鈴木くんのいない世界
犬怪寅日子
第一話 ルール! ルール!! ルール!!!
「3秒ルールってあるじゃん?」
「ねぇよ」
「えっ、この会話終わっちゃうけど!」
けど! という声と共に斜め後ろからひょっ、と顔が出てきた。
前髪を斜めにしてピンで留めている男を三次元で目視したのは生まれて初めてだ。
というか――。
「誰?」
「えっ、やだなー須藤だよ。須藤」
「だから誰」
「あっはー! さすが入学して三日でウイルス性なんちゃらに冒されて、回復したと思ったら今度は一日で盲腸にかかって入院した人間は言うことが違うねー。なにしたらそんな不幸に見舞われるの? ちいさいころ蚕殺して回った?」
「なんで蚕」
「あれ? 小学生のときみんなで飼わなかった? ほら、成長したら熱湯の中でぐる回して殺してさ、身ぐるみ剥がしたあげく、こうやって我々は命を犠牲にして生きているのデス! とかってしゃらくさい説教されるやつ」
あははー、と須藤とやらが笑うので、遠くで見ている担任がちらりとこちらを見た。が、ふいと目をそらし、注意するということはなかった。
根性なしが。
それにしても、校長の話が長いなどというのは都市伝説だと思っていたが、どうやら今まで当たりを引いてきただけだったらしい。壇上ではもう十分以上も耳毛の生えた老人が話をしている。長いだけで何を伝えたいのだが一向要領を得ない。YouTubeでも見て人生の編集の練習でもしてきて欲しい。
すると、また須藤が小さくけたけたと笑いはじめた。
「なんだよ、うるせえな」
「杉崎くんすっげー怖がられてるじゃん! めっちゃウケんね。さすが極道の息子! ほら、見てみて、松本先生いっつもすぐ注意するのに、さっきから私は今校長先生の話を真剣に聞いていますって顔で俺らのこと無視してるよ」
「お前」
と口にだしたが、その後の上手い言葉が見つからなかった。
「なんなんだ?」
やっとそう言葉にすると、須藤はこてんと首を傾けた。あらためて見ると、パンダみたいな顔をしている。へらへらしているけれど、クマが濃くて、目が笑っていない。
典型的なヤバい奴の顔付きだ。
「なんなんだって、なにがー?」
「いや――なんでもない」
「なんだそりゃ! あははー。ねえ、3秒ルールの話しようよ」
「それ今じゃなきゃ駄目なのか」
「今しないでいつするのよー。あっ、そっか。杉崎くんずっと休んでたから知らないんだ。あのねー、うちの全校集会は誰かが貧血で倒れるまで終わらないシステムなんだよー。まだまだ時間掛かるからね、その間暇でしょ?」
なんて前時代的な学校なんだ。
そしてなぜこのクラスには鈴木がいないのだ。思えば、いつでも俺の後ろには鈴木がいてくれた。どの鈴木もみんな静かで優しかった。この際、鈴木でなくとも良い。杉田でも杉本でも、鈴原でも鈴広でも良い。誰か俺とこいつの間に入ってくれ。
杉崎から須藤の間に入る名字などいくらでもいるだろうに、なぜこのクラスにはいないのだ。
そんな俺の思いなど少しも察しないで、須藤は話を続けた。
「あのね、3秒ルールが適用される食べもの上げてって、一番ギリギリを責めた人が優勝ね!」
「誰が決めるんだよその優勝」
なんとか回避できないものかと文句を言ったのに、須藤はぱっと表情を明るくさせた。
「なんだー! 杉崎くんノリノリじゃん。おっけおっけ! じゃあちゃんとルール決めよっか」
「おい、ポジティブってレベルじゃねえな。お前大丈夫か」
「確かに審判は必要だよね!」
「飛ぶ薬でもやってんの?」
「ねえ、杉井くん!」
と、人の話を全く聞かず、須藤は俺の前にいる小さな男の肩を叩いた。
びくりとその男が肩を震わせる。なんだか線の細い男だ。良く言えば華奢、正確を期して言うのであれば貧弱な体付きの男は、振り返ると顔だけはふっくらとしていて、まるで丁稚のようだった。
そして、あり得ないほどに細かく震えはじめた。
「な、なななな、なん、ですか」
「なんですかじゃないよー、聞いてたでしょ? 聞こえないわけないでしょこの距離で。杉井くん審判ね!」
「そ、そそそそそ、そそそそ」
「そ」の後に何を言いたいのか全く分からないが、はいよろこんで、という気持ちでないことだけは確かだ。
無論、須藤には伝わっていない。
「真剣勝負だからね、杉井くんの審判に全てがかかってるから。ちゃんと多数決して決めてね」
「えっ。あの、ひとりじゃ多数決はできないです」
まともな返答も度が過ぎると狂気だ。
「うっそだー、いるでしょ頭の中に。自分じゃない人間が何人か。ねえ、いるよね杉崎くん」
「いねえよ」
「いないって! あはは!」
須藤は文字通り一人で爆笑しはじめた。何人もいるような笑い方だった。須藤の頭の中の須藤も何人か笑っているのかもしれない。
