの一室。

 椅子に寄りかかった中年の男が電話で話している。


「アレの様子はどうだ?」

「はい、社長」電話の向こうで老人が答えた。「アレは十分に満足したようです。例の若者たちをそれはもうバクバクと」

くわしい話は聞きたくない。だが、よくやった」

「いえいえ。しかし社長、アレはますます大きくなりますな。最近は少子化に人手不足だというのに困りますよ」

「ああ、まったくだ。やっかいなルールだよ。だが、今更いまさらやめることなんてできないさ」


 そう言って、男は憂鬱ゆううつそうに机の上のメモをながめた。

 メモにはこう書かれている。


◆ルール5:決してそれをえさせてはいけない

『二週間に一度、それに食事を与えてください。十代から二十代の若い人間の生肉が好物です。それ以外のえさは受け付けません。もしそれが飢え死にした場合はどうなるのか――言わなくてもわかりますよね? 注意しましょう。

 以上、五つのルールを厳守げんしゅすることにより、その幸運の小猿は、必ずあなたの人生に栄光と巨万の富をもたらすでしょう。なお返品はできませんので、あしからず。またのご利用をお待ちしております』

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