G鉄道のKと星をめぐった使徒ヨハネ

八島清聡

第1話 彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。



 ――私がその不思議な少年に会ったのは、妹の病気が悪化し、看病のために故郷に帰ったあとのことだった。



 晩秋の荒涼とした風景の中、枯草生い茂る畦道を、Kは息せき切って駆けた。

 道の途中で突然立ち止まり、荒い息を吐きながら天を仰いだ。

 群青の空に、無数の星が浮かんでいる。Kは、しばし呆けたように星々に見惚れた。


 Kが古い木造建ての母屋に入ると、奥の戸が開き、母のIと白衣を着た中年の医者、続いて若い看護婦が出てきた。

 医者はIに向かい黙って首を横に振った。Iは、医者たちに深々と頭を下げた。

「先生、ありがとうございました。夜道は暗うございます。気をつけてお帰りください。それから、どうぞこれを」

 Iは震える手で、謝礼の封筒を差し出した。医者は封筒を受け取ると、一礼して家を出て行った。看護婦は残った。


 様子を見ていたKは、Iに駆け寄った。

「母ちゃん、Tは。Tはどうなった」

「K……あんた、学校はどうしたね」

「何言ってんだこんなときに。学校どころじゃない。Tの具合はどうなんだ。また大量に血を吐いたって」

 Iは沈鬱な表情で、諦めたように頷いた。

「やれやれ、お前が帰ってきたところでどうもなりゃせんよ。今し方、先生に診てもらった。発作は薬で落ち着いたよ」

 それを聞いて、Kはほっと胸を撫で下ろした。

「そうか、なら良かった。さっき空を見上げたら、星々が轟くように輝いていた。妙な胸騒ぎがしたんだ」

「お前ときたら、こんな時まで詩人気取りかい」

 Iは呆れたように呟き、Kにくるりと背を向けた。

「お前もそろそろ覚悟しておきな」

 Kはくっと息を呑んだ。Iの後に黙って続いた。


 畳敷きの部屋に入ると、中央には布団が敷かれ、やつれきったTが横になっていた。

 枕元には屏風が立てられ、二つの欠けた茶碗が置いてあった。

 KはTの枕元にそっと腰を降ろした。

 訪れを知ったのか、Tは目を開けた。

「ああ、すまん。眠っていたのか」

「うん、少しうつらうつらしてた。……ねぇ、兄ちゃん。外に誰かいた?」

「いんや。なんでだ」

 帰宅する途中で、Kは誰も見かけなかった。病気の娘がいるとあっては、近所の人間もこの家に近づかない。

「外から子供の声が聞こえたわ。私のことを呼んでいたような……」

「子供?」

「……親戚の子でも来たのかしら?」

「いや、そんなはずはないだろう。見舞いも断ってるしな。大方夢でも見たんだろう」

「そう……夢かぁ」

 Tは少し残念そうだった。

「白湯でも飲むか」

「ううん、いい。大丈夫」

 手持無沙汰になったKは、布団の外にはみ出したTの手を握った。痩せて骨と皮ばかりになった哀しい手だった。

「手、冷たいな」

 KはTの手を両手で包み、そっと撫で摩った。TはKを見上げて弱々しく微笑んだ。

「兄ちゃん」

「ん、どうした」

「……ありがとう。ありがとうね」

「なんだよ今更」

「私、母ちゃんにも兄ちゃんにもSにも看護婦さんにもずっと尽くされてばかり。今度……もし人間に生まれてくるなら」

 そこでTは、ゲホゲホと咳きこんだ。真っ白な寝巻きの襟や胸元に赤いものが滲んだ。

「T。しゃべるな」

「私、今度は……こんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてきたい」

 Kの目にうっすらと涙が浮かんだ。何も言えないまま、水に浸した布でTの汚れた口元を拭ってやった。


 一時間後。

 空には、白い月が昇っている。

 Tは、すやすやと寝息を立てていた。

 Kは寝入ったTの頬をそっと撫でると、部屋を出た。

 ギシギシと音をたてる階段をのぼり、二階の自室へと戻った。

 ところかしこに本が積み上げられ、雑然とした部屋にすべり込むようにして入ると、机の前にはG少年があぐらをかいており、熱心に本を読んでいた。

「……お前、また」

 Gは振り返ってKを一瞥し、また本に視線を落とした。

 Kは、かすかに恐怖も覚えながら尋ねた。ここ数日、家の中や自室にわがもの顔で居座る少年。それがGである。気まぐれにKの前に現れ、そして消えてゆく。

「お前は……一体誰なんだ。どこのどいつなんだ」

「僕……? ははん、そんなことはどうでもいいじゃないか」

 Gは顔を伏せたまま、Kの質問をはぐらかした。Kは声を強める。

「どうでもよくない。どうして……こんな奇妙なことがまかり通るんだ。お前は一体どこからこの家に入ってくるんだ。不法侵入されているのに、なぜ誰も何も言わないんだ」

 Kは髪をぐしゃぐしゃと掻き毟る。

「それとも俺の頭がどうかしてしまったのか……。くそっくそっ」

 Gは口もとに軽薄な笑みを浮かべながら、落ち着き払って言った。

「それはね、僕は君以外には見えないものだからだよ。ああ、今それは正しくないな。この家には……もう一人僕が見える人がいるね」

「お前が見える? それは誰だ」

「C」

 と、Gははっきり言った。

「C?」

「僕の友達さ。祝福の鐘の音が聞こえる向こう側から、ずっと長い間探していたんだ。やっと見つかって嬉しいよ」

