この世界のルールはおかしい

古月

この世界のルールはおかしい

 遠藤えんどう孝弘たかひろは草原の中に立っていた。先ほどまで自室でモニターとにらめっこしていたはずなのに、いったいどうしてこんな場所にいるのか皆目見当もつかない。しかし孝弘はその問いの答えを探すことを一度諦めることにした。目の前の光景の方が問うべきことはたくさんある。


 どうして、湖のど真ん中にマングローブよろしく木が生い茂っているのか。

 どうして、その木の上に満開のバラとツツジと胡蝶蘭が百花繚乱しているのか。

 どうして、不自然に盛り上がった地面の横っ腹にこれ見よがしな洞窟があるのか。

 どうして、その入口に巨大なトカゲがいて、こちらを見ながら舌なめずりしているのか。


「あー、これは、アレだ。うん、アレだ」

 孝弘はうんうんと頷いた。この理解不能な光景を、彼は理解できていた。

「自分が作っているゲームに異世界転移、本当にあるんだな」


 あるわけないだろ、と頭の片隅で声が上がるも、最近異世界モノの小説やアニメを見すぎたせいだろう、孝弘はこの状況をあっさり受け入れてしまった。


 ゲーム制作は孝弘の趣味だ。ギミックを盛り込んだり、シナリオを作ったり、可愛いキャラのグラフィックを作ったりするのはとても楽しい。ただ、レベルデザインだけはどうにも好きになれなかった。

 レベルデザインとは、ステージデータを作成したりパラメーターを調整したりと、そのゲーム世界におけるルールを規定する役割だ。しかし孝弘にとって一番楽しいのはコードを書いたり、イケているUIを作り込んだりすることであって、細かいパラメーターを弄りながら何度も何度も何度も同じ場所をプレイするなど苦行でしかない。


 目の前のイカれた光景は、その結果としてヤケになった孝弘がマウスをめちゃくちゃに動かしてオブジェクトを配置した結果だ。これは確か、ラストダンジョンまでの道中データではなかったか。こちらへ疾走してくるトカゲ――確かワイバーンのデータだ――はその入口を護る門番ガーディアン役だったはず。


「確かあいつは入口から一定距離を離れると追尾を止めるはず……」

 などと言っている間に、ワイバーンの姿が消えた。同時に、頭上が急に真っ暗になる。


 見上げる。ワイバーンの腹がそこにあった。

「――は?」

「逃げて!」


 横から突き飛ばされ、孝弘は「ドッゴーン」という爆発効果音と共に五メートルほど吹き飛んだ。頭の上のヒットポイントHP表示がギューンと減少する。いろいろとおかしい。

 何が起こったのか。顔を上げると、金髪碧眼の巨乳ウサミミメガネっ子フリル付き金属鎧美少女が立っていた。孝弘はもちろんこの娘を知っている。相棒キャラの魔法戦士「レイナ」ちゃんだ。好みの属性全部乗せの豪華キャラだが、動きがちょっとカクついている。ポリゴン過多だ。


「<プレイヤー名を入力してください>さん、大丈夫ですか? ここは一度退きましょう。境界線の通過イベントが発生しなかったから、あいつはどこまでも追ってきます」

 プレイヤー名がnullヌルの場合はデフォルト値を読むようにしていたが、このデフォルト名は酷い。そして発言がメタい。


 レイナは孝弘の腕を掴んで走り出した。まだ立ち上がってもいない孝弘はその後ろをずるずると引きずられる。HPがぎゅぎゅーんと減った。

「待って待って、君そんなに怪力だったっけ!?」

「私の筋力値を56万に設定した神様はどこのどなた?」

 ふざけて適当な値を放り込んでいたのを忘れていた。レイナの顔はやや引き攣っているように見えた。


 かくして孝弘はワイバーンの瞬間移動バグから逃れた。HPはいつの間にか四次元空間と化したポケットに100個ほど詰め込まれていたポーションで回復した。わりとマズかった。


*****


「ようそこ! ここはラストダンジョン前の最後の村だよ!」


 入口のすぐそばに立っていた村人に話しかけたところ、実に説明的な、そして誤字混じりのセリフで応じられた。ネーミングは後でいいやと考えていたが、これはこれで説明的でありかも知れない。いや、ないわ。


「タカヒロさん、まずは休憩しましょう。それからあのワイバーンと、奥にいるドラゴンを倒す方法を考えましょう」

 何とか名前を覚えさせ直したレイナに従い、孝弘は村のど真ん中に設置された宿に入った。


「おはよう! 昨夜はぐっすり眠れたかい?」

 ゲーム内時間は夕方だぞ。どうやらセリフの参照値がずれているらしい。無言で50ゴールドを支払って部屋に向かった。どうせ入れる部屋は決まっている。


「いやー、疲れた……」

 ベッドに倒れ込もうとした孝弘だったが、その体は柔らかな毛布をすり抜け、顔面から地面に叩きつけられた。

「痛っっっっってぇ!? 何これ?」

「何って、ベッドに衝突判定が仕込まなかったのはあなたでしょう?」

 ウサミミと眼鏡と鎧のフリルのグラフィックを外したレイナの動きはスムーズだ。彼女はさっとスカートの裾を払ってその場に空気椅子をした。椅子の衝突判定は右方向にズレているらしい。