俺は目の前の小さな杉井の肩を掴んだ。
「おい、杉井」
「はっ、はひ」
杉井はまた大きく体を震わせたが、俺だから特別に怖がっている、という訳ではなさそうだった。単にこの状況に焦っているのかもしれない。
須藤は爆笑し続けていて聞いていないが、一応配慮して小声で呟く。
「こいつ、いつもこんなやべえのか?」
「いえ――いつもはこれほどでは――いや、ごめんなさい、嘘です。いつもやばいです」
「なるほど。それで? お前は本当に杉井か?」
「え? な、なんですか?」
「なんで杉井なんだ」
「なんでっていうのは――」
「本当は杉田なんじゃないのか」
「いや、杉井ですけど」
「よく考えたか? 井を田と見間違えたんじゃないか?」
「家族ぐるみで?」
「お前の先祖が間違えている可能性はあるだろ? なあ」
そう杉井に詰め寄っていると、一人で笑っていた須藤が急に間に入ってきた。
「なになに! ルールの話? 俺にも決めさせてよー!」
校長はまだ話を続けている。もう俺たちばかりではなく周りも小声で話し始めていて、そのざわつきに苛立って校長の話はヒートアップしているようだった。
本当に人が倒れるまでやめそうにない。
「仕方ねえな」
こうなったら誰かが倒れるまで付き合うしかない。
「じゃあまず、3秒ルールの定義を決めるぞ」
「てーぎ?」
頭の悪い顔と声で須藤が言った。杉井が頷く。
「確かに、審判をするのなら、そこはちゃんと決めておいて欲しい所ですね」
「てーぎかぁ」
「3秒ルールというのは、食べ物を落として、3秒以内なら食べても良いというものですよね?」
「そーそー」
須藤はぐでんぐでんと首を曲げて頷いた。
「そもそもそれは、衛生面か? 精神面か?」
「へ?」
「腹を下さなければセーフなのか、それとも気持ち悪いと思った時点でアウトか?」
「気持ちが悪いということになると、審判であるぼくの性格にかなり左右されてしまいますが」
「えー、うーん。そっかぁ。じゃあ、衛生面にする?」
「分かった。衛生面だな」
そう頷くと、杉井が小さく手を上げた。
「精神衛生という言葉がありますが、それは衛生面に入れるんですか?」
「たしかに。昨今ほとんどの病気はストレスから来てるって言うしな。どうする須藤」
「どうって――そう言われると精神衛生も衛生面に入るのかなー?」
「じゃあ、精神衛生を加味した衛生面ということになりますね」
「審判の性格も予想しながらの戦いになるな」
すると、杉井が頭をぐるぐると回しながら、弱々しい声で言った。
「うんうん、じゃあ、やろー」
「いや待て、まだ早い」
「えー」
「そうですよ須藤くん。場所の設定がまだです」
「ばしょー? てきとーでいーよぉ」
「俺と杉井が教室を想定していて、お前だけがトイレを想定していたらどうするんだ」
「俺トイレでご飯なんか食べないから」
「ですが須藤くん、これはかなり重要なことですよ」
「ああ! もうじゃあ、きょーしつ、教室にしよ!」
「何教室だ?」
「それ重要?」
「僕と杉崎くんがパソコン教室を想定していて、須藤くんが生物科準備室を想定しているとかなり不公平になりますが」
「だからー、俺ハエとかモルモットの横でご飯食べようとか思わないから! 普通に俺らの教室で! お昼の時間!」
「じゃあ、あとは曜日だな」
「よーび!!!」
「床清掃の有無で変わってきますからね」
須藤は目を回した後の人間のように、体をぐらぐら揺らせている。
俺と杉井は目を合わせた。
「なぁ杉井。一つ確認なんだが、さっきの話――俺と杉井がパソコン教室を想定していて、須藤だけが生物か準備室を想定している場合、どっちが不利になるんだ?」
「そうですね――須藤くん、どう思いますか?」
「へえ? なんで俺?」
「選手がルールをの把握をしているかどうか知りたいので」
すると、須藤は頭を物理的にぐるんぐるん回しながら唱え始めた。
「えーっと、3秒ルールの精神衛生を加味した衛生面で、ギリギリセーフな食べ物をあげてくんでしょ、それでぇ、俺が生物準備室を想定してて、審判の杉井がパソコン教室を想定してたら――あれ? なんだっけ? 審判の杉井とぉ、対戦相手の杉崎くんが同じ場所を想定しててえ、パソコン室の方が綺麗でぇ、俺は、えーと、つまりぃ、うーーーー」
「あ」
俺と杉井は同時に破顔し、手を上げた。
ばたん、と子気味のよい音が体育感に響き渡った。
「先生、須藤くんが倒れました!」
鈴木くんのいない世界 犬怪寅日子 @mememorimori
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