「何を……言っているんだ。そんなヤツはここにはいない」  

 Gはそこで本を置いて立ち上がった。

 Kの前まで行くと、蒼白になった顔をじっと見た。

「K、よく聞いて」

「なんだ」

「もうすぐ天から、白い星が降ってくる。無数の白い星が。それが合図だ。僕達が乗る汽車の、出発の合図なんだよ」

「き……しゃ?」

「空に約束の汽笛が響いたら、僕はCと銀河の海へ旅立つ。二人で天の川を越え、白鳥座で優雅に遊んで、南十字星を目指す。そこは終着ではなく始まりの座標さ」

 Kはハッとして、ぶるりと肩を震わせた。

「何をわけのわからんことを。お前、お前は……Tをあの世へ連れていく死神なのか」

 Gは首を横に振った。

「違うよ。僕はあくまで使いであり、傍観者だ。人の運命は天が決める」

 Kは踵を返し、勢いよく襖を開け放った。もう何も聞きたくなかった。

 外を指差して叫んだ。

「出て行け、死神。今すぐここから出て行け! 二度とTに近づくな!」

 Gは意味深に笑うと、Kの脇をすっと抜けて部屋を出て行った。


 長い夜が明けて、明け方になった。

 空は暗鬱な灰色の雲に覆われ、ぼたぼたとみぞれが降っている。

 Kは一晩中まんじりともせず、Tの傍らで過ごした。

 Tは夜中に高熱を出し、何度も苦しい息を吐いた。Kは息が詰まるような胸苦しさを覚えながら、Tに囁いた。

「T、T。聞こえるか。兄ちゃんの声が聞こえるか」

 Tはかすむ視界の中、懸命に手を伸ばした。枕元の茶碗を探り当てると、Kに突き出した。

「兄ちゃ……お願い。熱い。雪を……持って、きて……ちょうだい」

 Kは震える手で茶碗を受取り、転げるように縁側に飛び出した。

 裸足のまま庭に降り、空から降ってくるみぞれを茶碗に受けた。雨とも雪ともつかぬ冷たいものに濡れぼそりながら、空を見上げてさめざめと泣いた。

「ああ……ああ……」

 灰色の雲が割れ、陽が一筋さす。泣き濡れるKの顔を照らし出した。



「T……!」

 そこでKは、がばりと飛び起きた。いつの間にか寝てしまい、夢を見ていたのだ。

 部屋を見渡せば、Tの布団は空になっている。

「T? どこだ、T……」

 Kは立ち上がり部屋を出て、必死にTを探して歩いた。母の姿は見えない。父もきょうだいたちも、女中も下男も看病用に雇った看護婦の姿もない。家内には誰もいない。

 あとは外しかない。悪い予感がしながらも縁側に出ると、ぱらぱらと白いものが降り始めている。

 Kは白面に染まりつつある庭を見渡し、そこで探していたものを見つけた。


 庭の中央に、GとTが立っていた。

 二人はやっと巡り会えた恋人たちのように、しっかりと手を繋ぎ、離れがたく佇んでいた。

 TはKに気づくと目を細め、優しく微笑んだ。その顔は在りし日の天真瀾漫な少女のようで、長年の病苦に憔悴しきったそれではなかった。

「T……お前、そんなとこで何をしている。そんな体で」

 Kの問いに、Tはもぐもぐと口を動かした。が、声は出なかった。

「T、何を言っているんだ」

 問いかけるKに対し、Gが代わりに答えた。

「『さよなら兄ちゃん』って言ってるよ」

「G、お前はTに一体何を……」

「何もしてないよ。僕は何もできない。そういう掟なんだ。彼女はもうこちら側の住人で、君とは口をきくことができない。これから、地上を離れて僕と星の旅に出るんだから」

「そんな……この、この悪魔め。死神め! Tを返せ。返せえっ……」

 Kは叫びながら、その場にへなへなと崩れ落ちた。わかっていた。Tが助からないことは。

 母に言われ、周囲に諭され、何度も何度も覚悟を決めてきたではないか。

 それでも思った。どうかTを連れていかないでくれ、と声なき声で叫んだ。


 Kの心を見透かしたようにGは言った。

「……違うよ。それは違うんだ。どうか悲しまないで」

「悲しまずにいられるか。お前に俺の気持ちがわかるものか!」

「わかるよ。だって僕は君なんだから」

 Kは、目を見開いた。

「えっ」

「僕はね、未来の君自身なんだ。君はTを失って一人になり、一人になった悲しみを胸に終わりのない物語を書き、いつかTを追って旅に出る。汽車の旅だ。終点のない旅だ。星々を縫うような長い旅路の果てに、はるかな故郷の過去さえも巡って、唯一の輝ける星を探しあてる。けれども、結末は誰にもわからない。それこそが、君が書いた物語のルールだから」

「結末が……わからない?」

 Kは悄然とし、Gは反対ににっこりと笑った。

 今や、永遠の人となったTと共に歩き出した。Gは傍らの少女を愛しげに呼んだ。


「行こう、カムパネルラ」

 T……いや、Cも応えた。

「ええ、ジョバンニ」

 二人の出発を待っていたかのように、大量の雪が降り注ぐ。

 白の障壁は、去りゆく二人をあっと言う間に隠してしまった。

 一人残されたKは、しばらくしてからやっとのことで空を見上げた。

 はるか遠くから、ボーボーと汽笛の音が聞こえてくる。

 今や、星は見えなかった。   



 ――今こそ告白しよう。

 私がその不思議な物語を書きだしたのは、妹が旅立ってから少したった後のことだった。




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