犯罪推理のルール

水乃流

犯罪推理のルール

 ミステリーにだって、ルールはある。

 一番大切なルールは、読者に対して、犯人を示唆するヒントを提示しなければならないことだ。それまで言及すらされなかった人物が、いきなり登場して実は犯人でしたなんて、そんなミステリー誰が読みたいと思う?

 もちろん、見せ方にもいろいろなテクニックはあるけれど、読者に対して公平でなければならない。


 ※※


 ミラクル江波えばこと江波利夫(29)は、最近注目を集めつつあった新進気鋭のイリュージョニストだ。いや、

 ある日、彼は大きな舞台で水中脱出のマジックに挑戦した。二千人は入るホールでの実演、その様子はテレビやインターネットで生中継された。彼は一辺が五メートル以上もある巨大な透明の水槽に、南京錠で固定された鎖に縛られた状態で沈められた。さらに、水で一杯の水槽は、鋼鉄の蓋が閉められ、巨大な錠前で閉じられた。絶体絶命、脱出不可能。どうやって水槽から脱出するのか? 誰もが固唾を飲んで。彼のイリュージョンを見つめていた。

 ステージ脇に備え付けられた巨大なタイマーが、一分を過ぎ、二分に近づこうとした頃、水中でもがいていたミラクル江波は、ようやく鎖をほどき水槽の中を昇っていく。だが、水槽は鉄の蓋で覆われ、呼吸する隙間もない。どうする?


 その時だった。


 水中で動いていた江波が、急に動きを止めた。そして、目を見開き驚愕の表情を浮かべた。何が起きたのか?! 観客は息をすることも忘れ、彼に視線を注ぐ。そして!


 ぶちっ。

「キャーーーーーッ!」


 会場は、悲鳴に包まれた。


 ミラクル江波の手足は、強い力で引っ張られたかのように。まるで、ゴムが限界まで伸びて破断してしまったような、そんな音を観客たちは聞いた。水槽は、たちま彼の血で赤く染まり、すでに生気を失った彼の姿を隠していった――。


 ▼▼


「最初は、多くの人間が演出だと思ったようですよ」


 警視庁捜査一課の佐藤刑事が、上司である伊藤警部補に聞き取り調査の結果を伝えた。

「本来の演出では、緞帳どんちょうが下がって水槽を隠し、その隙に鉄板の隠し扉から脱出するという手はずだったようです」

「ふん。手品の種なんざ、聞くもんじゃねぇな」

「警部補、手品じゃなくてイリュージョンですよ」

「規模がでけぇ手品じゃねぇか」


 まったくこれがから昭和生まれは、と佐藤刑事は小さくため息をつきながら、舞台上の水槽を見あげた。すでに(血で赤く染まった)水は抜かれている。もちろん、四肢がバラバラにされた江波利夫の死体も、病院へと運ばれ、今頃は検視が行われているはずだ。佐藤刑事と伊藤警部補の前には、ついさっきまで死体が置かれていたブルーシートが無造作に置かれていた。

 からになった水槽は、所轄の鑑識が総出で丁寧に調べている。脱出用の仕掛けの他には、水槽の底に排水溝があるだけで、人間の手足を引きちぎるようなしかけは見当たらない。


「イリュージョンの仕掛けを知っていたのは、スタッフ数人だけだそうです。一応、控え室に集めて待機させていますが……尋問しますか?」

「まぁ、話は聞いとかないとな。念のため、ひとりずつだ」

「了解です」

被害者ガイシャを恨んでいた人間とかは、いないのかい?」

「それが、最近急に売れたものだから、いろいろとあちこちで顰蹙を買う行動をしていたようです」

「それも聞かないとなぁ」

 長いヤマになりそうだと、伊藤警部補は頭を掻いた。


「しかし、誰がどうやって殺したんだろう?」


 途方に暮れながら、佐藤刑事は呟いた。自分から手足を引きちぎって死ぬなんてことは、できないだろうから、誰かがやったに違いない。しかし、そもそも衆人環視の中で、どうやって人間の手足を引きちぎることができるだろうか?

「超能力者が、念力でスポーンとやった、なんてことはないですよねぇ」

 佐藤刑事の軽口に、伊藤警部補は顔を顰めた。

「なに寝ぼけたことを言ってる。ほら、さっさと聞き取り調査にいくぞ」

「はい」


 ※※


 さて。


 もう犯人はおわかりだろうか?


 なに? わからない? 分かるわけがない?


 うーむ。では、犯人を教えてあげよう。

 犯人は、江波利夫が売れる前に付き合っていたかつての恋人で、江波は売れ始めたとたん、手ひどく捨てた女だった。男女の仲は、当事者同士でしか分からないこともあるが、この犯行の動機は、恨みによるものだったのだ。


 え? どうやったかって?


 犯人の女は、宇宙人で生来持っていた念力で、憎い男の四肢をみんなが見ている前で引きちぎったのだ。ちゃんと、刑事もヒントを言っていただろう? 「超能力者の仕業」って。


 そもそも、これはミステリーじゃない。タグを見たまえ。これはSFだ。

 。これがSFのルールなのだ。

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