第10話 ふたりが帰り着く場所
不思議な青年との出会いから数が月が過ぎてしまった。
今日は窓辺から蒼い空が良く見える。
季節は夏を越えてゆっくりと移りゆく。
息が白くなる頃にはまだ遠いが着々と時間は過ぎていった。
ベットの上でゆっくりと体を起こそうとした。
すると何所から入って来たのか黄色い蝶が一羽部屋の中を静かに飛んでいた。蝶は私のまわりをはためくと名残惜しそうに、ゆっくりと私の胸に止まった。
私は掛け布団に止まってきた美しい蝶に腕を伸ばそうとして全身の力が抜けるのを感じた。
不意に意識は朦朧とし始め、辺りの景色は色を失い、自分の決定的な何かが弾けたのがわかった。
不思議と痛みや苦しさは無かった。
けれど目線の向うに見えるはずの無い扉が開かれていた。
扉の向う側は深く落ち込んで全てを包み込むような闇があるばかりであった。
その奥に一人の青年が現れわれた。
私は手を伸ばして彼の方へ進み行こうとした。
けれど身体が重く何かを引きずっているような感じがした。
私は重さから逃れようと懸命に身体を揺り動かした。
それが効をなしたのか私を包んでいた重みはずるりと滑り落ちると軽くなっていた。それは水を吸った衣服を脱ぎ捨てて軽くなったような心地よい軽さであった。邪魔なものが心から取れ去って消えてしまったようだった。
何時の間にか扉に進み出ていた私は誘われるままに彼が伸ばしている手に掴まった。
そしてそのまま扉の向こう側に立った。
私は不意に彼の顔が幾つもあるのを思い出した。
それが全て彼自身の時間である事も今なら理解できた。
「よかった。貴方が迎えに来てくれて。」
私は微笑むと青年は
「迎えに来たわけじゃないよ。帰るだけなんだ。君も僕も」
「貴方には返す物があったから。あの時の一欠けらの燃えるような赤いルビーを。あれは貴方の命の閃きなのでしょう」
「あれは元々君のモノだよ。あれは僕が作り出したものではないのだ。君が作り出した可能性の一欠けらだったのだ。けれどあれは貴重なものだった。僕は渡さずに自分の為に使おうと思った。だから今でも罰が消えないのだ。本来なら君に逢う事は二度と来るべきではなかったのだ」
「でも貴方は私に返してくれたじゃない。だから罪じゃないわ」
「邪な心を持っただけでも重罪なんだ」
「いいの。貴方が居なかったら私は何も知らずに大切なモノを永遠に無くしてしまうところだった。あの石が可能性の一欠けらなら、貴方に逢えた事自体が可能性の一欠けらだったんだわ」
「君は優しいね」
「だから罪なんか感じる事はないわ。そんな風に思うから可能性を逃してしまうのよ。貴方は自由になれば良いのよ。貴方の過去は分からないけれど貴方が思い描く罪は既に消えているんだわ」
「ありがとう」
「それに貴方は記憶を無くしているはずだわ。けれど今は思い出せている。もう鎖は断ちきれたわ」
「君が僕の求めていた救いだったとは……」
「私も貴方に救ってもらったのよ。気にする事はないわ」
「そうだったね。何も知らなかったのは僕の方だったのかもしれない。もう僕たちは帰ろう」
「でも、私は年老いてしまった。このまま私と帰ると貴方は恥ずかしくないの。」
そう言うと彼は
「君は若々しいじゃないか。綺麗だよ。」
そういって笑った。
私は自分の身体を見つめ直した。
手の皺が綺麗に無くなっていた。
古い昔に見ていた若々しい自分の身体だった。
それが何だか恥ずかしいような気がした。
けれど、これで自分の時間の中にはもう二度と戻っては来れないのだとわかった。
私は不意に自分部屋を振り返った。
けれどベットの上には誰も居らず。
不思議なほど整っていた。
私はもう振り返らなかった。
了
ささくれた森をぬけて 鷹野友紀 @takanoyuki
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