お約束の、達人(花の秘剣4KAC5版)

石束

お約束の、達人。

 月浜藩剣術指南役・小菅甚助の屋敷。午前。巳の刻のあたり。

 庭に面した、明るい座敷に、華やいだ声が広がる。


「稽古の都合で朝から男の方、その後、続けて女性の門人の順になることがあるのですが」


 声の主は「はる」という。小菅道場の女性門人で小太刀の腕前は三指に入る。小菅道場は当世には珍しく、女性も門人として厭わず受け入れて剣術を指南する。その際方便として「武家・少年・女性・町人」と、稽古時間をずらして分ける。これは本当に珍しいので、月浜藩外からも入門希望者がある一因になっていた。はる自身も近江水口藩出身である。


「女性門人が少し早めに来て、自分たちの稽古までの時間待ちをしている頃にちょうど、若侍方の稽古が佳境に入るわけです」


 門人の彼女が道場ではなく小菅家の奥座敷で何をしているかというと、「偶然ひょんなことから知り合いになった」小菅家の一人娘、加代と世間話をしているのであった。加代の方は手ごろな大きさの火鉢に鉄の火ばしを突っ込んで炭をかき回している。

 最近、咳をするようになった父のために、この手ごろな火鉢を奥の書斎に持っていくか、それとも、この庭の見えるお気に入りの座敷に置いておくのか、迷っているところ。

 はるが「最近の道場の様子」を話しても「ほー」「なるほど」「そうですか」と気のない返事を返している。


「で、若い娘がいる気配で、殿方たちは張り切って稽古をされるのです。それはもう、あれです。餌の時間に餌を持っていったら鶏が集まってくるような感じです」

「……はる様、その譬えはさすがに」

「で!」と「ここからが大切なのだ」と、はる(講釈師)が力を込めた。

「当然、師範代もいっそう熱心に、稽古をつけられて」

「……」

「稽古を終えられて座られた後、この肌寒い中にもうっすら首筋から湯気が上がっているような風情で。けっして息を荒げて乱れたりなさらず端然といつも通り綺麗な姿勢でいらっしゃるのが、他のへたり込んでいる若侍方とは違っていて!」

「…………」

「でも、そんな中でも、少しお顔が青白くなって、あわせに手をやって整えてから、きゅっと、胸元でこぶしを握って、なにやら荒ぶる自分を静かに修めていらっしゃるような趣が、なんとも云えずっ!」

「……少々、妄想が過ぎる気が」

「その佇まいがあまりに、健気で尊くいとおしく……ではなく、一生懸命稽古をつけてくださる日頃の御恩に報いたく。せめてもと新しい手ぬぐいを井戸水で絞って差し入れすることにしました」

「……それは、はる様、貴女が?」

「いえ、暗黙の約束で、女性門人が一人づつ、順番日替わりで」

 めぎょきょきょおおおおん。

「……出石家のみさえ様などは、最初『不謹慎な』『かえってご迷惑では』とおっしゃって……あれ?」

 妙な音がした方向を、はるが見ると、加代がくの字に曲がった火ばしを見ていた。

「……へんね。錆びていたのかしら?」

 ちなみに、寸前まで火鉢にあった火ばしなので、うっすら煙があがっている。

「……」

 はるは、とりあえずしゃべるのを止めた。

 彼女だって、命がおしい。


 ◇◇◇


 出石みさえは「足音」に気づいていた。急ぎ足で長屋を抜け、路地から大通りに出ようとした。だが、あと一歩のところで、目の前を人影にさえぎられた。

 彼女も武家の娘。実家は道場を営み、彼女自身も剣術を嗜んでいる。胸中覚悟を定めて、足元に伏していた視線を上げると、鉄紺の羽織と、よく見知った若々しい顔があった。

「師範代!どうして」

 小菅道場師範代、矢倉新之丞だった。彼は、みさえの横をすり抜けて、路地に立ちふさがり、半身になって、自らの背後に彼女を庇った。

 路地奥の薄闇から、のそりと、編笠の男が現れる。

「さがって、ください」

 背後に告げ、新之丞もまた油断なく、目配りしながら、じりじりと後退しようとした、その時。みさえが叫んだ。

「師範代! 居合ですっ」

 刹那。新之丞に向けてぞっとするような銀光がとんだ。

 新之丞は身をひるがえす。しゅっと、空気そのものを切断するかのような音が、追いかけるように遅れて、聞こえた。

 たたらを踏むように後退し様、新之丞は、みさえの手をつかんで、大路へのがれた。


 しばらくして、二人の姿は陣屋裏の堀端にあった。折からの渇水で、水深は浅く、膝に届かない。辛うじて浮いているといった風情の小舟が、居心地悪げに、浮橋に繋がれてる。

 春まだ浅き水面に、儚くも穏やかな陽の光が揺れていた。

 そんな水面を眺めつつ、

「みさえ殿。一つお尋ねします」

 新之丞話は言った。そして「話にくければ、答えずともかまいません」と続けた。


「あれは伊庭心円流の『水際の太刀』ではありませんか?」


 みさえは、力なく頷いた。そしてそれでは義理が立たぬと思ったのだろう。

 ふり絞る様にして、話し始めた。


「ご明察の通りです。あれは心円流に伝わる抜刀術の秘奥『水際の太刀』……申し訳ありません! 師範代に切り掛かったのは私の実家の門弟です」


 みさえは、その場に崩れるように膝をつき頭を下げた。新之丞はそれを抱きとめるように肩を押さえ、頭を上げさせた。


「どうして? ご門弟が?」


 聞けば。

 不行跡の門弟があってこれを破門しようとしたところ、かえって逆上し徒党を組んで押しかけた上、みさえの兄である道場主に心円流の秘剣の開示を迫ったのだとか。そして、門外不出の秘剣を道場主が明かさざるを得なかったのは、その時、当の門弟どもに、みさえを囚われ人質にされたからだった。

