彼女は無法者、僕はストーカー

片山順一

常識に囚われない

 リンゴを持ち上げ、手を離せば下に落ちる。

 万有引力と呼ばれるルールだ。


 紙に火を近づければ、燃える。

 燃焼というルールだ。


 こういうのが、いわゆる自然界の法則。

 物理的に論証された、万人が認めざるを得ないルール。


 では。

 

 取り囲んだ野次馬に混じった、僕の眼前。

 燃え盛る、ビルの最上階から。

 小さな女の子を抱きしめ、空に飛び出して、ゆっくり降りてくるあの子は。


 火に巻かれて、制服のスカートのすそや、ローファー、二つにくくった黒い髪の毛の一本に至るまで、少しの焦げ跡も作っていないあの子は。


 どういうルールに、従っているんだろう。


 疑問には思ったが、僕はレンズを、少女のスカートの中に定めた。

 シャッターを切る。罪悪感は、ない。


 もう、三年もやり続けてきたことだから。


   ※※    ※※



 世の中には、物理法則を意図的に無視できる人が居る。


 比喩じゃなく、実際にそうなのだ。


 空中でも引力を無視して落下しないとか。

 火に巻かれても、髪の毛一本焦がさないとか。


 それはがなぜか、どういう原理か、全く分からないけれど。


 はるか昔から、そういう人が生まれ来る。


 自然の法則を無視するから、無法者アウトローと呼ばれる。


 優れているだけに、いろいろ国との抗争があったらしいけど。

 結局、普通の人と比べて数が少なく、能力の範囲も自分ひとりくらい。


 だから、普通の人として暮らしている。


 僕の通う中学の二年A組にもそんな無法者が居る。


 彼女の名前は、傘木かさき砂羅さらという。


  ※※   ※※


 昼休みの教室はけだるい。給食終わりの時間、僕は自分の机にへばりつき、寝たふりをしながら、スマートホンの日記を書き続けていた。


 観察の対象は、女子五人のグループの中で過ごしている。


「ふふ、いいえ、小学生のときから、何度もやっています。大したことはありませんよ」


 二つくくりの黒髪をなびかせるきゃしゃな姿。


 ひざ丈のスカートがおとなしく揺れている。


 昨日僕が、望遠レンズでスカートの中を撮影した傘木砂羅。


 この中学でたった一人の無法者だ。


 きっかけは三年前。隣の校区の高層ビルの五十階近くから、白昼、飛び降り自殺があったとき。


 もうだめだと思ったそのとき、落下する若い女の人に向かって、あの砂羅がふわりと近寄った。


 受け止めると、万有引力のルール無視を小刻みに使い、ちょっとずつ落下しては浮遊することを繰り返した。地上まで無事届けた。


 女の人を警察に任せて、はにかみながら、野次馬に受け答えをする彼女のほほ笑みが忘れられなくなった。


 それからも、火災や自殺なんかには何度も繰り出して、消防士がさじを投げるような事態でも、燃焼や万有引力の無視を駆使して解決している。


 無法者なんて呼ばれているけど、街のヒーローって言った方が近い。


 当然、老若男女あらゆる人に人気だ。こうして真面目に学校にも通い、女子の友達も多いらしいし、勉強の成績もいい。


 あの小柄さとベビーフェイス、しっかりした報道の受け答え、人慣れした穏やかなほほ笑みなんて文句のつけようがない。


 自分でも引くけど、三年も追い続けて、まったく飽きが来ないから不思議だ。


「井川くーん、寝てた?」


 いきなり肩を叩かれる。驚いて振り向いた瞬間、逆から伸びてきた手が机の上のスマートホンを奪った。


「おい、なんだこれ、傘木さんの日記って書いてあるぜ!」


 クソみたいな有象無象の男子だ。運動と勉強ができて女子と笑っている以外のことは特に頭に入れる必要がない奴らだ。


「か、返して」


「いやだよ、おい、これストーカーじゃねえか! 笠木さん、ほら、見てみこれ、変な奴に追われてるって言ってただろ。こいつだ、こいつ! 風間だったんだよ!」


 小柄で体力もない僕では追いつけない。日記と、砂羅のいろいろな姿態を入れたスマホが、よりによって砂羅本人に渡されてしまった。


 しかも、さらに悪いのは、チャイムが鳴ったことだ。


 英語の本川が、教室の扉を開けた。


「席に着けー。どうした、そこ」


 クソ男子が慌てて逃げ戻る。砂羅はしれっとした顔で、僕のスマホをスカートのポケットに入れてしまっている。


 本川は気づいたらしいが、苦笑するだけ。


「スマホは一応禁止だからな。ま、出さなきゃ取り上げないで済むから、授業の妨害は勘弁してくれ。じゃあ、三十九ページから……」


 授業が始まった。もうどうにもできない。


 一体、どうする。あれを見られたら終わりだ。砂羅はリア充どもとも仲がいい。クソ男子にばれたら僕は学校に来られない。なんとしても、取り返さなければ。


  ※※   ※※


 授業中さんざん考えたが、結局、ホームルーム明けに、返してくれと言うことにした。


 砂羅とは一言も口をきいたことはない。

 けれど、あの子は今までからして、弱いものを助ける方だ。


 みんなのいる前で泣き落とせば、なんとか返してくれるだろう。


 そう思っていたんだけれど。


 ホームルームの最中、校舎の南から、住宅街に立ち上る黒い煙が見えた。


 火事だった。