「じゃあ休憩はどうするのさ?」

「朝になればHPは満タンよ?」

 眠る機能は確かに実装していなかった。要らんもんそんなの。


「ちなみに衝突判定関連で言うと、ここのトイレは扉の一歩手前が奈落の底に繋がっているので気を付けて」

「なんともクソみたいな仕様だな!」

「クソするところだけに?」

 レイナの視線が冷たい。孝弘はゾクゾクしそうな自分を何とか押しとどめた。


「とにかく、あなたがこの世界のルールを適当に設定したせいで、私たちは非常に迷惑しているんです。状況を理解してもらうためにも、これからあなたにもさっきのワイバーンと、奥にいるドラゴンの退治を手伝ってもらいます。あのドラゴンがまた『大いなる災禍』を招く前に一刻も早く倒さなければ」

 レイナの言葉に孝弘は疑問を抱いた。

「いや、『大いなる災禍』はただの大技でしょ? このダンジョンのクリア条件はドラゴンが守っている『真理の鏡』を手に入れることだったはず」

「そんなのおまけです」


 キーアイテムがおまけとは。


「いいですか、あのドラゴンが『大いなる災禍』を発動するとどうなるか知っていますか?」

「渾身のエフェクトを発動して味方キャラ全員に回避不能のHP八割減ダメージ?」

「違いますよ! 世界がぴたっと止まってしまって、気が付いたらまたあの草原に戻っているんです!」

 そんなバカな。孝弘は言いさして、しかしすぐに思い至った。


「……それってつまり、フリーズ?」

「そうとも言う」


 大技だからとエフェクト素材を山ほど読み込ませたため、テストプレイでは必ず技の発動タイミングでメモリとCPUリソースを使い果たし、プログラムが応答不能に陥ってしまうのだ。孝弘はそのたびに強制終了を繰り返していた。


 なるほど。孝弘は自身の置かれた状況をはっきりと理解した。

「クリア条件は『大いなる災禍』を使用させることなく、ドラゴンを倒すこと、か」

「ちなみに『大いなる災禍』は10ターン毎に必ず使ってくるのを忘れないでくださいね?」


 ……無理ゲー。


*****


 相性が奇跡的にマッチしていたヒノキの棒でワイバーンを殴り殺し、孝弘とレイナは洞窟ダンジョンへ踏み入った。本当は他に三人のサポートキャラがいるはずだが、グラフィックがないため透明人間状態だ。突然空間から魔法が飛んでくるのはかなり心臓に悪い。


 レイナは「慣れているから」と毒の川をポーション片手に歩いて渡り、攻撃モーションを実行しながら壁をすり抜け、シンボルエンカウントをことごとく回避して最奥の神殿エリアへと孝弘を案内した。


裏技チート使い過ぎじゃない?」

「チート? そのような設定ルールなのに何を言うのです?」

「うん、デバッグ用の機能を外し忘れていた僕が悪い」

 ダンジョンを何度も抜けたくないからと仕込んでいた裏道だった。この話は続けないほうがいい、そう判断した孝弘はヒノキの棒を構えて神殿に飛び込んだ。


 ドラゴンとの戦闘が始まった。


 壮大なBGMが鳴り響く中、グラフィックがない三キャラは回復アイテムを使うことができず早々に棺桶グラフィックに切り替わった。何しに来たんだこいつら。


「『ファイアーブレス』が来るよ!」

 レイナが叫ぶ。火炎放射攻撃か。孝弘は衝突判定のない棺桶をすり抜けながらドラゴンの正面から逃げようとした。しかし、それをレイナが慌てて止める。

「ダメ! そこにいて!」

 死ねと仰せか。


 直後、ドラゴンがガパッと口を開いて『ファイアーブレス』を放った。

 ――尻から。


「……後で噴射の起点と方向を調整しよう」

「ボケっとしないで、攻撃して!」


 ブレスをおならよろしく吐き続けるドラゴン。その顔面は大口を開けているだけで無防備だ。孝弘はその鼻先をえいとヒノキの棒で殴りつけた。ぎゅぎゅーんと減るHP。やっぱりこの武器の属性パラメーターは間違っている。


 8ターンが経過した。この9ターン目、ドラゴンは『大いなる災禍』の予備動作に入り、攻撃してこない。この残り1ターンで勝負を決めなければ。


 レイナの『リザレクション』。棺桶が一つ消えた。

「なぜここで蘇生魔法を!」

「わたしの行動パターンは『仲間優先』なんです! そういう設定なんです!」

 そういえばそうだった。


 孝弘は走った。重さデータのない棺桶を拾い上げ、被る。そのままドラゴンの体に突っ込んだ。衝突判定のない棺桶は孝弘の体ごとドラゴンの体を貫通した。そこから突き出したヒノキの棒がドラゴンの心臓を貫く。


 ドラゴンの悲鳴。眩い閃光と、レイナの声。


「ああ、そんな、『大いなる災禍』が――」


*****


 孝弘ははっと目を醒ます。見覚えのある光景、自分の部屋だ。目の前のモニターは作りかけのゲームデータを表示している。面倒なパラメーター調整作業中に寝落ちしていたらしい。


 孝弘はちょっと安堵して、それからとても申し訳なく思った。


「……ルールを作るってのも、楽じゃないなぁ」


 ゲーム完成までの道のりは遠い。


(了)

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