 みさえに手を出せば、道場主も決死で挑むとあって無事に解放されたが、流派の、道場の体面には大きな傷がついた。

 その後、実家で何があったのかはわからないが、あの男がみさえを狙っているなら、実家か兄かのどちらかに異変があったと考えるほかない。

「他流の、それも教えを乞うている立場で師範代にまでご迷惑を。このような不始末。面目、ございません……」

「わたしのことなど、よいのです。あなたが悪いわけでもない。……これで、合点がいきました」


 新之丞は、みさえの前に、羽織の袂をみせた。

 横一文字に半ばまで切り裂かれて、いる。

「あなたの兄君はあなたを守り、流派を守られた。秘剣は奪われておりませんよ」

 その言葉に、みさえが思わず顔を上げた時、邪な殺気がさっと、風を切り裂いた。

 まさに半瞬。間一髪。

 新之丞は小舟にみさえを逃し、自らは、ざぶりと掘割に身を躍らせた。


 ◇◇◇


「……」

 編笠の男はさっきまで新之丞たちがいた浮橋に立っている。大刀はすでに鞘に納まっていた。

 さりげなく音もなく。実戦向きの工夫が見える。

 新之丞は一歩下がって間合いを逃れ、嘲る様に告げた。

「来い。『水際の太刀』を会得しているのだろう?」

 膝まで水に浸かりつつ続ける。

「心円流には寒に耐えて水に浸かりながら、足腰を練る稽古があると聞いているが」

 貴様はこの程度のことも、出来ないのか?

 

 編笠の男は新之丞の言外を悟った。うなり声をあげて水に飛び込み、その瞬間、しぶきの中から居合を仕掛けた。だが、それを、新之丞は余裕をもって躱す。

「やはり。『足』がたりぬ」


 流儀に「秘剣」が存在するとして。それはその流儀が積み上げた歴史と技術の精華であるべきだ。

 数限りない練磨を、神に誓い師に約し、己に課す。これが修行だ。

 その果てに、花ひらくものこそ、流儀が誇る一太刀だ。

 だが、この男にはその練磨がない。たとえ太刀筋を如何になぞろうと、意味はない。


 新之丞は袂を示した。

「先ほどの一閃。まこと『水際の太刀』ならば、わたしの首はとんでいる。そして貴様は手首を狙って、袂しか斬れなかった。……」

 編笠をかぶっており表情は見えない。だが、首筋は屈辱で真っ赤になっていた。


「日々の稽古をないがしろにして、うわべだけなぞった技に『神』が宿ることなどない」


 みさえは、はっと胸を突かれた。

 自分に向けた言葉だとわかった。

 貴女のせいではない。この男は何一つ奪えてはいないのだ、と。

 敵に告げながら同時に彼は、みさえに伝えようとしてくれているのだ。


 ああ、と嘆じた。おぼえず――鉄紺の羽織の後ろ姿が、潤んでにじんだ。

 その彼女を背に、新之丞は、編笠の奥の両眼をにらみつけて、喝破する。


「貴様の『秘剣』は、ただのまがい物だ」


 そう言いおいて、彼は

「ざばり。」

と川面から、何か長大なものを振り上げ、しかる後『それ』をまっすぐ振り下ろした。

 それが、船頭が船を操る時につかう舟竿であることに――

 編笠の男は、首筋を打ち据えられる直前に気づいた。


 ◇◇◇


「それでは、みさえ様はご無事だったのですね?」

「はい」

 はるが新之丞の武勇伝を語り終えると、加代はほっと息をついた。

 気のせいか、ほんのり頬が赤いように見えた。

 たぶん、ずっと火鉢の前にいたせい。


「みさえ様のご実家も兄君が巻き返されて、今回のことは最後のあがきだったとか」

 それは、なによりです。と、言った後、加代が続ける。

「それにしても、見てきたように語りますね」

「それはもう、お二人から根掘り葉掘りうかがいましたので」

 は? と加代がいぶかしげにすると

「その後、師範代が風邪をひいて私の下宿先に担ぎ込まれまして。その折に御二人から直接」

 彼女の下宿先は、確かにお医者様である。でも、二人?

「まだ寒いのに水に浸かっては無理もないと、叔父が申しておりました」

「では……その。師範代の世話は、はる様、貴女が?」

 いえいえ。と彼女は、顔の前で手を振った。

「みさえ様が、寝ずの看病をされました。それはもう甲斐甲斐しく。あの狷介なお方が変われば変わるもの、と――」


 めぎょきょきょおおおおん。

 再び、先ほどの音がした。

「……」

 みれば、南部産の鉄の火ばしは、二本とも「く」の字に折れ曲がって、使えなくなっていた。

 片方が錆びていたのだ。もう片方も錆びていて当然。

 そう。当然だ。

「……」

 座敷に重い沈黙が立ち込めた。

 耐えきれず、はるは心の中で叫んだ。


 お願いですから、加代様を早くもらってあげてください、師範代――


 終

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お約束の、達人(花の秘剣4KAC5版) 石束 @ishizuka-yugo

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