 誰が声をかける間もない。砂羅はかばんをひっつかみ、万有引力を無視して三階から外へ飛び出していった。


 発火と引力を無視できる砂羅が居るおかげか、ここ三年この市で、火事による死亡は一人も居ない。


「本当に立派だよなー、砂羅は……」


 クソ男子と取り巻きが僕をにらんでいる。クラス全員の視線が冷たい。


 みんなのために頑張る女の子を、ストーカーしていた奴が僕だ。


   ※※   ※※


 タワーマンションの三十階に帰ってきても、妙案なんか浮かぶはずがなかった。


 どうしようもなく、夕食を食べ、部屋にこもってだらだらゲームをして、深夜を迎える。


 なんとなく、ベランダに出てみるが、いい考えはない。

 望遠レンズで街を見ても、今日は闇が広がっているばかりだ。


「まずいなあ」


 多分、砂羅は僕のスマホの中身を見ただろう。


 砂羅は部活に入らずに、街を飛び回り見守っていることがある。

 その姿を何百枚と撮影したのも見ただろう。


 また、緊急の事件では、見回りで着用しているスパッツがない。それをチャンスとばかりに、狙っては撮って保存している。


 全部ばれる。多分、犯罪なのだろう。


「あーあ……」


 ほかに楽しいことなんかなかった。勉強はつまらないし、クソ男子みたいなのは、どのクラスにいってもからかってくるし。


 だから、夢中になってしまっただけなのに。っていっても、通じないだろう。どれほど嫌われるのか。


「死んだ方が、いいよなあ」


「それはやめてください」


「おぉうわあああああああっ!?」


 ベランダの上にしゃがみこむ。階下から、目の前に現れたのは、昼間僕のスマホを取った傘木砂羅その人だった。


  ※※   ※※


 部屋をノックした親に、なんでもないと叫ぶ。足音が遠ざかったのを確認して、砂羅はずかずかと僕の部屋に入り込んできた。


 勉強机にパソコン、棚にカメラとレンズ、撮影関係の雑誌、本。テレビとかで見るやばい犯人の部屋みたいじゃないのが意外らしい。


「まったく、有名になると変な人が増えると聞きましたがね」


 ぱたん。ベランダの戸を閉め、鍵をかけ、カーテンを閉じる。ごく自然に、部屋の入口のドアもだ。


「え、で、でも、僕の日記と、その色んな写真も……」


「はい、読みましたよ。とっても気持ち悪いですね」


 人を救って向ける笑顔と、凶器の言葉が僕を刺した。


「じゃ、じゃあ」


 言いかけたところに、ひょいと胸元に入り込まれた。

 子猫が懐に来たみたいだ。眼前で髪の毛が揺れ、カメラで撮れなかった良い匂いがする。


「ねえ井川君。わたしは、ルールにとらわれないんです。落ちたくないときは、重力を無視するし、燃えたくもないのに身を焦がすなんて嫌です」


 すす、と近寄ってくる。僕は思わず後ずさりして、ベッドに座った。


「だけどそれと今と何が」


 僕のスマホを取り出すと、フリックして保存してあった画像を見せる。スカートの中、ブラウスの脇、スパッツの足元――。


「あなた、最低ですよね。一言も口を利いてないのに、わたしのことを観察して、スカートの中を集中的に撮影して、妄想を日記にしちゃうような、情けなくて気持ち悪い男の子」


 冷たく細められた目が、僕を撫でまわすように見つめる。

 むき出しの二の腕で、僕の胴体をそっとなぞっていく。


「女の子なら、そんな人はみんな嫌いになる。もうこの世のルールって言ってもいいくらい、確実ですよね」


「あ、あぁ、あの」


「でもルールなら、私は無視してもいいんじゃないですか。だって無法者なんだもの」


 隣に座って、体を預けてきたと思ったら、石みたいに重くなった。


 砂羅は引力を、重さを操作している。抵抗などできず、ベッドに倒される。

 細い指が僕の前髪をそっとなぞる。ぞくぞくする。


「誰よりも熱心に、私を追いかけてるあなたのこと、三年前から知ってましたよ。早く、声をかけてくれないかなって思ってたのに。私がどんな気持ちで、同じクラスで過ごして来たかわかりますか?」


 事態が把握できない。あっという間に、唇を奪われた。


 大胆にスカートからはみ出した脚が、僕のお腹を締め上げる。ぷち、ぷち、とブラウスのボタンを外す音が、生々しく部屋に響く。


 砂羅の凄絶なほほ笑みが、降ってくる。


「私は、無法者なんです。女の子が変態のストーカーを嫌うというルールを、無視しますね」


「え……あ、あの」


 シャツがめくられる。砂羅が僕の胸元から、こっちを見つめる。


「ついでに、男の子の方が、女の子を追いかけて手に入れるっていうルールも、無視しちゃいますね」


 ……僕はなにもできなかった。


 ストーカー被害者が、ストーカー犯を恐れるというルールは無視された。


 砂羅は無法者で、僕はストーカー。


「あの、でも、話すのも初めてで、いきなりこんな……」


「そういうルールも無視です」


 無法者に、ルールは通じないのだ。

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彼女は無法者、僕はストーカー 片山順一 @moni111

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